社会主義の核兵器はきれいで、資本主義の核兵器は汚い
なんてフレーズを聞いたことありませんか?
えっ、意味がわからないって?
そりゃそうでしょうね〜
だって、意味がないもの 
昔のことです、
昔は10年一昔といいました。今はドッグイヤーとか3年一昔といいます。
その伝で行けばまさに大昔、ジュラ紀の頃のお話であります。
アメリカが世界で始めて核兵器を作り、太平洋戦争の終りに長崎、広島でつかいました。
ひどいことをするもんです。
まあ、それはいずれまたということにして、
核兵器は究極兵器といわれました。
抵抗するすべがないということでしょう。
社会主義の盟主であったソ連を筆頭に第二次大戦の戦勝国はみな核開発に走りました。
そのとき、社会主義政党は言いました。
社会主義の核兵器はきれいで、資本主義の核兵器は汚い と、
私は社会主義が正しいと信じる、とかいうなら論理的にはまだわかります。
思想信教の自由というやつでしょう、、
でも、社会主義の核兵器はきれいだとはいかなる論理なのでしょうか |  |
しかしそんな 汚い言葉 にも力はありました。
扇動された人たちは、アメリカやフランスの核実験には反対しましたが、ソ連や中国(当時は中共といいました)の核実験には反対しなかったのです。
ばかげたことです。
いつも申しておりますが、私は核兵器を憎みます。
自国であろうと、北朝鮮テロ国家であろうと核開発には断固として反対です。
1986年4月26日未明に起きたチェルノブイリ原発の事故は世界中の人に社会主義の核も汚いと思い知らせました。
決して、社会主義の方が自由主義国家より安全性に優れていたわけではなく、そこから出る放射線はきれいでもなかった。
当たり前であるが・・・
そのとき、以前 社会主義の核はきれいだ! と叫んでいた人たちは口をぬぐって何も語らなかった。
当たり前といえば当たり前である。
彼らは反核運動ではなかった。
平和主義者でもなかった。
彼らは社会主義者でさえなかった。
彼らは単なるソ連や中国の走狗に過ぎなかったのである。
平たく言えばソ連や中国の手先に過ぎなかったのである。
かって、ベトナム戦争のとき
ベトナムに平和をと叫んでいた人々は、ベトナムは正義だと言いました。
それは本当だったのでしょうか?
アメリカとの戦争が終わった後に、ベトナムはカンボジアとか中国とかと戦争をしました。
そのとき、ベトナムに平和をと叫んでいた人が言いました。
アメリカと戦争をしたベトナムは正しかったが、カンボジアを戦争をしたベトナムは正義ではない、 と
本当でしょうか?
この方は(名前を挙げれば、ああ、と頷かれる有名な方です)一体全体何を考えているんでしょう?
ちなみにこの方は建国記念の日にも大反対しておりました。(関係ありません)
私はこの人が間違っていると確信します。
戦争なんて正しいとか、まちがっているなんて断定できるはずがありません。
自分に都合のよいほうを正しいなんて論じてはいけません。
有名な大学を出ようとフルブライト留学しようと全然わかっちゃいないんです。
あるいはすべてを知って嘘を語っているのでしょう。
昔のことはいい、とおっしゃる方もいるでしょう。
そうです、
昔のことを根掘り葉掘りあら捜ししても得るところは少ないかもしれません。
でもね、
今、問題にしなければならないことがあります。
ほんの数ヶ月前まで、
北朝鮮の拉致問題は捏造だ!
と叫んでいた政党、団体、人々がいます。
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そして今「私たちは以前より拉致解決に努めていた」なんて白々しいウソを語っています。
私は決して許さない。
私はこのウソつきを決して忘れない、
そして、決して許さない。
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