靖国神社 2002.04.28
都会に転居して初めての連休です。
どこかに出かけようかと思いましたが、どこも人出が多そうです。
今まで行ったことがなく、人出も少ない所と考えて靖国神社に行くことにしました。

JR市ヶ谷駅で降りて歩くこと10分弱、木々が茂る靖国神社に着きました。
思いのほか大勢の方々が参拝していました。
外人も多いですね、

入り口です

実ははじめ神門からでなく南門から入ってしまい、しまったと思いました。
やはり荘厳な感じは大村益次郎の方から進まなくてはなりません。
境内には思った以上の参拝者がおられました。
「ここに親父がいるんだ」という声を聞いて振り向くと、私より年配の方が老婦人の座った車椅子を押していました。

「本当の歴史を伝えにゃいかん」という声が聞こえました。
見ると、80近い正装した紳士が二人話しながら通り過ぎていきました。
きっと太平洋戦争に参戦され、本日は戦友に会うために参拝されたのでしょう。

中ほどです 若い方、子供をつれた若い夫婦も多いのに驚きました。
実は私、靖国神社に来たのは初めてです。
靖国神社って若い世代からは見捨てられているのではないか?と推察していたのです。(スミマセン)
と言いますのは、サヨクメディアでは靖国に参拝するのは悪であるような報道がされており、若い方々は靖国にこられないのかと考えていたからです。
そんなことはないことが分かり、ホットいたしました。

本殿です
本殿で参拝し、遊就館を見学しました。
遊就館は現在工事中でまもなく新しい展示場ができるそうです。
完成後はゼロ戦や特殊潜航艇が展示されるとのこと、また来なくてはならないなと思いました。

閑静な神池公園
最後に神池公園に行きました。
池に泳ぐ鯉を眺めていますと、相撲場から大きな声が聞こえてきます。
ここには日本があると感じました。



靖国神社参拝記念に日章旗を買い求めました。
明日、みどりの日にはこれを揚げたいのですが、集合住宅の我が家には掲揚する場所もありません。
せめて心に大きな日の丸を揚げたいと思います。


本日は非常に細かな個人的な感情のみで失礼いたします。



リストラ間近の再三です。
相方もけっこう真面目な部分があるんですね。靖国神社はやっぱりいいですよね。
我々日本人としての心の拠り所というか、故郷といっても過言ではないでしょうか。ご苦労様でした。



憂国のk伍長殿より(2002.04.29)
伍長です。まずは祖国日本の為に勇戦力闘した結果一命を捧げられ、靖国神社に合祀された「英霊」に対しまずは心から敬意と感謝の念を捧げたく存じます。
小生もかつて上京した際に一度足を運んでおりました。遊就館に展示された遺書などを見て、胸に熱いものがこみ上げてきたのを今でも思い出します。
靖国神社には日本人としてのアイデンティティーが凝縮されており、一人でも多くの方に足を運んで戴き「英霊」に対して思いを馳せて戴きたいと思っております。
小生もいずれ上京の機会には再訪したいと考えております。



不良中年様から(2002.04.30)

お世話になってます、不良中年です。
佐為様も靖國神社に参拝なさったそうで、私も始めて参拝したときの事を思いだしました。昨年10月に初めて行ったのですがその日は雨でした。
菊の紋
2回目は11月で、この時は良い天気で、89式15糎加農砲の前のベンチで旧陸軍の召集兵だった方とお話する機会を得ました。この方は南方戦線でどこかの島の守備隊にいたそうですが、米軍の飛び石作戦によって上陸のなかった島だったそうで、終戦までたいした戦闘もなく、食料にもそれほど困らなかったそうです。
日本に帰ってからの方が食糧事情は悪かったとのことでした。
いずれにせよ、現役世代の方から貴重なお話を聞くことができ、大変嬉しく思いました。

佐為様も次回参拝されるときに、ベンチでお休みになっているお年寄りの方がいらしたら話しかけてみられたらどうでしょうか。
それと、靖國神社には外国の方も多くいらしてまして、言葉を聞くと中国、韓国辺りの方も見受けました。
もちろん、遺族会の方や旧軍人の方のような結構高齢の方達が多かったですが、若い人も結構いましたし、マスコミが報道するほどのこともなく、諸外国にも、一般市民にも靖國神社は受け入れられているように感じました。

そうそう、書き忘れました。
一度暇を見つけて横須賀の三笠公園に是非足を伸ばされると良いかと思います。
一度兵装を解かれた戦艦ですが、それなりの形に復元してあり、内部の各種展示物は本物のみが持つ迫力と訴求力で見るものを迎えてくれます。
私は一度しか行けませんでしたが、感動を覚えました。

追伸 靖國神社の遊就館は7月に落成のようで、私はいついけるか分かりませんが、そのうち必ず行きたいと思っております。
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