自己の存在 2002.02.22
文化遺産ってたくさんあります。
大仏、五重塔、仏像、橋、庭園、何百年も千年以上も前のものもあります。
これらを作られた方は幸せです。
自分が作ったものが形として後世に残ったのですから。
形ある物でなくとも百人一首や古今和歌集に自分の作品が一首だけでも収録されたらなんと素晴らしいことでしょう!
それは自分がその時代に存在したということの証です。

私は毎日 仕事をしていて、自分がこの社会に何を残したのか?何を残せるだろうかと考え込むことがあります。
ひな祭り 私は今まで各種電気製品の製造に関わってきました。
30代は朝早くから夜遅くまで働いて一生懸命新機種を他社より早く市場に出そうとがんばってました。
私の関わった各種製品は日本中に出荷されて大勢のお客さんに使われました。輸出もしてました。
でも20年前、いや10年前に私が関わった製品はもはやお客さんに使われてはいないでしょう。
みんな、廃棄物、ゴミになってしまったことは間違いありません。
私が死んだら私が作ったものは何一つ地上に残らないでしょう。それは悲しいことです。
自分の名前が残らなくとも、自分が作った何かが後世に、せめて100年後くらいまで残って欲しいと思います。
何でもいいですが、自分が作ったものが後世に残ったら素晴らしいことですよね。

鯉のぼり私が残せるもの、残さなくてはならないものとして考えるのはこの日本です。この日本のすべてを子供、孫の時代に伝えたいということですね、
日本という国、社会、文化は英雄や天才でない一般市井の人が連綿として伝えてきたのです。
お正月に神社におまいりし、豆まきをし、女の子の成長をひな祭りで喜び、男の子が生まれたら鯉のぼりをあげる。春と秋のお彼岸、お盆にはお墓参りをする、そういったことすべてが日本なんだなあと考えてます。

自分が作った電気製品が100年後に残らなくても当然でしょう。
でも100年後にも日本の良い伝統が残っていたら、自分が生まれて先人のよさを子孫に伝えることができた、その鎖のひとつになれたことを最高の喜びと思います。

そんな形で私が存在したという事実を残したい。

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