故郷ふるさとは…

23.04.17

4月になってマスク😷も限定付きだが解禁となり、旅行してもよいだろうと考えた。最大の理由は田舎の親戚が来てもよいぞと言ったからだ。

マスク

実を言って田舎に帰るのを止めたのは、2020年にコロナが日本でも流行しだしたとき、田舎の人から「都会から帰ってくると田舎の人を感染させるから帰ってくるな」と言われたからだ。東日本大震災のとき福島県人は都会に来るなと言われた意趣返しか。

おっと私たち夫婦の親戚・知り合いでコロナにかかったのは、田舎にいる家内の妹とその娘だけで、都会に来てからの知人・隣人で感染した人はいない。コロナは都会より田舎が危険……かどうかは分からないが、田舎の人は公私ともに飲む・食べる機会が多いせいかもしれない。


ともかく種々事情も変わり、旅行できるようになった。まずは墓参りに行かねばと思った。春のお彼岸には出遅れたが、3年も墓参りを怠っていたのだから、更に半月遅れても問題ないだろう。

東北新幹線東北新幹線

田舎に行くのも新幹線に乗るのも、3年半ぶりである。あれほど旅行好きな我が夫婦も、旅行というか泊りがけのお出かけは久しぶりだ。
出かけるとき向こうは寒いだろう、いや桜が咲いたとニュースで言っていたとか、どんな服を持っていくか家内と話した。
その結果、私がリックを背負っていくことになり、そこにダウンジャケットとか冬物の下着や靴下を入れた。登山するようだ、ヤレヤレ


郡山駅を出たとたん……北風ピューピュー、2・3分外にいれば鼻水が垂れてくる。千葉なら真冬の寒さだ。義妹が車で迎えに来てくれたのですぐに乗り込む。
義妹はその日の朝は−2℃だったという。たまげた。だって4月だよ。ちなみにその日、千葉の最低気温は6℃だった。
そしてせっかくだから花見に行こうという。それも会津だ。


まずは猪苗代湖そばの観音寺川の桜🌸である。福島県では有名な花見の場所である。ソメイヨシノが7分咲きだったが春爛漫どころではない、地面は積雪数センチ、吹雪いている。ジャケットの襟を起こして手で押さえる。
息が白いなんていうものじゃない、ものすごい風で口も開けていられません。

観音寺川の桜

時々雲が切れて磐梯山の頂上が見える。当然真っ白。家内は「富士山みたいだね」とのどかである。
私は桜を見るどころでなく、手足が冷えきってブルブル震えておりました。そうなってから冬物を持ってきたことを思い出し、リックからダウンベストと手袋を出して身に着けます。ほっと一息、でも足元が冷たいことは変わりません。靴までは冬物を持ってきていません。靴底から寒さが伝わります。

私は寒さで凍えそうでしたが、吹雪と桜が一緒に見られて良かったねとは、家内の弁
滝桜で有名な福島県 三春町の名の由来は、梅・桜・桃が同時に咲くからといわれます。それなら雪と桜が同時に見られる観音寺は、二季とでもいうのでしょうか?
寒さはともかく、雪と桜の組み合わせはわが人生初めての体験でした。


それから会津若松だ!と車は突っ走るのです。鶴ヶ城に行ったのは何年ぶりでしょう?
ここも桜🌸満開ですが、北風も全開でして、寒いことこの上ない。そして風の強さといったら息も苦しいほど、風から顔を背けて歩きました。

なぜか夜は会津若松の温泉宿です。家内と義妹で予定を組んでいたようです。我が家は妻が全権者、私など刺身の妻
温泉に行ったのは、これもまたコロナ流行前のこと。3年ぶりにのんびりと湯につかり……露天風呂には入りませんでした。外は一面の銀世界、風も強くとても寒い、なにが悲しくて(以下略)
ちなみに郡山の人も会津の人も、今年は寒かったとのこと。


二日目はかの有名(らしい)な、喜多方市にある日中線跡のしだれ桜並木。前日とは一転して、風もなくお日様も顔を出して穏やか。この日 喜多方市の最高気温は20.2℃、最低気温は−2.2℃でした。前日は10.1℃と0.1℃、最高気温が10℃も違いました。最低は逆ですが、朝 誰も起きだす前に少しくらいの差は気にならないのですね。
地球温暖化で気温上昇が1.5℃とかいうのは……大したことなさそう。

満開の桜並木の背景は、中腹より上が雪で真っ白な飯豊いいで連峰です。手前は桜並木、その後ろは山麓まで続く田畑で、はるかかなたに2000m級の山々の連なりは絵になります。来る人来る人、皆写真を撮っていました。私もです。
もっとも望遠でなければあの雄大さは撮れません。飯豊連峰は遠くに小さく写っているだけです。

日中線とは1980年代に廃線になったローカル線です。それを偲んで線路跡地に地域でしだれ桜を植えたそうです。 蒸気機関車 記念に昔走っていた蒸気機関車も置いてあります。
線路が施設されていた中央は遊歩道となっており、その両側にしだれ桜と、ところどころにソメイヨシノが植えてあります。その並木道の長さなんと3キロ以上。

東京で花見なら千鳥ヶ淵とか靖国神社と言われますが、日中線跡とは比較になりません。ちなみに千鳥ヶ淵は約700m、桜の本数260本、靖国神社は500本。なお上野公園が800本、都で最大本数は昭和記念公園の1500本です。
対する日中線は、3000mで1000本。千鳥ヶ淵も裸足で逃げ出すこと間違いなし。
ただ植えられてからあまり年数が経っていませんから、木の太さはそれほどではありません。あと15年も経ったら全国有数の名所になりますよ。もちろんソメイヨシノではないから花はピンクで好き嫌いはあるでしょう。

歩き始めたときは端から端まで往復しようと言っていたのですが、往復6キロは長いです。途中棄権しました。
何事も皮相的にみる私ですが、日中線跡の桜はイチオシです。


会津への行き帰り、近くは道の両側から遠くは山の斜面に、太陽光パネルが敷き詰められているのが目につきます。自然破壊そのまんま、これで良いのかと思いました。太陽光発電を野放図に設置していても、災害が起きないように祈るしかありません。

福島県の再生可能エネルギーの状況を探すと「令和3(2021)年度 福島県内における再生可能エネルギー導入実績」というのがありました。
これによると福島県の電力消費量の86.8%が再生可能エネルギーで賄われていて、その83%が太陽光発電という信じられない話。
太陽光パネル まあよく考えると、元々福島県にあった水力発電も原子力発電も火力発電所も多くは東京電力のもの。東北電力ではありません。
福島県は経済後進県だから元々電力消費量が少なく、ちょっと太陽光パネルを設置すればすごい効果があるのでしょうか?
ちなみに東京都の電力消費量の内、都内での太陽光発電量は19.2%だそうです。

しかし別の出典によると福島県の再生可能エネルギー比率(2016)は25%、東京都は5%となっている。
5年間に再生可能エネルギー比率が福島県は25%から86%まで3倍、東京都は5%から19%まで4倍も増加するとは思えず……どちらか、あるいは両方眉唾ですね。


家内の実家に行って大発見。義母は93歳だと思っていたら、95歳だった。元気で何よりです。
しかし耳も目も頭も元気なのですが、昔話が多くなったなあ〜という思いはしました。以前はクヨクヨするな・いやな過去は忘れろという心意気の方でしたが、今は高校生になった彦の心配までしている。歳をとったからでしょう。
義母が「親戚の○○は亡くなった」とか「同級生の○○はボケた」とか語るのを聞くと残念な気持ちもありますが、歳を考えるとそれも仕方ないと思います。

墓参りをして線香を上げ冥福を祈ったのち空を見上げると、目に入るのは雲一つない青空で、耳に入るのはウグイスの鳴き声。風流な人なら一句詠むのでしょうけど、私は才がなくただ感動するのみ。


郡山市内はもう人口が減ってガラガラって感じですね。郡山市の人口は2010年の33.9万人をピークに減少傾向に入り2020年は32.8万と10年で3%の減。全国的な人口減もあるでしょうし、東日本大震災の影響もあったと思います。
市内の大通りを走っても空き地が目立ちます。東京や千葉ならすぐに有料駐車場になるのでしょうけど、本当に何もない空き地です。そういうのがいたるところにあるのです。空き家も多いように感じました。

福島県の中心都市である郡山市が人口減少ですから、他の市町村はそれ以上に人口が減っています。
頑張ろう福島 私が生まれた1949年の福島県人口は206万人でした。平成になった1989年210万人、1995年がピークの213万、東日本大震災の2011年は201万、それ以降は滑り落ちるように減っています。2015年192万、2020年183万、2023年は179万らしい。
東日本大震災以降、郡山市の人口は3%減ですが、福島県は11%減、恐ろしいことです。


昔の詩に、故郷は遠きにありて思うもの、そして悲しく思うもの……とあります。
3年ぶりに訪れた故郷は、記憶とは全く異なり異国としか思えません。
家がどんどん建て直され、更に東日本大震災で破壊した建物の撤去や整地されたこともあるでしょう。もう思い出のある家も道も林も、かってランドマークだった煙突も建物もありません。
家内の実家も義弟が建て直してから早30年、既に木造家屋の耐用年数を過ぎています。同じ所に住んでいても、他の家も同様で、建て直され、更に建て直されている。

高校は一クラス50人でした。1960年代は高度成長期ど真ん中、9割は東京や大阪に就職して地元に残ったのは数人。亡くなったのもいますが、まだ1名住んでいたはずと行ってみると、空き家でした。
コロナ以前に帰省したとき会ったことがあります。息子が医者になり秋田か山形にいて、来い来いと言っていると語っていました。高齢になった今、そこに越したのだろうと思います。
時は止まらず世は替わる……世は去り世はきたるは旧約の時代からのことわり


福島はアメリカと同じく、車がないと暮らせない。コンビニに行くにも、床屋に行くにも、飲みに行くにも車(帰りは運転代行)です。
不便ということもありますが、田舎の人は歩かないのです。歩いて数分のスーパーにも車で行きます。私も田舎にいたときは一日に歩くのは4000歩くらいだったのが、東京に住むと通勤だけで7000歩は歩きました。

最近、高齢者の運転による事故が大きな問題となっています。義妹、義弟をはじめ友人も60代後半から70代となりました。みな高齢になってから運転するのをどう思っているのか、それとなく聞きました。

💥プリウス

車は必需品というところに住んでいても、75歳になったら免許を返納するという人が多かったです。では暮らしはどうするかとなると、車がなくても暮らせるところに引っ越すと言うのです。
実は私の知り合いには、定年後 郊外に建てた一戸建てを売り、市街地のマンションに移り住んだ人が何人もいます。子供たちが出てしまうと5部屋も要らないとか、掃除が大変とか、庭の手入れができない、医者が近くにない、ごみ捨て当番が…などなどの理由です。火事でも救急車でも、来るのに時間がかかるところは不安ですよね。

私も玄関ドアにカギをかけると外出できる今のマンションが楽でいいです。田舎で一戸建てに住んでいた時は、外出時には6か所もカギをかけました。
マンションは狭いですが、もし来客があればマンションのゲストルームに泊まってもらいます。年に何度もないことにお金をかけることありません。

テレビで「車がなければ生きていけない」とか、あげくには「高齢者は免許を返納しろとは死ねというのか」なんて語る過疎地の老人が映されるのをたびたび観ます。
親せきや知り合いには、そんな幼児のように駄々をこねる人はおらず安心しました。
ちなみに私は満70歳になったとき免許返納しました。

誤解ないように、私が轢かれないためでなく、彼らが犯罪者にならないこと、晩節を汚さないことを喜んだのです。
世の中には自分が加害者になるかもしれないと考えられない人が多く、功成り名遂げても、人生の最後で犯罪者になってはボトムライン最終損益が大幅赤字です。
かわいそうなのは被害者ですが、その次にかわいそうなのは加害者本人です。

人生収支計算書
科目評価
生涯年収
高学歴
博士
○○会社社長
著書
周りからの尊敬
○○勲章
自動車暴走死傷事故

○○○○
○○
○○
○○○
○冊
○○○○
○○○






消滅
剥奪
禁固○年
慰謝料支払い

生涯利益▲算定不可


うそ800 本日のことわざ

千葉に住んで早20余年、温暖で雪の降らない千葉に体がすっかりなじんでしまい、福島に来ると寒くて チーバ君 とても住めないと感じました。

福島に生まれ育ち50歳まで住んでいたわけですが、もう福島は故郷ではない、今住んでいる千葉が私の故郷だと認識しました。
住めば都といいますが、住めば故郷なのは間違いない。
私の故郷は千葉、私は千葉が好きです。

トロピカルドリンク いや、正直言いますと、千葉よりグアムとかハワイのほうがマッチベターですね。願わくばヤシの木陰のハンモックに揺られ、トロピカルドリンクと読書で余生を過ごしたいものです。



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