ネットの世界で、いえ、ネットに限らないんですが、話をしていると話が通じないことが多いんです。
本日はこの憤懣を吐き出したいと思います。
そりゃ、人間にはいろいろ考えがあります。
私は中華がいいわ、わたしイタリアン、俺フランス料理が・・・というのはいつものことです。
主義主張も共産主義、自由主義、無政府主義といろいろあるでしょう、
新聞を購読するにも読売、産経、そういえば朝日●なんてのもありましたっけ?
同様に、私は中国を支持するというかたもいるし、アメリカを支持するぞと言う方もいますでしょうし、いえいえ日本の独自路線をとおっしゃる方もいて至極当然なのでしょう。
ここで言いたいことはそれ以前の話でございます。
|
 |
私が我慢ならないのは簡単に言えば次のみっつです。
考えがまとまっているのか?
考えは抽象的でなく、具体的であるか?
考えを相手に伝える言葉に表せるのか?
ということです。
- 自分の考えがまとまっていないのに何かを語らねばならないと強迫観念にとらわれている方がいます。
政治の議論をしていて、話につまると突然四季の話、日常の些事に飛んでしまう方がいます。
当方としてはアッケとなります。
俺はなんでこんな人を相手にまじめに議論していたんだろうか? と脱力感にとらわれてしまうのです。
これって、議論の新しい戦法なのかもしれません。
- ものすごく新鮮、斬新な考えを話されるお方がいます。
すごい、それは具体的にはどのようなことですか? とお聞きするとそれ以降なにもなし・・・
つまらん例ですが、いろいろな問題(試験問題でも、工場のトラブルでも同じです)があったとき、微分方程式なんて考えることなく何か数値とか具体例を代入すれば解けるまではいかなくとも解決策の検討がつくもんです。
具体化できないものは根本になにか不十分なところがあるんじゃないでしょうか?
いえ、欠陥とまでは言いません。
あなた相対性理論を語っているわけじゃないでしょう?
日常の問題、政治の問題、軍事上の問題、そんな話題にテンソル微積はいりませんよ。
常識で十分解明できるはずです。
『私には専門知識はないが、常識はある。』
これどなたの言葉かご存知ですか?
我らが塩爺の大臣就任の時のことばです。
- 議論をしていて困るのは言語能力です。
いったいあなたは何を言いたいのか?
イエスなのかノウなのか?
賛成なのか、反対なのか?
野村監督は引退しちゃいましたが、彼はすばらしい言語能力を持っていたと私は思います。
いかなる名選手も自分の体験、思考を言葉にして相手に伝えてナンボなのです。
伝えることのできない名選手は名監督足りえません。
長島さんは本当の意味で名監督ではありませんでした。
首相在任中にお亡くなりになった大平さんは『アア、ウウ』しか言いませんでした。
言語能力は少なかったようです。
それとも揚げ足を取られたり、言葉質を取られるのを嫌ったのでしょうか?
いえいえ、これはネットの世界だけ、政治、思想の世界だけではありません。
ISOの世界でもよくいるんですよ。
『私はISOのコンサルしてます。』
というもんだから、それなりの方かと思っていっしょに仕事をしていると、
えっ、この人ISO規格理解してないんじゃないの
とか、
この人実際にシステムを動かしたことないんだなあ〜 とか、
この人、手順書書いたことないんだ・・・・などなど
私は欲求不満になってしまいます。
これは天が私に与えた試練なのでしょうか?
私は山中鹿之介じゃありません、「我に艱難辛苦(かんなんしんく)を 与え賜え」なんて申し上げません。
私は玉になる気はありません。
神よ、私を試みに合わせないでください(^^)
正直言って、このだじゃれ分かるか心配です・・・
ここで本日のひとこと、、
話をしなければ生きていく甲斐がない
中身がなければ話す甲斐がない
なんてね(^^)
まさか元ネタを知らない方はいませんよね?
独り言の目次にもどる