てのひら 2002.09.29
私は占いなんて一切信じません。
血液型、星座、バイオリズム、卜占、水晶玉、人相、名前の画数・・・どれも、ぜ〜んぜ〜ん信じません。
もっとも神社仏閣に参拝した時は、必ずおみくじを引くことにしています。
まあそれは、習慣のようなものでして・・・信じているからではありません。

と言うわけで手相の生命線なんかも信じておりません。
しかしながら、てのひらはその人の過去を語ると言うのは事実と思います。
本日はてのひらのお話・・・

誰でも自分のてのひらを眺めればいろいろ考えるところがあると思います。
以前読んだ本で、本田宗一郎さんの手は傷だらけ、怪我の跡だらけだったと読みました。
自分の手で機械をいじっていればそうなるのが当たり前でしょう。それが働く人の勲章であり、誇りであると思います。

あっ、古い人間だなんて言わないでください。古い人間であることを宣言しておりますので改めておっしゃるまでもありません。


私は製造業で、若い時は現場で仕事をしていました。
もう30年も前ですが、同じ職場にいた年配の先輩の手を覚えています。
手のひらの皮がものすごく厚いんですよ。まるで野球のグローブのようでした。
手の筋には機械油がしみこんでいて、いくら洗っても落ちませんでした。いつも機械部品でこすったり切ったりした小さな傷がありました。その先輩は卓越技能者として県から表彰されたこともあります。もちろんとうに退職されました。
今から何年か前に街で偶然お会いしました。お互いに懐かしくて手を握り合って、近況を尋ねたりしました。
そのとき違和感を感じたんです。手が違ったのです。手が変わってしまいました。
あれほど立派な手をしていたのに、そのときはまるで赤ちゃんのように柔らかで傷のない手をしているんです。私は愕然としました。
人間の手って仕事しないとこうなっちゃうのかと、

実を言って私の場合もそうなんです。
申し上げたように現場で仕事をしていた時は、私の手にはタコがいくつもありました。手の皮も厚かったです。前に述べました先輩ほどではありませんが、そんな自分の手が好きでした。
結婚した時、結婚指輪を作りましたが、会社では製品に傷が付くから指輪をするな!と言う立場で自分が指輪などしたことはありません。もっとも皮が厚く傷だらけの手に指輪は似合わなかったことでしょう。
最近、夫婦でどこかに出かける時ちょっと指輪をしますと、家内が言います。
「あなたの指輪は買った時のままだ。私のは磨り減って模様がなくなった」と
もちろん家内はそんなんは恥ずかしいとたんすの押入れに入ったままです。

当時仕事をしていて、一瞬のミスで自分で左手にボルトをねじ込んだことがあります。
いや、驚きました!痛さより驚きです。
近くにいた同僚にスパナでねじを抜いてくれと頼みましたが、その人もビビッテ「医者だ!、医者だ!」と言うばかり、
病院で医者がペンチで抜いてくれました。こういった作業のために錆びないステンレスのペンチがあり、それをアルコールで消毒するのを知りました。

手のひらの骨を避けてくれたのが幸いです。骨に当たっていたら後遺症が残ったでしょう。
今ではわずか数ミリの傷跡だけが残っています。

その後各種作業手順書を書いたり、管理職となると力仕事はしなくなり、代わりに書類を書くようになりました。
まだ、ワープロもパソコンもない時代ですからすべてボールペンや鉛筆で書く時代です。
そうなるとてのひらからタコが消え、代わりに右手の中指にペンだこができ、そして爪の向きが変形してきました。爪の横の皮もいつもよじれてきました。
やがてパソコンを使うようになると、キーボードタコなんてもんはできないようで・・・
この10年間、ウィンドウ3.1の時代からマウスを一日たりとも(大げさかな?)離したことはありませんが、マウスタコというのはできた記憶がありません。


今日本ではもの作りということがないがしろにされています。
ものを作る手、ものを作る人、ものを作ることの価値が下がってしまいました。
労働とは肉体労働ばかりではないでしょうが、肉体労働を厭うのが問題であると考えます。 ものを作る人の、皮の厚い傷だらけの手が最も美しく尊いものだという価値観はどこに行ってしまったのでしょう?
ポルトガルでは管理職は書類などは持ち歩かず、部下に持たせるとか聞いたことがあります。
お隣、韓国だって、学者が軍人とか商人より偉いとされていたそうであります。(現在も)
それじゃ、工業が産業が発達するわけがありません。
アメリカが80年代「国力はもの作りだ」と認識し日本にリベンジしたのを忘れてはいけません。
ものを作らない社会は伸びません。ものを作ること、肉体労働を尊ぶ社会でないと明日はないと考えるのですが・・・
ワシは憂いとるぞ!




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