この「うそ800始末」では、ISO第三者認証制度の始まりからのできごと、特にばかばかしいこと、恨み骨髄に徹したこと、非論理的で呆れたお話を書いている。
今日もばかばかしいお話を語る。
QMSでもEMSでも審査員の多くは、その要求事項を一字一句漏らさずに、あるか/ないか、しているか/してないかを確認した。
さらに、要求事項に書いてないこと以上に、横出しや上乗せをした。それだけではない。審査員は元々なかった要求を 捏造して 創作して確認した。
そして自分の頭の中にある要求事項を満たしているかいないかチェックしたのである。
私の勤め先では、審査員の頭の中にだけある妄想には対応していないので、不適合が出されたのはもちろんであった。
ワンポイントアドバイス
公害関係の法規制で、地方自治体が法より厳しく規制することが上乗せ規制、規制対象を広げることを横出し規制という。
例えば法で0.5mg/l以下となっているものを条例で0.4mg/lとすれば上乗せ規制となり、法律では振動特定施設にコンプレッサーは入っていないが、条例ではコンプレッサーも含むのは横出し規制となる。
ISOMS規格は2015年改訂より前は、文書と記録についても別の項番で規定されていた。
素直に考えると文書は文書管理の要求事項を満たし、記録は記録管理の要求事項を満たせばよろしいと思う。いやISO規格の要求事項ってそういう意味だよね?
例えばISO9001の1987年版では
「品質記録は、読みやすく、関連する製品との対応が識別できなければならない。(4.16)」という要求がある。
文字通り読めば、「この品質記録は○○製品をいつ製造した時のものだ」と分かることということです。お間違えないように、「識別できなければならない」であり「印がついてなければならない」ではありません。それはファイルに大きな文字で書けということじゃなくて、記録の中に文字で書いてあってもよいわけです。
しかしISO9001審査員の多く、いやほとんどはこの文章を「品質記録は『品質記録の印』が付いてなければならない」と解釈したのです。
まあファイルをわかりやすく表示することは、悪いことではないでしょう。それくらいは歩み寄ってもよろしいです。
しかしそれだけでなく審査員たち(複数というか、大多数でした)は「ISO対応の文書は識別しなければならない」、さらに「文書と記録は区別されなければならない」という要求をしたのです。
果たして文書と記録を識別しろという要求事項はあったのでしょうか?
この文を書くために改めてISO9001:1987とかISO9004:1987を読み直したのですが、この要求が何を根拠にしていたかわかりません。
どうしてなのか? と聞かれてもわたしゃ審査員でないんで分かりません。きっと審査員の頭脳は非論理回路が詰まっているんじゃないですか? 知らんけど
ともかく何をしなければならないかと言えば、マネジメントシステム文書のファイルには「文書」という表示をし、品質記録を綴じたファイルには「品質記録」と表示しなければならないということです。
そして「表示」とは、文字通り大書するか、「品質記録」というラベルを貼らなければならないというのです。
同様に文書には「文書」と大書するか「文書」というラベルを貼らなければならないということでもあります。
品質記録ラベル | 文書ラベル | |||
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これは笑い話ではありません。
最初にISO9002を認証したときは、あまりにも数多くのファイルに「品質記録」とか「ISO文書」と表示しなければならず、テプラでは間に合わず、印刷屋にシールを発注しました。
工場の規則集は2分冊でしたし、その配布先が20数部門ありましたから都合50冊。部の規則、課の規則を合わせると20部門くらいありまして、それぞれが数部配布していましたから100冊、その他もろもろ合わせると200冊以上あったと思います。
記録に至っては……数えたこともなかったですが500や600、いやそれ以上あったかもしれません。テプラでは力尽きてしまいます。
つまらないことですが、こんなことひとつするだけでも、どんどん手間が増えていきます。
ISO認証すると手間ばかりかかると嘆く経営者が多いそうですが、それは間違いない事実です。やっと最近「でした」と過去形で語れるようになったようです。
そればかりではありません。記録は劣化しないように保管しろという要求がありました(4.16)。
20世紀のホワイトボードは感熱紙が多く、少し時が経つと変色したし、太陽光の直射を浴びると黒っぽくなりました。故に感熱紙は品質記録に不適だと言われました。そのためにホワイトボードに書いたものを記録にするなら、ホワイトボードでコピーしたものをゼロックスでPPCにコピーしてサインをする、ということにあいなります。
あるいは現場で気温や湿度を記録していることって多いですが、それを記録にすると作成者、決裁者とか修整とかうるさいので、それは単なるメモだ、品質記録というのは月ごとにまとめたものを呼ぶなんて理屈をこねたものです。
今なら、記録にも短期のものも長期のものがある。それぞれの必要期間だけ劣化が生じなければ良いのだ。日々の記入したものも記録であるが、月にまとめたとき用済みとなるのだと反論すればよかったと思う。
さて、係の規則で現場の温度湿度を測定し、それを午前と午後に温度計を見て記録表に記入していたとします。
ダイヤモンドより硬い頭を付けているISO審査員が来ました。
「これは温度記録ですね。ほう今日の午前までちゃんと記入している」
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「わが社ではルールを守るよう徹底しています」
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「ところでこの温度記録表は、記録ですか? 文書ですか?」
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「記入前は様式、記入したものは記録と考えています」
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「この記録表は今日の日付の14日まで記入されている。 ということは前半は記録、後半は文書になるのですか? どうなんですか?」 |
ISO規格要求をいくら読んでも、規格を理解しろとはありません。会社が規格を満たしていればよいのではないですか?
そんな小難しいこと(笑)を質問しても困りますよ。審査員だって規格を理解してないんだから。
こんな不毛な議論が日本全国でやり取りされたようです。
1日から14日までが記録で、15日から31日までが様式あるいは規則のコピーなんでしょうか? はっきり言って神学論争と言うべきでしょう。
当たり前ですが、様式は規則で決めなくては存在できません。どの会社でも帳票の多くは規則で定めているのではなく、現場レベルで自然発生し、関係部門からフィードバックを受けてリファインされ存在していると思います。それを否定するつもりはありませんが、ある程度完成した段階でそれを規則にすることが望ましいでしょう。
すべてを規則にし、不具合や改善があれば規則改定するのが管理の鉄則です。
審査員は今度は現場事務所に行きました。
「これは温度湿度の記録をファイルですね。このファイルには文書か記録かを示す表示がないようです」
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「ファイルの背中に『○○工場の温度湿度記録』と書いてあります」
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「ISO規格では記録を識別しろとあります。この『○○工場の温度湿度記録』というのはタイトルであって、記録である表示が必要です」
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「ファイルに温湿度記録と書いてあります」
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「記録は識別しろと要求事項がありますね。マーカーで書くだけでは不明確です」
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「そうなんですか〜(ヤレヤレ)」
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ともかく当時審査でらちがあかないとき、私は最後にはこう言いました。 | |
「これが記録なのか文書なのか私は分かりません。 審査員が記録だと考えたなら、記録管理の要求事項を満たしているかどうかを確認してください。審査員が文書だと考えたなら、文書管理の要求事項を満たしているかどうか確認してください。 要求事項を満たしていないならそれを指摘してください。 私が文書と認識しようと、記録と認識しようと関係ありません。あなたの認識において不具合があるのかないかではないですか」 |
ISO審査とは楽なお仕事のようです。記録のファイルには記録と大書してあるか記録ラベルが貼ってあるか、文書には文書ラベルが……そんなことを点検するお仕事でお金がもらえるなんてなんて素晴らしいお仕事でしょう。でも世のため人のためには貢献していないような気が……
疑問です。
記録と文書を分けなくちゃならない理由は何でしょうか?
分けないと顧客満足(ISO9001の意図)が達せられないのでしょうか? 遵法と汚染の予防(ISO14001の意図)が実行されないのでしょうか?
大問題が起きるのでしょうか?
この問題の原因は、審査員が規格要求を理解していないこと、自分が横出し、上乗せの要求事項を作り上げたことにある。もちろんそんなことはあったはならないことだ。
だがこの問題が起きた原因はもうひとつある。それは審査員が<審査とは何ぞやということを理解していなかった>ことだ。
ISO17021では2006年の初版から現行に至るまで、審査とは何ぞやということが明記してある。
規格名:版 | 項番 | 文言 | |
ISO17021 2006 2011 | 4.4.1 | 認証の要求事項への適合の責任をもつのは、認証機関ではなく、依頼組織である。 | |
4.4.2 | 認証機関は、認証の決定の根拠となる、十分な客観的証拠を評価する責任をもつ。 | ||
2015 | 4.4.1 | 認証の要求事項に適合することへの責任をもつのは、認証機関ではなく、被認証組織である。 | 4.4.2 | 認証機関は、認証の決定の根拠となる、十分な客観的証拠を評価する責任をもつ。 |
上記を言い換えると、
・組織は規格適合を立証する義務はない
・適合/不適合の証拠を見つけるのは認証機関である
ということだ。
組織が不適合であること、そして適合であることの責任・誉は組織であり、認証機関でないことは自明だ。今までに不適合になったのは認証機関の責任だとか、認証したのは認証機関のおかげだと語ったところがあるのか?
もちろんISO17021が制定される前は、ISO9001ではガイド62、ISO14001ではガイド66が適用されたが、内容的には同じである。
言いたいことは、組織は規格要求を満たす責任があるが、それを説明する責任はないということだ。認証機関とその実行者である審査員は、組織の実態を見て、規格適合/不適合を判定するのである。
規格が求める種々の文書が制定され運用されているのか、規格が求める記録が残されているのかは、審査員が探し内容を確認しなければならないということだ。
企業が美味しく料理して皿に盛り、審査員のテーブルにサービスしてくれると考えることが間違い、勘違いなのだ。
いや、被認証組織が料理して配膳したものなど、信用ならないのではないか?
毒見ではないが、それが真の文書なのか、真の記録なのか、審査員は騙されないように先方から差し出されたものを鵜呑みにしてはいけない。
翻って、記録とラベルが貼ってあるから識別がしっかりしているとか低レベルのことはどうでもいい。実際にとられている記録はいかがなものなのか? 逆説的にそれは識別されているのかを確認すべきではないのか?(反語だよ)
本日の要求
2015年改定で、記録と文書は区別されていない。だから記録も品質も区別するという発想は起きなくなったと思われる。文書であろうと記録であろうと、客先要求も含めてその会社が管理する上で必要なものが存在していて、その管理は必要あることだけ行っているはずだ。
となると今まで「記録と文書は識別しろ」とか「記録には記録の表示が必要だ」と真面目な顔をして語っていた審査員 ども たちは今何を思っているのか?
私はぜひともお聞きしたい。
実はこれを書くきっかけは、ネットにあったQ&Aを読んだからだ。
Q: |
「アンケート調査は最近では自衛隊を憲法違反だという比率が下がっています。今までの違憲と答えていた人たちが考えを変えたわけですが、それは許されるのですか」
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A: |
「男子三日会わざれば刮目して見よというように、人間は日々学び考えを変えることはおかしくありません。尖閣列島などの現実を見て、考えを変えこともあるでしょう」
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なるほど、今まで誤っていたのを間違いに気づき考えを変え行動を変えることはまっとうなのか?
しかし過去に行った審査や発言についての責任はどうなるのだろうか? それは自衛隊違憲問題とは異なるような気もする。自衛隊が合憲か違憲かについての見解を変えることは、だれにも迷惑をかけない。
以前から自衛隊が合憲と考えていた人は、賛同者が多くなったことに不満を持つわけがない。違憲論者にしても、同じ意見が減ったことは残念だが意見の相違により被害を受けたわけではない。
しかしISO審査員が過去に下した誤った判断は、明らかに被認証組織に経済的、物理的な被害を与えている。
ならば、認証機関なり審査員は最低限、ネットでもあるいは被認証組織に対してでも、「当認証機関は、過去に行った審査において間違いがありました。この度、過ちに気が付きましたので、今後はこういう考えで審査をします」と声明を出すべきではなかろうか?
賠償責任はないにしても、謝罪する責任はあるだろう。
それは認証機関と審査員の矜持に関することであり、人間性の問題であり、第三者認証制度の信頼性の問題ではないのだろうか?