働くために食うのか?食うために働くのか?2002.01.08
分からないことがあったら年寄りに聞きなさい
昔、子供のときに、物知りだったおばに「人は働くために食うのか?食うために働くのか?」と聞いたことがあります。
おばは「偉い人は働くために食べ、凡人は食うために働く」と教えてくれました。 はたしてこれは正しいんでしょうか?

我々、いや少なくとも私は今現在食べるために働いています。そして時々宝くじなんか買いまして、「一億円当たったら会社辞めるぞ!」なんて言ってますが、勿論当ったためしはありません。
最近は会社勤めじゃなくて好きな生き方をしたいと考えてらっしゃる方が多いようです。私のまわりにもストリートミュージシャンとか演劇を志している若者がたくさんいます。もっとも暮らしに困ると親のところに転がり込んできてますけどね(^^)

社名は知りませんがトラックの後ろに「自分」「会社」「社会」と三つの円を書き、それらが重なったところに天職と書いてあるのを見たことがあります。
天職(転職じゃありませんよ)なんていい響きでしょう!
自分に合った、社会のためになる仕事につけたら生まれてきた甲斐があるというものです。

人間がみな天職にめぐり合えるとは思えませんが、人は社会に貢献するために生まれてくるのだと思います。「そりゃ全体主義だ!」なんて言わないでください。人間は社会的な生き物です。生存の欲求を満たせば社会的な欲求を欲します。最終目的には自己実現といいますか存在意義を確認することであり、それは社会貢献によって満たされます。社会に貢献しろと言われれば反発するかもしれませんが、自分に誇りを持つためには社会に貢献しなくてはならない理屈です。

日本でもキリスト教の新教徒も働くことが美徳です。
なぜ働くのかと言いますと、働くことが信仰であり、行であり、人生の目的だからです。
修道院では自給自足、仕事をすることが信仰そのものです。
坊さんがお経をあげるのと同じく、職人がいい仕事をするのは神仏に対する信仰そのものだと思います。
ほとんどの方は生活費を得るために働いているのでしょうが、金はあっても社会に貢献するために働いている方もいます。
「ワンダラーマン」という言葉を聞いたことがあります。直訳すると「一ドルの人」なんじゃそれ??
暮らしに困らない人が公職などにつき、たとえば年俸1ドルといった賃金で働く人のことだそうです。
ボランティアの社会貢献ももちろん結構です。しかし、自分の仕事で一生懸命働くことが神への信仰であり、社会への貢献と考えなかったらすべての人は救いを見出せないのではないでしょうか?
私は働くために食うのではなく、食うために働くのでもない。社会に貢献するために食うのだと考えてます。

なんか最近は年寄りじみた教訓が多いですね(^^)
いえ、門松をくぐってひとつ年をとったというわけじゃないんです。
実は遠くに住んでいる息子がこのホームページを見ていると言うので、少しばかり教訓を垂れておるのです。

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