人口議定書 2002.05.27
本日は環境の話、

最近、京都議定書がどうたらというのを新聞などでお読みになったことがあるでしょう?
現在、地球が人間の活動による炭酸ガスの増加で温暖化しているというのをお聞きですよね、
京都議定書とはこの温暖化を防止するために、各国に炭酸ガスの排出量を削減するためにそれぞれに削減量を割り当てて、温暖化を遅らせようとするものです。
(根本的解決なんて無理でしょう?)

では、排出量をある程度削減したとしてその後はどうなるのか?といえばこれは非常に不透明ですよね。
超長期的に見れば炭酸ガスは増加する一方でしょう。
もちろん、炭酸ガスを深海に投入しちゃおうとかいろいろアイデア?はあり検討されているようです。

でも、私は京都議定書とか炭酸ガス排出抑制などでは根本的解決にはならないと思います。
誤解を恐れずに言えば、結論は人口抑制しかありません。
そりゃ環境問題ではなく、世界人口会議で・・・とか言われるかもしれません。

  でもね、
根本対策を打たずに表面的なことをしているのは、大怪我をした人にモルヒネを注射して何の治療もしないのと同じじゃありませんか?









過去より『人口を抑制しないと破滅だよ!』と語っている人は少なくありません。
名前を挙げればマルサスに始まりアイザック・アジモフも誰も彼も人口を押さえねば未来はないと語っています。
つい最近、ワールドウォッチ元研究所所長レスター・ブラウンが、『イスラエルは長期的にはパレスチナに勝てない』と読売新聞に書いています。
 誤解なきよう、
彼も私も、アラブにもイスラエルにも肩入れしているわけじゃありません。
イスラエルの停滞している出産率とパレスチナの出産率から見て、50年後はイスラエルはアラブの人口の大海に飲み込まれると書いています。
もっともその時、パレスチナの人たちを誰が養うのでしょうか?

中国は世界一の人口大国です。
でもそれをまもなくインドが抜き去るでしょう。それは名誉なことでしょうか?
中国だって昔から何億人もいたわけじゃありません。
私は子供の頃、満州に行って帰ってきた叔父から『支那にゃ四億の民がいる』という歌を聞いたことがあります。当時は四億以下だったことは間違いない。
なんのかんの言っても、人口を抑制しようとした中国の為政者は偉大だ!

日本が江戸時代の自給自足していたころは日本人口は3000万人と言われています。
現在、食料自給率が30%と言われていますが、もともとこの国土では3000万人しか養えないのです。
それ以上人間がいればこの国土と気候条件では人口を維持できないのです。
和牛なんていってますが、ありゃ、アメリカの穀物が肉に変換されているに過ぎないのです。
輸入牛肉も、和牛もアメリカの穀物をアメリカで肉にしたか、日本で肉にしたかの違いしかありません。
京都議定書なんてささやかな(?)ことではなく、世界人口を抑制するための人口議定書を結ぶべきです。
そして各国に自国が養えるだけの人口に抑制するという義務を負わすべきです。

もちろんそれは簡単にはいきません。
人口が爆発している国では抑える手立てがないでしょう。
裕福な国の身勝手だ!と言う国々はたくさんあるでしょう。
日本では7割の人がいなくならなければなりません。
農業国では食料を輸出できないとそれこそ死活問題になってしまいます。

しかし、超長期的にはこれを達成しないと人類は破滅です。
今真剣に100年後の人口を30億人とか40億人にしようという議論をして、対策をしない世界中の人が崖プチから落っこちてしまいます。
たとえ話があるでしょう。
水面を覆う水草が毎日倍々に増えていったら半分の次の日は池を全部覆っているということを、

将棋板のはじの升目に一粒の米をおいて、次の升目にふた粒、その次に4粒と倍々に置いていったら81番目の増すにはどのくらいのお米を置いたらいいですか?
アメリカが京都議定書を批准しないのはいかんとかいうのを聞くと、そんなことじゃないだろう!と叫びたくなります。
ヨーロッパが議定書とおり炭酸ガスを減らしたとして、その次は何をするの?とお聞きしたいものです。


まっ、というわけでこの拙文を書いたわけですけどね(^^)
なにもせずにいれば、疫病が人間を倒すのか?
飢餓が人間を減らすのか?
いずれにしても人間はまもなく、バブルのように減少するでしょう。
そっか、そうすれば京都議定書もいらないかな?

このページのソースを見て、おばQはJAVAも使えないのか?とおっしゃるあなた、
実はそうなんですm(_ _)m




不良中年様よりお便りいただきました。(2002.05.31)

尊敬申し上げている佐為様
さっそく私のワガママを聞いて頂きありがとうございます。まったくもって感激もんであります。(^_^)

さて、『人口議定書』を拝読致しまして、日頃感じていることを少しまとめてみようと思い駄文を書き連ねてみました。

 日本の人口は今現在、1億2693万人ですが、急激な少子高齢化に伴い2006年以降は減少に転じ、2050年には1億人、2100年には6400万人になるだろうと推定されています。

 1980年の人口が1億1700万人ですから、この20年少々で1000万人しか増加しておらず、1920年の約5600万人から1940年の20年間での1600万人の増加とか、戦後の1950年の約8400万人から1970年の20年間での2000万人の増加に比べても明らかに増加率は減少しており、日本という国土で人間が生存できる限界が来ているのかなと思います。

 もちろんこれは自給自足でという意味ではなく、近代以降の人類が手に入れた貿易という手法を駆使したうえでの限界という意味です。

 医学の驚異的な進歩もあり、また20世紀は戦争の世紀といわれながらも日本はその後半の半世紀は戦争とも無縁でいられたおかげでもあり、昭和40年代に交通戦争とまで言われた交通事故による死者数もかずかずの規制と対策により減少しており、平均寿命は驚異的に延びました。
 
 もっとも、現在の平均寿命がほぼ日本人の限界でしょうからこれ以上の延びは無いだろうと思いますが、それでもなお人口が減少していくということはつまり若年人口の大幅な減少を意味しています。 
 これが何を意味するかというと、社会を支える現役世代が今後急激に減少していくということであり、とりもなおさず社会から活力が失われていくということだと思います。
 
2000年では14歳以下の若年層が14.6%、15歳から64歳までの現役世代が68.1%、65歳以上の老年層が17.4%ですが、2050年にはこれがそれぞれ10.8%、53.6%、35.7%になると推定されていますが、こうなると現役世代一人が非現役世代一人を支えなければならなくなるわけで、こんな社会がはたしてまともに機能するのかと思わずにはいられません。
 
 無制限に人口が増えるということは、自然界にその生存能力の限界があることを考えれば当然ありえないことですが、最近の結婚しない自由とか、子供を作らない自由とかいった風潮は次代の現役世代を残さないといった意味からも多いに問題があり、もしかしたら人間の種としての保存本能が失われてきているのかもしれないとさえ感じています。

 ではどうすればいいのか、はっきり言えば私にもわかりませんがこれ以上人間の寿命を延ばさないことも必要ではないかと、現在医学の分野ではDNA治療とかクローン細胞による臓器再生とかさまざまな試みによって難病を克服しようとしていますが、これ以上寿命を延ばすことは非現役世代を増やす努力のようにも思えます。

 人間も自然界の一部なのだから寿命は自然の摂理に任せるほうが良いのではないかと、その上で子供を産み育てることが大切であると啓蒙し、そういった政策をとる必要があるのではと考えます。

 しかしながら現実見ているととてもそうはなりそうにもなく、人間は自然の摂理に抵抗しているようにも思え、もしかしたら種としての人間の限界が近いのかもしれないと考えてしまいます。

 いずれにしろこのまま手をこまねいていると人類はいずれ滅びるでしょう。その前に日本という国が滅びるのでしょうが、そうならないための知恵を今出さなければならないギリギリのところにいるのではないかと思います。

お便りありがとうございます。
日本人の平均寿命は世界一だけど、一人で自分の始末ができる期間は世界一ではないというデータを見たことがあります。
実を言って私のオヤジも植物人間になって病院で何ヶ月も生きてました。

生かされていたというのが本当でしょうね、

正直言って、親父に意識があったら耐えられなかったろうと思います。
ひと思いにけりをつけてくれと言ったのではなかろうか?
私の叔父さんが最近『おれが倒れたらみんな気がつかないフリをして死なせてくれ』言いました。その気持ちはわかります。
本人や家族の同意なしの安楽死は殺人ですが、一概に安楽死反対とは言えません。

しかしながら、人間が考えるより自然界が厳しい沙汰をしてくれるような気がします。
つまり、飢餓とか異常気象、天変地異が起こり人口減少をもたらすのではないかと考えます。
自然界には自動制御が働いていることは間違いありません。
人間が考えるまでもないかもしれません。

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