思考力・言語能力・伝達能力 2002.08.03
ネットの世界で、いえ、ネットに限らないんですが、話をしていると話が通じないことが多いんです。
本日はこの憤懣を吐き出したいと思います。

そりゃ、人間にはいろいろ考えがあります。
私は中華がいいわ、わたしイタリアン、俺フランス料理が・・・というのはいつものことです。
主義主張も共産主義、自由主義、無政府主義といろいろあるでしょう、
新聞を購読するにも読売、産経、そういえば朝日なんてのもありましたっけ?
同様に、私は中国を支持するというかたもいるし、アメリカを支持するぞと言う方もいますでしょうし、いえいえ日本の独自路線をとおっしゃる方もいて至極当然なのでしょう。

ここで言いたいことはそれ以前の話でございます。
おいしいお料理
私が我慢ならないのは簡単に言えば次のみっつです。
  考えがまとまっているのか?
  考えは抽象的でなく、具体的であるか?
  考えを相手に伝える言葉に表せるのか?

ということです。

  1. 自分の考えがまとまっていないのに何かを語らねばならないと強迫観念にとらわれている方がいます。
    政治の議論をしていて、話につまると突然四季の話、日常の些事に飛んでしまう方がいます。
    当方としてはアッケとなります。
    俺はなんでこんな人を相手にまじめに議論していたんだろうか? と脱力感にとらわれてしまうのです。

    これって、議論の新しい戦法なのかもしれません。


  2. ものすごく新鮮、斬新な考えを話されるお方がいます。
    すごい、それは具体的にはどのようなことですか? とお聞きするとそれ以降なにもなし・・・

    つまらん例ですが、いろいろな問題(試験問題でも、工場のトラブルでも同じです)があったとき、微分方程式なんて考えることなく何か数値とか具体例を代入すれば解けるまではいかなくとも解決策の検討がつくもんです。
    具体化できないものは根本になにか不十分なところがあるんじゃないでしょうか?
      いえ、欠陥とまでは言いません。
    あなた相対性理論を語っているわけじゃないでしょう?
    日常の問題、政治の問題、軍事上の問題、そんな話題にテンソル微積はいりませんよ。
    常識で十分解明できるはずです。


    『私には専門知識はないが、常識はある。』

    これどなたの言葉かご存知ですか?
    我らが塩爺の大臣就任の時のことばです。


  3. 議論をしていて困るのは言語能力です。
    いったいあなたは何を言いたいのか?
       イエスなのかノウなのか?
       賛成なのか、反対なのか?

    野村監督は引退しちゃいましたが、彼はすばらしい言語能力を持っていたと私は思います。
    いかなる名選手も自分の体験、思考を言葉にして相手に伝えてナンボなのです。
    伝えることのできない名選手は名監督足りえません。
     長島さんは本当の意味で名監督ではありませんでした。

    首相在任中にお亡くなりになった大平さんは『アア、ウウ』しか言いませんでした。
    言語能力は少なかったようです。
    それとも揚げ足を取られたり、言葉質を取られるのを嫌ったのでしょうか?

いえいえ、これはネットの世界だけ、政治、思想の世界だけではありません。
ISOの世界でもよくいるんですよ。
『私はISOのコンサルしてます。』
というもんだから、それなりの方かと思っていっしょに仕事をしていると、
えっ、この人ISO規格理解してないんじゃないのとか、
この人実際にシステムを動かしたことないんだなあ〜 とか、
この人、手順書書いたことないんだ・・・・などなど

私は欲求不満になってしまいます。

これは天が私に与えた試練なのでしょうか?

私は山中鹿之介じゃありません、「我に艱難辛苦(かんなんしんく)を 与え賜え」なんて申し上げません。
私は玉になる気はありません。
神よ、私を試みに合わせないでください(^^)

正直言って、このだじゃれ分かるか心配です・・・


ここで本日のひとこと、、


話をしなければ生きていく甲斐がない
中身がなければ話す甲斐がない


なんてね(^^)


  まさか元ネタを知らない方はいませんよね?


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比較三原則 2002.08.04
間違っているって?
比較三原則じゃなくて、非核三原則だよって?

そんなことありませんよ、私がこれからここに書くのは『非核三原則』の検証と新たな『三原則』の比較考証ですからね、
まあ、ともかくお話をお聞きください。
    バカな言葉にだまされちゃイカン
  • 非核三原則(ひかくさんげんそく)
    意味するところは『核をつくらず、持たず、持ち込ませず』だそうであります。
      よく考えると、これって、論理的におかしくありません??

    核を作らない、持ち込まないならば → 核を持つはずがない!
    それとも核兵器が自然発生するのでしょうか?
    非核三原則とは実際は非核二原則なのでしょうか?

    過去何十年このような非論理的なスローガンを掲げている方々、あなたたちは間違った宗教を信じているようですよ!

ということを昼寝しながら(?)考えていたらだじゃれが浮かびました。
いえ、案外だじゃれではなく真理かもしれませんよ?
  • 卑核三原則(ひかくさんげんそく)
    核保有国は現実には支配者側であることはいうまでもありません。
    アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国は核クラブという我々非保有国では入会できない会員制の倶楽部を作っております。
    最近はイスラエル、南アフリカ、インド、パキスタン、北朝鮮が入会を希望していますが入会金が高そうです。
    そしてこれら会員の国は非会員の国を見下し、自分たちの横暴をきわめています。
    クウェートに侵攻したイラクには世界中が反攻しましたが、チベットで悪行を極めている中国に対しては誰も諌めません。

      なぜか?
       中国が核保有国だからです。


    このように核保有国は非保有国を見下し行動しています。
    具体的には
      ・核保有国は核非保有国に対しては侵攻してもよい。
      ・核保有国は貧乏で、他国から援助をもらっても国連常任理事国でいられる。
      ・核保有国は増やさない。特権は守らなくちゃ!

    これを卑核三原則といいます。


  • 被核三原則(ひかくさんげんそく)
    日本はロシア、中国、北朝鮮という核武装した三カ国の核兵器の脅威下にあります。
    この条件下で日本はいかなる軍事同盟、兵器、戦闘教義を持つべきかを考えなくてはなりません。

    核保有三カ国の脅威の下にあり、核の被害を受ける国家としていかなる原則を持つべきか?
    これを被核三原則といいます。
    これこそ我々が検討、吟味しなくてはならない項目です。
    与党、野党そして国民の皆さん、被核三原則を真剣に考えましょう。

    非核三原則より論理的で現実的できっと役に立ちます。


  • 悲歌苦三原則(ひかくさんげんそく)
    人類史上、平和主義とか非武装主義の国家が存続したためしはありません。

    平和に浮かれていると、
      ・主権と領土を取られ祖国をなくし
      ・個人の人権を失い、言葉も失い、苦難の道が待っていて
      ・悲しみの歌だけが残ります。

    これを悲歌苦三原則といいます。

    これは武力とそして確固たる国家観を持たないと外国に蹂躙され苦しみに会うよ、という人類史上最も普遍的な原則です。


  • 碑書三原則(ひかくさんげんそく)
    戦争で被曝したのは現時点では日本だけです。
      これ以上増えないことを祈ります。
    この被曝を記念して石碑を作り、
      ・私たちが間違っていました。過ちを繰り返しません。
      ・二度と戦争をしないことを誓います。
      ・アメリカの核兵器には反対ですが、中国の核兵器は賛成です。

    これを碑書三原則といいます。

    ちっと待ってください。
    それは勘違いではありませんか?

    • 原爆を落としたのはアメリカ軍です。
      日本の大本営ではありません。
      なにを反省するんでしょうか? 原爆を積んだB29を撃墜できなかった日本の防空能力ですか?

    • 二度と戦争をしません?
      今軍備増強をしているのは中国、北朝鮮ではありませんか?
      中国は南沙諸島にちょっかいを出してます。またスキあらばと台湾を狙っています。
        中国の教科書では沖縄も中国の色に塗られているそうです。
        こんなことを許しておけますか!

      聞くところによると軍事費が世界二位は中国だそうです。
      ODAを与えないことが戦争を回避する手段だと思います。

    • 中国の核兵器が一番危険でしょう。
      核兵器は使われた時だけが危険なのではありません。
      保有しているだけ、あるいは実験だけでも非常に危険です。
      地球は自転していますから偏西風が吹きます。
      日本は中国の風下、核の汚染はすぐにきます。
      日本に核攻撃しなくとも、核物質を高空でまけば日本は確実に核汚染されます。
      そして今までも中国の核実験で十分汚染されてきました。

私はいかなる国の核兵器にも反対する!

中国の核兵器廃絶を叫びましょう!!

お断りしておきますが、私は核武装主義者ではありません。
すべての国の核兵器に対して反対です。
資本主義の核兵器は汚いが、社会主義の核兵器はきれいだなんてたわ言はやめてください!



特に中国と北朝鮮の核兵器が日本と日本人にとって緊急、最大の脅威であると考えます。

みなさん、いっしょに中国の軍備増強と核兵器廃絶、北朝鮮の核開発ストップを叫びましょう!

過ちは繰り返しません、なんて繰言を言っている場合じゃありません!




ななし様よりご意見をいただきました。(2002.08.24)

非核三原則(2002.08.04)のコラムについて
>非核三原則(ひかくさんげんそく)
>意味するところは『核をつくらず、持たず、持ち込ませず』だそうであります。
>よく考えると、これって、論理的におかしくありません??


この非核三原則は、論理的に誤っていません。ただ、スローガンとしてのリズム感を維持するために、主語が明記されていないので、誤解を生んだものと思われます。

核を作らない、持ち込まないならば → 核を持つはずがない!
日本国が核を持つということと他国が核を持つということは別のことであり、両者に牽連する関係はありません。例えば、家に拳銃をおいていたら不法所持の犯罪となりますが、一般市民の家に拳銃を持った警察官が訪ねてきたとしても、その市民が拳銃を持っているとはいわないのと同じです。
すなわち、非核三原則は、「“日本国は”核をつくらず、“日本国は核を”持たず、“日本国は他国に核を”持ち込ませず」というように、それぞれ“”を補って読むのです。このように、非核三原則は非論理的というほどのことでもありません。
ご意見ありがとうございます。

私の申し上げている論点は
あなたが書かれた、「“日本国は”核をつくらず、“日本国は核を”持たず」ということ自体が既に重複していると考えているということです。
それとも『日本国が外国から核兵器を買うケース』を想定されているわけですか?
そうしますと、今度は「“日本国は核を”持たず、“日本国は他国に核を”持ち込ませず」が重複してしまいますよね?
まあ、言葉尻を捕らえると「“日本国は他国に核を”持ち込ませず」だが、「”日本国自らが核を持ち込むのはOK”」という理屈もありえるんでしょうか。(謎です)
核兵器の輸出を考慮しなければ単に「“日本国は核を”持たず」で論点は帰結するような気もします。

私の表現もまずかったかとは反省します。
論点が重複していても非論理的と断ずるのはやはり非論理的なのでしょう。m(_ _)m
『この表現は非論理的ではないが、論理的に洗練されていない』というのが正しいのでしょう。

論理代数からはやはり納得いかないんですが・・・



相方の掲示板へ投稿されたご意見を転載します。(2002.08.25)
再三様には断りなしですが、このウェブサイトで議論する方はこちらにどうぞと表示していることから演繹してご理解いただけると独断します。

はじめまして、IQ88です。
サイさんのHPからきました。サイさんの隠しBBSがわからないのでここに書き込みます。すいません。
分かりやすくていい文書なのですが、1つだけ質問です。
非核3原則について、サイさんはこれは2原則でないかとお書きのようですが、あの言葉の前には、日本(政府)は、という言葉がつくので、持たないというのは、万一民間や国内の悪人が原爆を作っても、政府はそれを所有しない。という意味があると思うのですがいかがでしょうか?
確かにおっしゃるように考えますと二原則ではなく三原則が必要に思えます。そのように民間あるいは犯罪者が作ることまでは私は考えはしませんでした。
しかし、それならば原則は国会で議論され法規制に展開されるわけなので、民間の核開発を禁止するという法制度を作るはずですよね。
しかしながら過去50年「日本政府は・・」という書き出しで始まる論議しかないことをみれば犯罪者、民間による核兵器開発を想定したものではないようです。
いずれにしても私は核兵器反対(アメリカにも中国の核にも反対ですよ)ですので、この議論は政策論争ではなく、論理学上の遊びと思っています。
ロボット三原則とかさまざまな世界で三原則と呼ばれているものに比べて非核三原則はいささか論理的整合性がとれていないという印象は否めません。



◆非核三原則についての考察(ご批判を受けて)

非核三原則の論理性に関してご批判をいただきましたので、再吟味した考察を掲示します。
なお、私は非核三原則そのものに反対しているわけじゃありません。
なお、非核三原則を唱える政党が中国の武装を称え、北朝鮮の核開発を批判しない行為を私は批判することを明確にしております。
誤解なきよう!
その表現の論理的完整性(いい言葉でしょう、ISOの専門語です)を問うているのです。

三原則と称するならば、それは何かについての規範であり、それは相互に重複なく矛盾なく補完するものでなければなりません。
この定義、解釈に異議あればまずこの議論が必要です。

さて、上記の私の三原則のあるべき姿を図示しますと下図のようになります。

ケース
三原則
原則 甲原則 乙原則 丙
ケース A
適用
  
ケース B
 
適用
 
ケース C
  
適用

上図において甲乙丙はそれぞれが異なった次元・要素を定めるものであり、重複しないことが『原則』です。
もし、あるケースに同時に原則甲、乙が適用されるなら論理学的にはそれは排除可能です。
論理回路設計ではそのような重複を許しません。
まあ、今は素子が安くなりあまり神経質ではないかもしれません。
昔、シーケンスなどを組んでいた時は一個でもリレーを減らそう、リミットスイッチを減らそうと論理回路をいじっていた時代があります。
では非核三原則のケースについて具体的に分析してみましょう。

ケース想定

左を禁止する原則

備考

国外から持ち込み

製造

保有

国外持ち出し

作らず

持たず

持込させず

 

民間

警備会社もついに核武装か?(^^)

輸出

武器輸出は禁じられている

民間

民間

これは犯罪でしょ

民間

委託製造なら上に含まれる

民間

輸出

武器輸出は禁じられている

アメリカ軍

アメリカ軍

現実かね?

アメリカ軍

国(供与)

 

輸入

 

輸入

民間

 インターネットで核ミサイルを!


(注)民間には犯罪者も含むものとします。

実は頂いたお便りに、民間による自主開発や犯罪者が核開発するケースもあるとご指摘いただいたので、さまざまなケースがあります。
しかし、黄色い色をつけた民間(犯罪者を含む)の部分を除きますと、国家レベルでは『持たず』が単独で該当するものがありません。
民間が秘密裏に、あるいはオウムのような犯罪者グループが作るとしてもそれは国家の方策とは異なるレベルです。
だって、オウムがサリンを作りテロをしたわけですが、政府が行ったのは化学物質管理の法規制を強化したこと、規制物質にサリンなどを追加したことです。
もし、日本はサリンを作らない!なんて再宣言したとしてもそりゃお門違い!
(日本は化学兵器の条約に既に加盟しています)

これから考えますと、三原則と称したものの論理的には作らず、持ちこまさせずで十分であることが分かります。

とりあえず、これで私の証言をいったん終わります。
これ以外のケースも考えられるかもしれません。
反論、反対尋問をお待ちします。
 ディベートで言うところの反対尋問です。お間違いないように、、




みのやん様からお便りを頂きました。(06.11.26)

非核三原則と状況判断
巷間では非核五原則と変わっている様だが、今頃マスコミも政府も何の寝言を言っているのか、情けない日本に成り下がったものだ。
尖閣諸島、竹島、北方領土、を侵犯されても文句も言わず、北鮮に国民が拉致されても解決出来ず、国土と国民を守れない軟弱国家に愛国心を持ちなさいと言われても無理がある。
何故こんな無責任な国民性が蔓延る事になったのかを考えねばならない。
原因の一つに拝金経済政策がある。何事も算盤勘定しなければ前に進まない風潮が国策を誤らせた様に思われる。
経済で成功したが政治で失敗した結果が今日の諸問題の要因である。
国を守るにもアメリカの核を頼り自国は非核三原則を唱える国家をどこの国が信用してくれるのか、経済支援と交換に日本を支援するだけの事である。科学者は核を超えた通常兵器を開発して貢献し、それまでの繋ぎとして核装備と徴兵制があり、その他国家としての基礎を構築してから平和を論議すれば良い。 
みのやん様 お便りありがとうございます。
おっしゃるとおり、根本原因は敗戦後の拝金主義、お金至上主義なのでしょう。
このホームページのトップに「誇りを持たないでお金だけで生きていけるのか」と書いておりますのにお気づきでしょうか?
ぜひトヨタの奥田会長などに見て欲しいところです。
しかし、少しづつまともになってきたのではないかと期待しているのですが・・・






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