熱狂的行事 2002.06.01
シュート
世の中、サッカーのワールドカップ一色です。
でも、韓国の盛り上がりすごいですね(^^)
韓国に比べれば日本はワールドカップの紙面占有率とかテレビ欄占有率が低いようです。
日本じゃ、新聞紙の相当の割合をプロ野球、なかでもわが阪神もがんばっています。
先週までは相撲も関心ごとでした。
一面でも「日本国債の格付けが下がった」とか、「議員疑惑がどうたら」とかいろいろあります。
本日は初日の報道ですから明日以降はもうすこしワールドカップの割合が減るのではないかと予測します。


では、本日はそれらを踏まえて、ばかばかしいお笑いをおひとつ、、、

私が高校生のときに東京オリンピックがありました。
ご存知ですよね?
1964年10月10日、秋晴れの日に開会式がありました。
感動でしたね・・・
このオリンピックは日本復興の象徴でした。
その意味で、東京オリンピックが持つ意味は札幌オリンピックとか長野オリンピックの位置づけとはまったく違います。
何台車を買っても、最初に持った車は一番記憶に残るようなもんです。

東京オリンピックのために新幹線を作り、都市を整備しました。(当時、開催期間中は汲取り車を走らせるなとかいわれました。)
我々、田舎の高校生もなにかしら貢献できないか?なんて考えたもんです。
あっ、笑っちゃいけませんよ!あなた、

当時「日の丸を揚げるな」なんていう方がいたら袋叩きにされていたことでしょうね。
そうです、オリンピックは国威がかかっていたのです。
戦争で壊滅した日本がここまで復興したぞ、というあかしでありました。

そのとき、学校の先生がそんな興奮気味の子供たちに向かって、「オリンピックが大行事なのは日本だけだ。外国ではオリンピックが開催した国でも『あっ、そうなんですか』というくらいのものだ」とおっしゃっていました。
そのときはいやみなことを言う先生がというくらいの感じでした。

大阪万博というのをご存知でしょうか?あれも国民的行事でありました。
1970年でした。
国民的歌手がテーマソングを歌い、国民的芸術家がシンボルタワーを作りました。
東北の片田舎に住んでいた私は、旅行会社の企画した万博ツアー(?!)に参加して、夜行列車ではるばると大阪に来て見学したものです。
大阪万博は大成功というか、ものすごい人気でした。
今、愛知万博がどうこう言われていますが、もう時代は変わってしまったんです。

しかし、日本も国力を付け、国民の生活も豊かになり、多様化すると国民全部がひとつのことに盛り上がるということはなくなりました。
シドニーオリンピックのとき「プロ野球選手が出場すると日本のプロ野球がつまらない」という発言がされ、そしてそれが批判されませんでした。
いかなる行事も優先とか絶対ということはなく相対化されるようになりました。

ワールドカップの韓国と日本の盛り上がりの温度差はこの国家の成熟度の差によるものでしょう。
韓国も奇跡の復興をなし、オリンピックを開催し、ワールドカップをやりとげ、そして並みの国になったということです。
やりとげという表現がもはや悲壮的です

これは皮相的なものいいではありません。
1980年、日本の品質管理、経済がもてはやされた時代がありました。
今は世界の並みの国として扱われています。
東洋の不思議とか、理解不能とかじゃなくてただの国になりました。
GDPグラフ
といっても、日本が没落したわけではありません。経済力は1980年当時より大きくなり、世界全体に占めるシエアも大きい。

しかし、グラフを見るとバブル崩壊、失われた10年なんていわれますけど、90年以降も日本経済って右肩上がりだって気がつきません?

*データは内閣府広報による


それでいいじゃありませんか?
私たちは高度成長期を一生懸命、並みの国になろうとして働いてきたんです。

さて、国民的熱狂があるうちはまだ未成熟社会の段階なのでしょう。
  未成熟国家ではありませんよ、誤解なきように(^^)

韓国が順調に成長し続けていけばあと20年すれば国民全部が熱狂するようなことはもはやないでしょうね、
それが並みの国になったという証左でありましょう。

しかし、韓国には北朝鮮という難題があります。
これからも難関は続くことは間違いありません。
日本も東京オリンピックの後に、ニクソンショックとかオイルショックなど波乱万丈であり、順風満帆ではありませんでした。
しかしその時、日本はアメリカが悪いとか、韓国のせいだとか他人のせいにした事はございません。
すべて自分が解決しなくてはならないと認識して難題解決のために努力したのでございます。

韓国様も決して他人のせい、日本のせいにしないで自らの問題と認識し、真摯に解決に当たるべしというのが先進国(?)日本の老人からのご注進でございます。

そういえば、サッカーが盛んになったのはいつごろでしょうか?
日本でサッカーが認知されたのがメキシコオリンピックの頃でしょう。
いずれにしても、勝たないと人気は出ず、それから20年以上Jリーグ創立まで泣かず飛ばず
Jリーグも創設時はすごい人気でしたが、今ではプロ野球には勝てません。

私がサッカーと関わったのは中学のとき・・
いえ、誤解なさらないように
中学にはいくつもクラブがあり、限られた予算を取り合っているわけです。
新しく赴任してきた先生がサッカー大好きで、サッカークラブを作ろうとしたので既存のクラブは猛反対、私は、この率先に立ちサッカークラブ創立を阻止したのであります。


そういえば、ローラーボールなんで小説もありますね、映画化もされました。
やはり熱狂的行事、国民の関心を集めるスポーツなどの影には全体主義、独裁主義の影が漂いますね!



独り言の目次にもどる
スペースです