成人式を考える2002.01.14
2001年は成人式が大荒れでした。
今年の成人式はどうなるのでしょうか?いずれお昼には判明するでしょう。などと選挙結果を待つような口ぶりです。(^^)

そもそも、式とは何でしょうか?
広辞苑を引きますと『式』には意味が多々ありますが、(2)儀式が該当しそうです。「儀式」とは「公事、冠婚葬祭にさいし、一定の規則にしたがって行う作法、またはその行事」だそうであります。

人間は馬鹿じゃありませんから、式そのものの価値を計っていると思います。
私は過去幾多の卒業あるいは修了式に参列しましたが感激したもの、緊張したもの、喜びあふれるものもあった反面、まったく感動しなかったものも多々あります。 式の価値はそこに至るまでの努力に比例するのです。

「酒もタバコも女も経験済みです。成人式をきっかけにタバコを止めます。」なんて昨年のテレビインタビューで言っていた参列者がいました。てらいもあり、受け狙いもあるでしょうが実態もそうかけ離れてはいないでしょう。
成人式の意義なんて元々ありませんものね、

努力なしに成人になるならば成人式は無意味・無価値であるのは論理的帰結です。
主催者は出席してくれた労をねぎらうべきかもしれません。

成人式での騒ぎどうこうは単なる現象です。
成人式が価値がないから、出席者が盛り上げているのかもしれません。
私は成人式で暴動を起こすのが良いとは思いません。しかし成人式に緊張感を持ち涙があふれるほど感激して出席している方はいらっしゃらないでしょうね
成人式がすばらしいと感じるためには、日本の成人が誇りあるものでなければならないでしょう。
自国の国歌、国旗を敬わないこの国で市民となることが誇らしいものであるはずはありません


本日の主張!

成人式が厳粛であるためには、
成人式が価値あるものでなければならず、
そのためには日本の市民であることが誇りあるものでなければならない。


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