共働きを追放しよう

21.05.13

半世紀も前のこと「ありがとう」というテレビドラマで、「共働き」という言葉を聞いてひどく驚いたのを今でも覚えている。「共働き」なんて言葉をそのとき初めて聞いた。夫婦二人とも働いているのを「共働き」というらしい。
私の周りではそんな言い方をせず、夫婦二人が外で働いているのを「共稼ぎ」と呼んでいた。昭和30年頃は共稼ぎは1割もいなかった。当時は子供が多く4人5人は普通にいたし、炊事・洗濯・家事全般が手作業で、専業主婦でないと家事の仕事量が大変だったこともある。
だから共稼ぎは、爺さん・ばあさんと同居とか、子供がいないとか、夫婦とも公務員で残業がない人でないとできないライフスタイルであった。

辞書を引いてみよう。

広辞苑第2版(1969出版)
【共稼ぎ】夫婦親子などが、共に稼いで一家の生計を立てていくこと
【共働き】共稼ぎに同じ

広辞苑第6版(2008出版)
【共稼ぎ】夫婦がともに働いて一家の生計を立ててゆくこと。ともばたらき。
【共働き】(「共稼ぎ」の語感を嫌って出来た語)→「共稼ぎ」に同じ

広辞苑の記述の違いから、夫婦がお金を稼いでいることを昔は共稼ぎと言っていたが、 広辞苑 時代が下ると共働きと言うように変わってきたととれる。とはいえ語の説明からみると、今も共稼ぎが首席で、共働きは次席のようだ。
「ら抜き言葉」とか「い抜き言葉」のように、言葉は言いやすい方に、文字数・音の数の少ないほうに変化していくのが普通だ。この場合、私は「共稼ぎ」より「共働き」のほうが、音の数も多く言いにくく、聞きにくいと思うがいかがだろう?
ところで昔は家族単位に考えていたのが、今は夫婦を基本に考えるようになったのか? これも時代の変化か。とはいえ、私が子供の頃から親子が働いていても「共稼ぎ」と言っていたケースを知らない。別の辞書によると明治頃には親子が働いているのを共稼ぎと呼んでいたと書いてあるものがあった。

しかし「共働き」というのはおかしいというか、大きな間違がある。
それじゃ専業主婦は働いていないことになるじゃないか。専業主婦だって外で働くと同等に働いている。語義通り考えれば、共働きでない夫婦がいるわけがない。
病気の人もいるだろうとおっしゃるか?
昔同僚の奥様が、若くしてくも膜下出血で寝たきりになってしまった。同僚はそのとき「家内は笑顔を見せてくれるだけで十分仕事している」と語った。病気などでできることが少なくても、家族はみな役目を持ちそれを果たしているはずだ。

配偶者の片方が外で働いて、他方が専業主婦・主夫をしているとき、その人は働いていないのか?
そんなことはない、主婦・主夫は重要な仕事である。
主婦・主夫の仕事は多岐にわたり極めて複雑かつ仕事量は多い。炊事、洗濯などの家事や育児だけではない。近隣や親せきとの付き合い冠婚葬祭などもある。家計の管理、行政の届などなどあげればものすごいボリュームだ。
洗濯 しかも非定形、非定常的な仕事が多い。私にとって洗濯は車の運転より複雑だと考えている。冗談ではない、一度やってみればわかる。雨なら外側の物干し竿は使わない、家内のこれは裏返して干す、ボタンが取れそうなところはないか、破れやほつれはないか、もしあればそれを覚えておいて取り込んだら繕いをする。風の強い日は…季節によって日の射す範囲が違うからそれに合わせる…気を遣うところは多い。
ともかく専業主婦・主夫の仕事はハンパではなく、企業で働くと同等の労働だ。

ちなみに英語では夫婦がともに自営や企業で働くことを、Earn money together(一緒にお金を稼ぐ)とかDouble-income(ふたつの収入)と表現する。要するにお金を稼いでいると言っているのだ。働いているのは当然だから、わざわざ共に働いているとは言わない。
workとは何かを生み出すとか達成するための努力や活動であり、金銭を得る仕事ばかりでなく、無償のボランティア活動も家事も学業も入る。まさか中学1年で習ったhomeworkを忘れていないだろう?

普通、子供の仕事は勉強なんて言う。しかしなぜか日本ではボランティア活動は働くこととみなされていないようだ。奥様がNPOやマンション組合とか地域活動をされていても、仕事とみなされず共働きでないようだ。どういう基準なんだろうね?

働くこととお金を稼ぐことは、イコールではない。英語ではone daller manなんて言い方がある。
I'm not a button.
🙂
Smile is priceless.
「1ドルの男」と聞くと値打ちがないように聞こえるが、その逆だ。プライスレスとは値段がつかないのではなく、値段がつけられないこと。
それと同じく「1ドルの男」とは報酬1ドルだけで重要な職に就くとか、安い報酬で人々のために戦うなんてカッコいい役だ。1ドルもらうのは形式だ。離婚のときたとえ1万でも慰謝料を取れば、相手有責であるのがわかるのと同じ。
日本だって傾いた会社を立て直すために、高名な経営者が無報酬で就任するなんてあったよね。

注:1960年のこと、間組は皇居建設工事に1万円で入札した。イレギュラーとしてやり直しになったが、その心は日本人なら理解できるはず。

実際に家事労働の価値(対価)は計算されている。方法は3つあるそうだが、概ね300〜400万(2021年時点)になる。税引き後のわけだから立派な大人の年収である。
ちなみにサラリーマンの平均年収は税込で436万だ(2019年国税庁調査)。


いずれにしても共働きと共稼ぎは全く意味が異なる。
そういわれても納得できませんか?
共稼ぎとは語感が悪いのでしょうか?
稼ぐとは卑しいことなのでしょうか?
稼ぐという言葉は忌避すべきなのでしょうか?

稼ぐという語に、嫌らしいとか卑賎というイメージをお持ちならそれは間違っている。
すべてはお金を稼ぐため だって、あなたはお金を稼ぐために会社で働いているのでしょう。少しでも多くお金を得るために、良い学校に通い、良い成績を取ろうとする、国家資格を取ろうとする。すべてはお金を稼ぐためじゃないですか?
どうしても稼ぐといいたくないなら、収入でもいいし実入りでもなんでもいいが、お金を稼ぐと働くとは意味が違うことをご理解いただきたい。

ともかく「共働き」とは<専業主婦は働いていない>という差別語である。
共働きなんていうたら、専業主婦は怒りますよ
『うちらは働いてないちゅうんか?』ってね

私はこの「共働き」という言葉に非常に嫌悪を感じる。共働きとは専業主婦・主夫を差別した言葉だ。それは差別用語であり放送禁止にすべきだ。
そもそも専業主婦を共働きでないというのは事実と異なっている。


ネットで私と同じことを語っている人はいないのかと探した。
あった!
「共働き」という言葉ちょっと待った。専業主婦だって「働いて」いる
「『共働き』は家事や育児を仕事や労働とみなさない用語だからです」
この先生良いこと言っていると思う人がいるかもしれないが、私は当たり前のことを言っていると思う。ともかく同志とみなそう。

ちなみに新聞では「共稼ぎ」は語感が良くないから「なるべく『共働き』に言い換える」(時事通信社『用字用語ブック』ほか)としている。
語感が良いか悪いかは主観の問題だが、語義は主観ではないだろう。どうかしてるぞ。まあ、マスゴミならしょうがない。


私たち夫婦は結婚して半世紀になる。正確に言えば再来年金婚式だ。
夫婦は平等であり同権である 家内は家の中だけでなく、外の仕事も義理も付き合いもみんな適切に処理してくれた。
稼ぎの悪い夫であったが、家内の才覚で奨学金も借りず仕送りして子供二人を私立大学に行かせ、中古の家もローンなしで買った。我が家は結婚してからずっと無借金経営である。すべては家内のおかげ、内助どころではない、偉大な女性である。
家内を共働きでないなどと言ったら私は許さない。家内は私以上に働き経済的にも寄与している。家内を見ていると「共働き」を死語にしなければならないと誓う。


この文を書いたきっかけは、定年退職者向けの本を読んだからだ。著者は定年退職した男性がなにもせずにいると奥さんに邪険にされるぞと書いていた。
それを読んで<なにもせず>とはどんな意味かなと考えた。真面目に年金を収めてきたならば、引退してなお金を稼がなければならないこともないだろう。今お金を稼いでいないにしても引退後の分まで現役時代稼いでいたわけだ。
しかし家族として家事や必要なことをするのは当然だろう。稼ぐと働くは違うと考えていて、昔見たテレビドラマ「ありがとう」を思い出したのだ。
少しもありがたくないドラマであった。


 本日の宣言

定年退職者である私は、今はお金を稼いでないけれど、家事もするし地域のために働いてもいるのである。
えっ タイトルが詐欺的だって、何かおかしいですか




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