砂上の楼閣 2002.02.23
本日は環境のお話し、、でもあまりためになりません。
私たちが毎朝起きるとクリーンヒーターかファンヒーターがタイマーで働いてお部屋は暖房されています。あるいはセントラルヒーティングかもしれません。
夏はもちろんエアコンが快適な温湿度を保っています。
顔を洗うのは温水の出る洗面所、
水洗トイレは快適です。最近は温水でお尻を洗ってくれます。
駅からは電車で学校、勤め先へ、あるいは3ナンバーの車に一人乗ってご通勤、
こんな生活当たり前ですよね?
みなさんこのような生活がいつまで続くと考えてらっしゃいます?
子供の代まで?孫の代まで?それともず〜っとですか??
自分が年寄りになる前に破綻すると考えている方いませんか?

(財)省エネルギーセンターという組織があり、会社や工場に省エネの指導をしてくれます。
私の勤め先で省エネセンターにご指導をお願いして視察していただきいろいろ改善策のアドバイスなどをいただきました。
そのとき、お見えになった方が『私たちの生活は砂上の楼閣ですよ。遠い未来では人類の歴史の中でほんの一瞬エネルギーを浪費した時代として記録されるんじゃないですか。』とおっしゃっていました。
まさしくそのとおりだと思います。
私が生まれたのは引揚者用の住宅で6畳と4畳半台所という長屋でした。
引揚者って分かりますか?満州とか朝鮮に住んでいて終戦になって日本に戻ってきた人のことです。
そんな家に両親と子供4人それに祖母の7人が暮らしていました。これがほんの50年位前の暮らしだったのです。
長屋の屋根はなんだと思います。瓦?トタン?とんでもない。杉の皮でした。
水道はなく、もちろん風呂はなし。長屋のところどころに水道がありました。奥さん連中はその水道で洗濯ものを洗い、炊事をしました。そしていわゆる井戸端会議をしていました。
電気といってもあるのは照明くらいでした。
子供のときラジオがある家は少なく、私たちはラジオのある家の外で『ボリューム大きくしてください』とお願いして『笛吹き童子』なんていうのを聞かせてもらってました。今でも覚えています「ピーヒャララ♪」というメロディを、
小学校のときに各家に水道が引かれました。そしてどの家でも風呂を持つようになりました。
子供の頃、風呂のまき割りが日課でした。
その後近所が石油風呂とかガス風呂に切り替わっても、親父は今に石油危機がくるからといって我が家ではずっとまきで焚いてました。
時々電気店、そのころはラジオ屋といいましたがテレビを持ってきて、田舎のことでしたから地主なんかの家に近所の人を集めてテレビとはこういうもんですよ、とデモをしました。そこで私ははじめてプロ野球というのを見ました。
高校のときに「みんなの家のコタツはなんだ?」と聞いたことがあり、練炭や木炭が8割くらいだったと記憶してます。残りの2割が電気コタツというものを使用していました。当時は練炭中毒で死ぬ人がたくさんいました。
当時は電流容量が10Aが普通でした。白熱電球の照明が用途の主体でしたからそんなもので十分だったのでしょう。月の電力量も数十キロWhだったと思います。
いつの間にか家庭には電化製品があふれ、電流容量は30A、50Aとうなぎのぼり、月の電力量も300kWhなんてことになりました。
私は50代半ばですが今の生活は子供の頃に想像したものがすべて実現され、夢に願った生活レベルをはるかに超えています。
で、年寄りの杞憂かもしれませんが、この生活は永遠には続かないだろうと予感します。

車のガソリンがリッター100円とは安いと思いませんか?税金が半分だよって?
そういう意味じゃなくて、一度使えばなくなってしまう貴重な資源がそんなに安くていいのだろうかと思います。
この車はハイブリッドカーです。とか電気自動車ですといってもエネルギー源は石油であることに変わりありません。
LCAという言葉をご存知ですか?ライフサイクルアセスメントの略で製品の一生で消費する資源をトータルして評価しようという考えです。
例えば積載量や性能が同じとしてリッター15km走る車とリッター20km走る車を比較すればだれでもリッター20kmの方がいいと思いますでしょう。でも、その車を作るには希少資源を使い、製造には多くのエネルギーを使う、あるいは廃却するときに有害な廃棄物が出るかもしれません。二つを比較するにはこれら全部をひっくるめて本当に燃費がいいのかの判定が必要です。
補助金というエネルギーで回りますあるいは簡単に経済計算してみましょう。
話を簡単にするために毎年1万キロ走り10年使うと仮定します。リッター100円とします。
リッター20キロの車は寿命の間に5000リットル使います。リッター15キロの車は6666リットル使います。
燃料代は50万円と67万円ですから10年間に17万違います。今売られているハイブリッド車あるいは省エネタイプ車が同等のタイプより17万以上高いことは自明です。
省エネタイプの車を買うと税制で恩恵があるって?みんなそれを買ったら制度が破綻しますよ。
なにごとも経済の原則からは逃れることはできません。

もっと大きく見れば、社会のエネルギー効率を上げることを考えるべきです。
私の住んでいる市で省エネのために風力発電を市の施設で採用する是非についてアンケートがありました。
私はその発想がまったく理解できません。
私の住む地方都市は駅前は寂れる一方です。郊外に大規模ショッピングセンターがいくつもでき家族連れは車で10km以上はなれたそれら郊外の大型店をはしごして買い物をしています。買い物というよりレジャーなんですが、
まさにアメリカ的、エネルギー浪費型の都市です。
こんな状況でわずかばかりの電気を風力で作ってなんになるんでしょう?免罪符にもなりません。
私は自由意見としていろいろ書きました。街並みを歩くのがもっと楽しくなるようにして、車で移動するより歩いて行くことを自然に選択するような雰囲気の都市を創るべきですと・・・・
ちなみに風力発電がペイすると思っている方いますか?私の知る限り各種補助金で動かしているのが実態です。あれは風で動いているんじゃありません。補助金が羽を回しているんです。

人間も恐竜のように滅んでしまうよ 話があちこちと発散しましたが、私たちの現在の暮らしはいつまでも続くものではない、砂上の楼閣です。
恐竜が闊歩していた世界は一瞬にして破滅しました。このエネルギー浪費社会も元を断たれれば一瞬で破滅します。
国家として、社会として、もっとエネルギー効率をあげることを考えるべきです。
京都議定書がどうたらということではなく、人間として長く生き延びるために何をすべきか、何をやめるべきかを考え、日本をそういったシステムに変えていくべきです。

『21世紀は江戸時代』なんて本がありました。
悲観的でなく、積極的に良い意味で自給自足ができる21世紀にしませんか?

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