議論のない政党 2002.10.13

民主主義に議論はつきものだと思う。
議論のない民主主義ってあるんだろうか?

簡単に言えば、民主主義とははじめは権力を参政権を持つ人に分散させておき、種々の意見があるが、その中で大勢を占めた意見に従うというシステムである。
お断りしておくが、参政権が国民に平等に与えられていなくとも民主主義という。
ローマでは兵役を務めたものだけに選挙権を与え、昔のスイスは男子だけに、あるいは一定の税金を納めている人だけとか制限があっても民主主義という。
古代ギリシャのアテネでは奴隷もいたし、女子は参政権がなかったが民主主義である。
今の日本でも禁治産者や刑務所の中に選挙権がなくとも民主主義という。
兵役と税金は同じことだ。正確には税にはお金で払うものと従軍で払うものがあるということだろう。

更にいえば、寡頭制と民主主義というのは明確な切り分けができないのでないか?
スパルタは民主主義でなかったのか、あったのか判定は困難だろう。
人は十人十色というくらいバラエティに富んでいるので、まとまりがつかないのがあたりまえ、
昼飯を食べようとしても、マックだ!うどんだ!そばだ!というのが当たり前、
たまの休日、家内とどこかに行こうといっても「デパート」「神社だ」「新しい丸ビルに行こう」と意見の一致をみない。

政治になればそれ以上意見がまとまらないのも当たり前、
卑近な例を挙げれば、小学校を建てるとき、おらっちの近くにしてくれ!とみんなが言い出せばそりゃまとまりはつかないよ、
もう少し、重大な例としては、間接税がいいか? 直接税がいいか? なんてことになれば、すべての人が利害関係を持ち、一人一人の立場が異なるので収集が付かなくなるのは当たり前である。
そして、民主主義の宿命として、結局多数の意見に従い、物事を決定しなくてはならない。
それが民主主義の限界である。

お断りしておくが、私は民主主義を尊び、王政とか寡頭制というものに反対です。
当然、旧ソ連や現在の中国のような不透明な政治形態には拒否感を持つ。
北朝鮮の政治体制について言えば、ありゃ政治体制じゃなくて、古代の豪族としか思えない。
ネットの世界で偉大な金正日将軍とか、首領様というカキコをみかけるが、ありゃ煽りか皮肉だろう。心底そう考えているなら博物館に寄贈せねば・・・・
民主主義とは?
民主主義においては政治に関心を持つ人が似通った意見があつまり政党を作る。
政党が頭を持たない兵隊を集めるのではない
ゆえに、民主主義を奉じる国々では常に政治は議論で始まり、議決で終わる。
それは選挙でも、政党の内部でも、議会でも同じである。
俺の言うことを聞け! とか文句を言うなといえば、それは既に民主主義ではない。

政治家に望まれる最大の資質は演説だろう。
もちろんそれは弁舌巧みということではなく、しっかりしたビジョンを持ち、それを具体的に示すことができ、有権者の琴線に響く言葉で表現できることという意味である。

自民党に関して言えば、最近は派閥解消なんていっているが、昔は6個師団、8個師団なんて言われたものだ。
要するにひとつの政党内にさまざまな思想集団(利権集団かもしれないが)があり、お互いに切磋琢磨しワイワイしていたわけだ。
アメリカの民主、共和両党は何事においても争うことは当然であるが、それぞれの党内にもまたいろいろな考えがあり、議論百出である。
大統領選挙というのは党内で支持を集めねばならず、やっと党内の意思を結集しても更なる長い選挙戦が控えている。

だからこそ民主主義!
面白ではないか!

民主党の党首選挙ははなはだあいまいだったが、まあ、党内にいろいろな議論があり、その存在が許されるということが分かった。

議論がない政党は政党ではないのではなかろうか?
もちろん、特定の見解に対しては党議拘束とかあってもやむをえないところはあるだろう。
また、国会の採択において党の決定に従うのもある程度は当然だろう。なんせ政党とはある意味で戦闘集団であり、自分たちと支援者の利益確保のためには数の論理は当然だ、
議論が唯一の手段


ところで、日本の政党にも党内に議論がないところもあるんですよね、
これらの党ではみなが長年連れ添った夫婦のようにあうんの呼吸で理解しあい、意見の相違が存在しないのだろうか?

一枚岩? いやな言葉だ、

一枚岩とは民主主義でないことを意味する。
一方で全体主義を批判・否定しながら、自党は全体主義であり、反民主主義であることを隠すその体質を私は欺瞞だと思う。
党内の議論なくして民主主義といえるのか?


党の決定に従わない党員を除名するような政治団体は民主主義とはかけ離れている。
ちなみに田中真紀子さんが自民から追放されたのは政治的見解の相違ではないようです。
いかなる政党も議員個人の自由意見がなければならない。
党内に議論がないのは民主主義を実践していないのだろう。
同時に外部から党内の議論や意思決定のプロセスが見えない政党は民主的とはいえないだろう。
自党の政策決定のプロセスさえ公開せずに、官公庁や民間企業に対して情報公開せよなんていっちゃいかんよ。
笑われるぜ、


第二に党内に議論があるとしても、その意思決定のプロセスを国民に示さない政党は危険である。
なぜならばそれは民主主義を否定しているからだ。 民主主義によって存在を許される政党が、民主主義の条件を満たさないのは卑怯であるだけでなく、民主主義を遵守しない故を持って排斥されなければならない。


  日本から議論を拒否する政党を排斥しよう。
  それは民主主義を守ることと信じる。



  • 党内に議論のない政党は、民主主義国家にはふさわしくない、
  • 党内の議論を外部に示さない政党は、民主主義に反している。
  • 国民の声を聞かない政党は、民主主義には不要である。





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