耳鳴り

21.07.08

私が河岸勤め先を変えたのは2002年だった。それまで田舎の工場で働いていたが、青天の霹靂で流れ流れて都会に出てきた。仕事は大きく変わったが、それまでの経験と保有資格でなんとかなった。もちろんそうでなければ仕事にありつけない。

転職後すぐのこと、職場の先輩というか職制上は同格だが上司的な立場の人と出張した。そもそも監査なんて仕事は出張するのが仕事だ。
電車の中で先輩は、苦虫を噛み潰したように眉間に縦しわを作って黙っている。会社ではいつもニコニコしている温和な方なので、具合が悪いのかと思い声をかけた。
セミ すると先輩は具合が悪いわけではない。仕事などで集中していないと耳鳴りが気になり我慢できないのだという。
そのとき私は耳鳴りなんて話に聞いたことがある程度、自分が苦しんだことなどない。ハテナと首をひねる。
先輩が言うには頭の中にセミがいてジージー、ミーンミーンと鳴いているようなのだという。
自分で体験してなくても、そういう表現をされると何とか理解できた。そんな耳鳴りがしては落ち着いていられずイライラするだろう、気が散って真剣に取り組みことが困難だろうと推察した。

先輩はそれから半年もせずに業界団体に出向した。その後なんかの会合で一二度会った。
ご指導いただいたご恩を忘れておりません。こんなウェブサイトなど見てないでしょうけど、お礼申し上げます。


それから何年も経ち、たまたま休日出勤していたとき、突然 右耳の中に水が入ったような感じになった。水泳していたらプールサイドでピョンピョン飛び跳ねて、耳から水を出したくなる感じだ。だがテッシュや指を突っ込んでも耳の中に水はなく、変だなと思う。
同時に聞こえる声が反響しているような感じになった。何か気分が悪い。

過去の日記帳をめくるとそれは2008年2月10日の日曜日であった。
翌日、朝起きると右耳が全く聞こえない。出勤後に勤務先から近い耳鼻科を探して外出して受診した。
医者はいろいろ検査した結果、突発性難聴であること、治療してみるが回復する可能性は低いと述べた。そしてせめて昨日来てくれればという。オイオイ昨日はそもそも休みだ。

その後、その医者にひと月くらい通ったが改善の見込みはなくおしまいとした。片耳が聞こえなくても人は死なないし、多少ハンディになるものの仕事ができないわけではない。具体的に二人の会話では困らないが、大勢の人がいる会議では人の声を弁別することができず、ふたりから同時に話されるとごちゃ混ぜになり聞き分けできない。
とはいえその頃からひどくなってきた老眼のほうが、仕事上大きなハンディだった。監査って、書類を見る、相手の顔を見る、少し離れたものをみる、ということが交互に進行していく。そのとき、二重焦点眼鏡でも境目のない眼鏡でも対応は不可である。せめて人の顔と帳票、あるいは人の顔と離れた機械のようにふたつなら対応できるが……


私が突発性難聴になったとほとんど同時期に、歌手 浜崎あゆみが突発性難聴になった公表した。彼女は歌手だから耳が聞こえないでは仕事でのダメージは大きい。大変だろうと同情した。
それ以降、突発性難聴と言っても通じないことが多いので、仕事で会った人には浜崎あゆみ病ですと説明した。そうするとみなさん理解してくれた。
耳が不自由なことを説明しておかないと、聞こえない方向から話しかけられたり、同時に複数の人が話したりすると聞き取れず、相手に失礼なことになってしまうからだ。

健常者 突発性難聴
耳
⟹♪
聞こえます
🞽⟸
聞こえません
耳

突発性難聴になると悪いほうの耳は聞こえないか、ほとんど聞こえなくなる。しかし聞こえなくなることよりも大きな問題がある。それは耳鳴りである。
耳鳴りとは機械的な振動である音ではなく、脳の中の電気信号なんだそうだ。
まず人が音を感じるというのはどういう仕組みか。普通、耳と呼ばれている耳介(じかい)で音を集めて、それが耳の穴(外耳道)を通り鼓膜を震わす。この振動が小さな骨を介して内耳にある蝸牛(かぎゅう)で電気信号に変換し、これが神経を通じて脳に伝える。脳はそれを音として認識するということになる。

外耳中耳内耳
空気の振動骨の振動電気信号
 耳介 ⇒ 外耳道 ⇒ 鼓膜  鼓室 ⇒ 耳小骨  蝸牛 ⇒ 蝸牛神経 

このつながりのどこかに異常があると、音が聞こえないとか聞きにくくなり、難聴と言われる。
突発性難聴は、内耳から脳に電気信号が伝わらなくなるために起きるという。
その原因はストレス、ウイルス、血行不良、糖尿病などによるといわれる。いまだ原因ははっきりしていないらしい。
私の周りでも何人も突発性難聴になったが、正直言って仕事のストレスじゃないのかなと思う。しかしそれならわたしのように図々しい人間はならないはずなのだが、私は意外とシャイなのかもしれない。

なぜ耳鳴りがするのかとなると、耳が聞こえなくなると当然音が入ってこない。それで脳が聞き取ろうとしてどんどんボリュームを上げて増幅回路から発生するノイズを大きくしてしまう。それを耳鳴りと感じてるそうだ。
講演などでボリュームを上げすぎて、スピーカーからーッとかーンという大きな音が連続するような状況になるのと同じ要領だ。耳鳴りはそれが頭の中で起きているわけだ。決してセミが頭の中にいるわけではない。
人間のすべての感覚や行動にはフィードバックがかけられている。正常に働いているときは極めて有効だが、回路に異常が起きると、別の問題を起こしてしまう。
ともかく突発性難聴の最大の問題は、聞こえにくいことではなく耳鳴りである。


私が突発性難聴になってからもう13年になる。突発的に突発性難聴になったから、突発的に治るのではないかと期待したが、そういうことは起きないようだ。物事には可逆・非可逆があるのだ。
熱いお湯と水を混ぜればいい湯加減になるが、いい湯加減のお湯を熱湯と水に分けることはできない。

仕事で集中しているときは耳鳴りを感じないが、通勤時とかポケッ一息ついているときなどは、頭の中でキーンとかゴーという音が何時間も連続して鳴っていて、ものすごくイライラした。まさに先輩が頭の中でセミが鳴いているようだと語ったそのままだ。

2012年に引退してから暇にあかせて、耳鼻科に行ったり補聴器屋に相談に行ったりして改善できないか相談したが、良い話はなかった。
耳鼻科では突発性難聴になった直後なら治療する手だてはあるが、何年もたってからではどうしようもないという。また補聴器屋では耳鼻科で補聴器を勧められたなら可能性はあるが、耳鼻科でダメといわれたなら補聴器は役に立ちませんという。

耳鳴りは気になるともうたまらなくなる。虫に刺されてかゆいとき、かゆみ止めの薬をつけても簡単には止まらず、我慢できなくなることがあるでしょう。もう大声で叫びたくなる。叫んでもどうにもならないんだけどね。あれと同じです。
家にいても、街を歩いても、フィットネスクラブに行っても、泳いでいても耳鳴りがする。もうどうしようもない。

しかしだんだん生活が落ち着くというのか年を取ったからというのか、60代も半ばを過ぎるとあまり気にならなくなってきた。思うにやはり耳鳴りとの付き合いが長くなって気にしなくなってきたからではないかと思う。
70を過ぎるともうほとんど気にならない。気にならないというか、耳鳴りが聞こえなくなった。もちろん耳鳴りが止まったわけではない。耳鳴りしているかなと耳を澄ますと、いつでも耳鳴りしている。そして一旦気にすると、もう耳鳴りが止まらなくなる。不思議だなと思う。

気にならなくなったとは言え、耳鳴りが止まるなら治したい、でも治らなくてもしかたないと思う程度には悟りを開きました。諦めたともいう。
人間は不可能なことは受け入れるしかないという達観でしょう。

実をいうと…… この文章を書いていて、耳鳴りってどんなだったろうと考えたら、急に耳鳴りが始まり止まらない。耳鳴りを止めるには耳鳴りを考えないことだ。
ダチョウ倶楽部ではないが、耳鳴りするなんて考えるなよ、絶対考えるなよ……

突発性難聴になる人は、昔は少なかったそうですが、最近では増加傾向にあります。ここ10年のデータは見つかりませんでしたが、耳鼻科医のウェブサイトでは、受診しない人も多く年間発症者数は10万人いるかもしれないという記述もありました。

年間発症者数出典
 1971〜1973  3,000〜5,000人  注2
198716,700人 注1
199324,000人 注1
200135,000人 注1

注1:全国疫学調査結果を用いた突発性難聴年間受療患者数の地域別研究(2007)

注2:突発性難聴の現況(1995)


仮に全年齢で平均的に年間35,000人発症するとすれば、2〜3%の人が生涯のうちに突発性難聴になる計算になる。実際は中高年で発症する人が多いから発症者はそれ以上になる。その代わり苦しむ期間は短いはず。
ちなみに一生の間に交通事故にあう確率は40%、離婚する確率は35%と言われる。そう考えると突発性難聴になるリスクは非常に少ないのかもしれない。
もっとも年間10万人が発症しているという説をとれば、生涯で発生する確率は9%弱、これでも交通事故にも離婚にも負けているな……

突発性難聴になる確率が低いにしても、ならないことに越したことはない。
しかし原因がストレスと言われても、それを避けるのは具体的にどうするのかわからない。せめて予防するためにバランスの取れた健康的な食事、十分な睡眠をとることをお勧めする。
そういや私が会社勤めしていたときの睡眠時間は6時間を切っていた。千葉都民は辛いのだよ。


うそ800 本日の心残り

平均余命が干支一回りくらいになった今、やっておけばよかったとか、死ぬまでにやろうと思うことは多々ある。
40くらいのときプラモ作りに凝ったが、引っ越しで全部捨てた。引退してからまたプラモ作りをしようとしたら、老眼になっていて細かいパーツが見えないしつかめなかった。
元気なうちに歩こう 若い時 福島県の山に登ったが、老人の山の遭難が増えているので、今は筑波山と高尾山くらいしか行かない。
突発性難聴にならなかったらできたと思うことはいくつもある。それはちょっと残念だ。
せめてやりたいことでできることだけは、死ぬまでにしたい。
とりあえずコロナが収まったら、足が元気なうちに東京の博物館めぐりをしようと考えている。セイコーミュージアムとミツトヨ博物館は是が非でも行きたい。




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