私の環境調和策 2002.06.24
いつも私が環境保護に批判的・皮相的なことしか書いてませんので誤解を受けているようです。
ここに少しまじめに私が環境についていかなる考えを持っているかを書きたいと思います。

私が若いときは水俣病とかイタイイタイ病なんていつも新聞を賑わしておりました。
公害という言葉は今の有事法制どころではなく非常にポピュラーでメディアや一般社会で使われていました。
でも、公害っておかしい言葉ですよね、
企業が(あるいは一般市民のこともあるんですが)法を破って社会に害を与えるのは『公害』ではなく、単なる『犯罪』じゃありませんか?
原発の廃熱などなら公害という言葉を使ってもよさそうですが・・・
1970年に後に公害国会と呼ばれることになりますが、水質汚濁防止法、大気汚染防止法などなどが量産されました。
騒音規正法はなぜか一年遅れで制定されました。
日本がこれらの法律を制定することになったのは、それだけ深刻だったこともありますが国家、国会のフィードバック機能が働いていたと言ってよいでしょう。
どことは言いませんが、現在でさえ公害に真剣に取り組んでいない国家とか、立派な法律や規制基準はあるもののそれを運用できないで絵に描いた餅となっている国々を存じ上げております。(^^)
これらの規制は単に水を空気を汚さないということだけではなく、この国の消費者、流通に大きな変革をもたらしました。
大げさに言えば革命だったのです。

昔は牛乳屋が毎日契約している家々に牛乳を配達していました。
牛乳配達は中学生、高校生のティピカルなアルバイトでした。
私が中学生のころ、このアルバイトの権利(?)は先輩から後輩に受け継がれたものです。
俗に『牛乳は人を健康にする。飲む人でなく、配達する人を』なんて言われたものです。
水濁法の規制により牛乳瓶を洗った水はそのまま流せなくなりました。

牛乳瓶を洗った水に毒や有害物質があるわけではありません。
牛乳って栄養です。そのまま下水や公共河川に流すと富栄養化のもととなるからです。
富栄養化とは何か?
河川や湖沼に栄養塩が蓄積すると、水が腐敗しやすく、また栄養分が酸化する過程で溶存酸素が消費され水の中の酸素が失われ濁りが進み、結果として虫も魚も住めなくなり、最悪の場合嫌気性のいやな臭いのする死の川となってしまいます。
牛乳パックのリサイクルをされている方はこれを考えてくださいね。
下水に流すのだからいいじゃん、なんて言わないでください。
下水処理場では微生物が一生懸命栄養分を分解しているんです。
中性洗剤をやめて粉石けんを使おうというのは家庭排水からの栄養分(BOD)の少ないものにしようということなんです。
もっとも最近じゃ中性洗剤のほうがBODが少ないそうですが・・・

牛乳パックの紙をリサイクルしようとして、一生懸命水で洗うのは水道水供給のためのエネルギーを使い、そのための水道水の需要を増やし水不足をもたらし(それほどじゃないか?)、家庭排水のBODをふやし水を汚すことであり、その排水処理のためのエネルギーを浪費することなんです。

こんなこと言ってちゃやはり環境保護派から袋叩きに合いそうだな(^^)

自由主義においては見えざる手が物事を決します。
結果として、牛乳をはじめとする飲料はリサイクルシステムからワンウェイ方式となりました。
製造者が廃棄物処理を避けたわけです。
もちろんそれには自動販売機の増加、人手不足による配達費用の高騰化、自動車をはじめとする流通の変化が後押ししました。
見えざる手を無視できません。

ペットボトルはなぜこのように広く使われるようになったのか?
ポリエチレンテレフタレート(ペット)の一番の利点はガスを通さないことです。
炭酸飲料のガスを逃がさないプラスチックはこれしかありません。
ガラス瓶に比べて非常に軽い、輸送費用削減、落としたとき壊れない、成型でいろいろな形が作れると良いことづくめですよ。
廃棄物になったときを除けば・・・

発泡スチロールはなぜこれほど広く使われるようになったのか?
軽い、水の50分の1とか、60分の1の重さです。
クッション製がある、成型しやすい、物の包装材に最適です。
熱に強く、熱を伝えにくい、カップ麺の容器に最適です。
 余談ですが、私が中学校の頃スチロールに醤油をかけるとうまいという話がありました。
 友人の中には試したものがいます。私は食べませんでしたが・・・
 スチロールは安定ですから、消化されずに排泄されたことでしょう。良かったですね(^^)
スチロールはなかなか分解しないそうです。
数百年しても20世紀のカップ麺の容器が海岸に漂っているのでしょうか?
聞いてください 牛乳に限らず公害防止のための規制は社会を変えてきました。
発電所は以前は電気を消費するすぐそばにありました。
送電線でのエネルギーロスは無視できませんからね。それに送電線を作るということも大変な費用がかかるからです。
お化け煙突というのを知っていますか?
正式には千住火力発電所といいまして1924年(大正13年)関東大震災の復興需要に対応するために建設されました。
シンボルの4本の煙突は見る角度によって3本、2本そして1本と本数が異なることから「お化け煙突」と呼ばれました。
しかし、こういった火力発電所は煙突から出る煤塵の被害を避けるために(田舎なら文句を言わないだろうと考えて)東北や北陸に移していきました。
また高高圧送電や送電線に太いアルミを使うなど技術が確立してきて、送電エネルギーロスが昔より少なくなってきたからです。
でももちろん発電所と工場が隣接していればより送電エネルギーロスが少なくなりますよね、

都会人の身勝手、田舎人の人権無視の思想は原子力発電でも同じです。
都会に原発を置いたら万一のときマズイと考えた政治家・官僚が原発を福島県や能登半島に作りました。
そこの住民は産業もなく建設工事の仕事と各種補助金のためにやむをえないと受け入れたのです。
原発反対を唱えて運動している人たちはその住民にはほとんどいません。
活動家はみな都会から来るのです。
もちろん私の知らない場所では住民がこぞって原発反対をしているかもしれません。
でも、少なくとも私が住んでいた田舎ではそういう構図でした。
今福島県知事がプルサーマルに反対なんていってますが、あれは原子力反対じゃないんです。
電力需要が減少し、建設が予定されていた発電所建設が延期されて雇用が減少することに文句を言っているのです。
取引条件ですよ、地元の利益代表としては正当な行為でしょうね。

最近、高高圧送電の電磁波が健康に悪いと活動している方々もいます。
電磁波の影響はまだ未知数が多いんだけどいずれにしても健康被害を受けると思われるのは田舎の人たちで、活動家の多くは都会人のようです。
本当に田舎人の健康に気遣ってくれるなら、都会で使う電力を減らしてくれませんか?
あるいは発電所を都心に作りましょうね、

都会人には、工場はなく資源もなく、農産物だって特産品がなく、人さえいない過疎地の思いは理解できんでしょう。

都会人ということはそれだけで田舎の人に対する加害者なのです。


話は変わります、
いやな言い方かもしれませんが、人間はすべからく死体を食べて生きているのです。
肉も魚も死体です。
野菜だって植物の死体じゃありませんか。
死体じゃなくて生きたまま踊り食いしている方も中にはいますが・・・

人間が減れば俺たちの食べ物が増えるよ でもこれって別に人間が倫理的・道徳的に悪いわけじゃありません。
昔々、大昔、地球に太陽エネルギーを得て自分と同じものを複製・増殖する高分子化合物が発生しました。
そして進化分化するうちに、自分が太陽エネルギーを化学エネルギーに変換する(植物)のではなく、他の生物が変換したのをちゃっかりいただいて生きていくという生物(動物)が発生したんです。
人間に限らず動物で栄養素を他の生物のお世話になっていないものがありますか?
たんぱく質、炭水化物、脂肪、ビタミンみんな他の生物が作ってくれたものです。
まあ、自然から得られるものは塩分(ミネラル)くらいでしょう。
あとはみ〜んな他の生物のお恵みによって生きているのです。
正確に言えばさんご礁はちょっと違います。
彼らは植物を食べるのではなく、植物を体内に飼っていて栄養素をいただいています。
植物が作ってくれた栄養によって生きているのは肉食動物だけじゃありません。草食動物だって植物が変換してくれた栄養を効率的にいただいているのに変わりありません。
倫理上、肉食動物も草食動物も変わりありません。
食物連鎖の中でそれぞれが得た位置づけが異なるということにすぎません。

さて、肉食動物の体重は餌となる動物の体重の15%以下でないとならないという経験則があるそうです。
食物連鎖は三角形でなければ成り立たないのは当然の理、他人のお情けで生きている人間が増えすぎちゃ餌となる植物、草食動物がそれを支えることができません。

いるかは知能が高いから殺してはだめだけど鰯はいい、料理するときに痛みを与えるから生き作りはまずいとか、いったい全体どういう理論あるいは感覚なのでしょうか?
私は鯨を食べたいという嗜好はありませんが、北極海でイヌイットは鯨をとってもいいけど、南極海で日本人が鯨を取ってはいけないという理屈は納得できません。
だいたい、マッコウクジラを獲りすぎたのはナンタケットの捕鯨船であって、日本人じゃありません。アメリカ人が今頃になって鯨を保護しようなんて言って恥ずかしくありません?
『白鯨』なんて捕鯨船の物語です。
ハワイを占領したのも捕鯨船の基地としてでしたね、
そういやペリーが日本に来たのも捕鯨船の補給基地として欲しかったという話を聞きましたね、
   また、話がそれてきた・・

単純率直に人間は自然の恵み(他の生物のおかげ)で生かしてもらっているということを真に理解して、この食物連鎖の鎖を破綻させずにいかに維持するかということをベースラインとして考えなくてはなりません。


そういったもろもろのことを考えるとおのずから真の環境への配慮というのが見えてくるんじゃないでしょうか?


環境保護、
  いい言葉ですね、
  でもね、ちっぽけな人類が自然を地球を保護できるんですか?


台風だって制御できず、洪水の予想も付けられず、砂漠化を抑えることもできず、あなた環境を保護できるんですか?
私には、ものすごく思い上がった言い草としか感じられませんね、

使うべき言葉は『環境調和』ではないのでしょうか?

私は自分の代でこの地球を食いつぶしたりしたくない。
子々孫々の代までこの地球においてエコシステムが継続して言ってほしいと願っています。
この私の気持ちを誤解してほしくない。
しかし、そのための方法手段は今現在、環境保護という美名(悪名?)の元に行われているものとは大幅に異なると考えています。


焼却炉をやめろとおっしゃるあなた、
そう言う前にあなたごみを出すのをやめてくださいね。
行政機関は苦しんでますよ、市民が出すごみの処理にね、
ほとんどの日本の自治体の埋立地は平均残余年数が片手以下ですよ。
都会じゃもう埋立地がなく他県に持っていく。
産業もないところではお金を貰って埋立地を提供するしかない。
この矛盾、都会人は知ってますか?


廃棄物処分場反対!
田舎では良く見かける看板です。
田舎の人は発言する資格があります。
都会人には発言する権利はありません!



都会人はこういう看板を作りましょう。

廃棄物を出しません!


食料の食べ残しを発酵させて堆肥を作ればごみ処理になるそうです。
このため多くの企業や大規模小売店舗がコンポスト装置を採用しています。
私が住んでいた自治体でも住民に安く家庭用コンポスト装置を斡旋して、市に出すごみを減らしてもらうよう運動してました。
大きなスーパーで残り物から作った肥料を『無料です。お持ち帰りください』という看板を見たことあります。
ところが、最近聞いた話ですが、この方法は長期的には畑をだめにするそうです。
昔の堆肥は野菜とか枯葉とか塩分がありません。
それに対して人間の食べるものは塩分が多い、食べ残しから作る堆肥は塩分が20000ppmくらいになるそうです。
そういった塩分の多い堆肥を畑にまけば、ゆくゆく畑の塩分は増加し作物が育たなくなるそうです。
灌漑のし過ぎで土地の塩分が増えて耕作できなくなるのと同じプロセスです。


俺たちの時代に戻してくれ! 都会人が自然を満喫するために行く自然を守ろうなんて言うのは自己矛盾でしょう。
田舎の人間が唯一持っている自然を活用できなくては一体どうして食べていくんですか?
某地でイヌワシの保護をしようと運動されている方、住民の生活も保護してくださいよ。
イヌワシ観光で食べていけるならきっとイヌワシ保護が進みますよ。
それが経済原理というものです。
尾瀬の自然を守れ!といい、誰でも尾瀬にいけるようにアクセスを改善することが矛盾だと気づきませんか?

真に尾瀬を愛するならば、尾瀬に行かないことです。

そういや〜、郷ひろみも歌ってましたね『会えない時間が〜愛を育てるのさ♪』って、



私の環境調和策は、単純です。
それは、人口の削減と居住地の制限です。
とにかく強権を発動しても世界人口を30億程度に減らすこと、
可能ならイエスの時代の3億くらいまで減らせたらいいと願っています。
そうすれば熱帯林の減少も、砂漠化も、海洋汚染も、野生動物の減少も心配ありません。
地球環境問題は一挙に解決です。

おお、食糧問題も、エネルギー問題も、温暖化問題も、同時に解決し、戦争も起こらなくなるのでは!!

この単純で根本的なことを知らずに、あるいは目をつぶっている環境保護運動はみなにせものです。

それとも何でしょうか?
人口が現在のまま地球環境を回復できる方法があるんでしょうか?




本日の反省


私にはやっぱりまじめな話は無理のようですね。





アマゾンモグラ様よりお便りをいただきました。(2002.06.24)
「私の環境調和策」拝見しました。
またモグラの知らない事が書いてありました(笑)。
牛乳瓶は、何で無くなったのかなーって思ってたんですよ。そういう事でしたか。
やっぱり物事は、ちゃんとした理由が有って、そうなっているんですね。浅はかな素人考えは禁物です。
ペットボトルの語源も初めて知りました。あれやっぱり分解されないんでしょうね(スチロールも)。
アニメ「未来少年コナン」で、プラスチップという物質を掘り出してエネルギーの基にするというシーンがありましたが、きっとペットボトルや発砲スチロールの事ですね。
(そりゃ、いくらでも残っているでしょう。)

ところで、モグラも「日本人度チェック」やらせていただきましたが、90点で「普通の日本人」でした。ある問で謙虚になってしまったのが敗因です。うーん、もっと自信を持たねば。

毎度、ご訪問ありがとうございます。
プラスチックっていったいどうなるんでしょうね??
何世紀もたてば、地球のプラスチックを考古学趣味の連中が掘り出して、
『これはドアのとってに違いない』
『これはキーボードという筆記具の部分だ、完全にそろうと大変貴重なものだ!』
なんてやっているのでしょうか?
あるいは地中から出る燃料として重宝しているのでしょうか?

ぜひ見てみたいものですね(^^)

「日本人度チェック」はある程度自己主張が強くないとだめです。
ネットの世界では押しが強くないと生きていけません。
そして、
真心がなくては生きていく甲斐がない、
と続くんですが・・・(^^)



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