常識たあ何だ 2002.05.12
毎度ばかばかしいお話で恐縮ですが、、
本日もまた馬鹿馬鹿しいお話を・・・・

 では今日は常識について考えて見ましょう。

小説や映画で子供が自宅から小学校、中学校、高校、大学へと通うなんてシチュエーションがありますね。
あれ、子供のときからズット不思議に思っていました。
なにが不思議か?って、
だって自宅から通えるところに小学校、中学校、高校、大学があるなんて、ものすごいことですよね?子供のときそんなことがあるなんて信じられませんでした。 私が通った小学校まで約4キロ、子供の足で歩いて1時間はかかりました。中学校は少し近かったですが、それでも3キロありました。
高校は遠くの市まで汽車(私の高校時代は蒸気機関車が客車を引いていました。今の人にはうらやましい経験でしょう)で通いました。

そりゃ昔のことだなんて言っちゃいけません、たかだか30数年前ですよ。
現在の話をすれば、私の姪は複式学級です。一学年の在学生が一クラスに満たないので小学1年と2年をまとめて授業するんです。
私の同僚の息子は高校に行くために下宿しています。村に高校がなく、高校に行くには遠くの町に住まなくてはならないからです。
大林宣彦の映画『さびしんぼう』の中に船で通学する場面がありました。スゴイと感心しました。
世の中、いえ日本も広いものですね〜、

みな自分の体験が価値観の根幹となります。
否定的な表現をしますと、自分の体験にないことを発想することはかなり困難なものでありましょう。
 不可能かもしれませんね〜、
たとえば、今現在の自分の価値観で平安時代あるいは江戸時代あるいは未来の人たちの行動、思考を評価することは不遜であると言えましょう。
NHKテレビの何十年も続いている大河ドラマを見て歴史上の人たちの喜怒哀楽、価値観を知ろうなんてことはまったくお門違いです。そんなことできるはずありません。
価値観は自分の経験を超えることはできないのではないか? あれは現在の人生観や価値観を歴史上の人たちに演じてもらっているに過ぎません。
NHKドラマを見て、歴史を学ぼうとしている方がいたら、そりゃ発想から間違っています。
誤解なきように申し上げて起きますが、NHK大河ドラマの価値を否定するつもりはありません。文学的な価値と、歴史を学ぶことはまったく違う次元だということです。
一所懸命の時代、一族の存亡に自分の命を賭ける男とか、一族と家臣のために政略結婚をする女がいても当たり前であって、かわいそうなんてことはないんです。
非情ですか?好きな人と結婚するために親を捨てるなんて、その時代から見たら非情でしょうね、
おっと、私は今の倫理観を否定するつもりはありませんよ、今の倫理観は時代を超えて通用しないといっているのです。

西尾幹二さんが戦後の人が戦前、戦中の思考、行動を判断することはできない、『二十四の瞳』で主人公が小説の後半 戦後になって戦前のことを判断することはパラダイムが完全に変わっており意味がないという趣旨のことを書いています。(出展 国民の歴史)

環境問題なんて今世界の大問題になっています。しかし、現在予測されている悪環境が現実となった時、そのときの人々はそれを不幸と捉えるか、当然と捉えるかは今時点断定できるはずがありません。(反論を認める)
過去にたくさんのSFが種々設定でその解釈を提示してくれています。(実は私SFファンでしてね、)
まあ、羅列するときりも限りもありませんが、とにかくそれらの社会では倫理観、価値観はまったく現在の社会と異なるのは確実です。
資源が枯渇してしまった世界、恒常的に酸性雨の降る世界、オゾン層が消滅して(もちろん完全になくなったら生物は死滅しちゃうだろうけど、その一歩手前くらい)強烈な紫外線のために人間はみな40歳くらいで癌になる世界が到来したとき、その世界に生きている人たちは自分たちが不幸で、世界を破壊した20世紀人を恨むかどうか?
そんなこと想像することさえできませんよ、
ちょっと違うかどうか?
あなた鎖国をした家光を恨みますか?
実はこの設問だって条件が難しい、鎖国というのは実際にはなかったという学説もあり、鎖国したから世界に遅れたと言う事実もないという説も有力。
私は別に家光を恨みませんよ。
更にさかのぼれば遣唐使を止めた道真を責める人はいませんでしょう。
少なくともわたしゃ恨んでませんよ、
そんな仮定の話、時代を離れた話を持ち出すまでもなく、この世界各地を見ただけでも価値観は大きく異なります。
冒頭に上げましたように、日本国内でも大学に(高校でさえも)いくためには家族と離れて一人暮らしを余儀なくされるという地域も多いのです。
自分の価値観が絶対だなんてことは絶対ありません。

世の中をみますとメディア、政党、市民団体、自分たちの価値観で発言していますね、
  おっと、私も自分の価値観で発言していますよ、もちろん、
しかし、価値観は階層構造で成り立っていると思います。私は物事を考えるとき根源的な階層の価値観で考えるのであれば基本的な間違いはないと考えています。
階層とはなんだ?といわれるとマズローさんの欲求階層論というのが真理だと思います。
つまり、
  1. 「生理的欲求」・・・・・空気・水・食物・庇護・睡眠・性
  2. 「安全への欲求」・・・・安全・安定・依存・保護・秩序への欲求
  3. 「所属と愛の欲求」・・・愛されること、家族の中に居場所があり自分が愛されること
  4. 「承認欲求」・・・・・・自尊心・尊敬されることへの欲求
  5. 「自己実現」・・・・・・自分がなりたいのもへの欲求
  6. 「自己超越」・・・・・・今までの、あるいは現状の自分自身を超えたいという欲求
こう言われると、なるほどそうだという感じがするでしょう。
問題なのはですよ、自分の現状を当たり前として考えることなんです。
現在の日本では日本人全員が上記1の水準は満たされています。北朝鮮では1のレベルである食料も満たされていません。
更に日本では2の水準も満たされています。イスラエル、パレスチナをはじめ中国も含めた世界の多くの地域では2番目は満たされていません。
3は個人的マターですから国家が保証することは困難かと考えます。

今の日本でおかしいなと感じるのは上記3とか4のレベルにある人がそれを当然として、世界観を構築し、発言するから問題なのです。
世界中が食物と安全が保証されていないときに、日本では満たされているからそれが当然として論理展開すること自体がおかしなことであり、導き出される世界観が支離滅裂なのは当然です。

日本国憲法前文なんてのはこのボケの最たるものでしょう。
 再確認していただくために該当箇所をあげますと、
『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』
これをパレスチナやイスラエルの人に聞かせたらつばを吐きかけられると思いますよ。
なぜか?現実離れしているからです。
『税金を払うのがいやだ!消費税反対!』これも世界の常識とはかけ離れています。
もっとも小さな政府を求めているなら話は分かりますが、こういう人に限って健康保険がどうたら、社会保障がどうたら言っています。自分の論理の整合性を考えてほしいものです。
★なぜか、こういうことを書いているホームページは南京問題、慰安婦問題とセットになっているのが気にかかります。
(^^)
有事がないとか、税制、政治体制なんてのは、常に基本的な水準、つまりマズローさんのレベル1で考えなくちゃいけません。
第7艦隊があり、自衛隊があるこの枠組みを知らずして、理想論を語るのはやめてくれませんか?
憲法が破綻しているのに目をつぶり、護憲を叫ぶのはやめてくれませんか?
自分が発言する自由を謳歌しながら、フェミニズムを叫ぶのはやめてくれませんか?
戦争反対を叫ぶなら、戦争をしている国でしてくれませんか!



本日のまとめ

常識というのに絶対的なもんはありません。
自分の価値観・倫理観で他の時代、他の世界を評価、断定しちゃいけません。
『常識は社会の数だけある』というのが古今東西に通用する常識です。




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