善意の人 2002.10.24
再三様
本当はたくさん座布団あります
毎度ばかばかしいお話で・・・・
世の中には善人が溢れています。長屋のはっさんも熊さん、ご隠居もみんな善人です。
ところが善人だけでも世の中うまく回っていかないようで・・・

まあ、そこは落語の世界だからとおっしゃるかもしれません。
でも世の中の人がみな善人ならば悪はなく、まっとうな社会となるのでしょうか?
なんか善人だけ、善意だけでもあるべき社会の十分条件は満たさないようなのであります。

再生家再三師匠友情出演
南京虐殺を信じて謝罪しろ!と叫ぶ方もきっと善人に違いありません。
従軍慰安婦に謝罪しろ、補償しろ!と叫ぶ方も善人に違いありません。
私もそれが事実であったなら先頭に立って悪行を恥じて過去の清算をしようとすることに違いありません。
だって、誰がしようとそのような悪事を許すわけにはいきません。
もっともなんかそれは事実じゃないようなのです。 捏造というものらしいのです。
捏造を扇動する人は悪人でしょうが、扇動に乗る人はきっと善人に違いありません。


でも私は捏造でない大虐殺を知っています。
『粛清』なんて上品な呼び名の大勢の人が殺されたという内乱を許すわけにはいきません。
そしてもちろん文化大革命も天安門事件も、気功に対する弾圧も許すわけには行きませんよね、現在でもチベットで大虐殺をしているそうです。
アフガニスタンの誤爆以上の人々が誤爆じゃなくて意図的に殺されているそうです。
アフガンに平和を、そのとおりです。
じゃあ、チベットに平和を、チベットに民族自決をとなぜ叫ばないのでしょうか?
アメリカの核開発に反対を叫ぶなら、北朝鮮の核開発に反対を叫び、中国の核実験に横断幕をもってデモ行進をしなければ、自らをうそつきと証明することになります。

アメリカや日本の行動に批判して、中国や北朝鮮に賛同する人は悪人なのでしょうか?
いえ、善人に違いありません。
本当の悪人に扇動されているに違いありません。
実は世の中は善人だけではありません。
十何年も拉致は捏造だ!と叫んでいた政党がありました。
最近では拉致は否定できないと悟ってか、

『拉致された人は問題じゃない、国交回復が先決だ!』

と叫んでおりました。

もっともそう叫んだ議員は今ではバッジを外しているそうです。
今も議員をしていれば、その発言の真意をご質問したかったのですが・・・・

とうとう、北朝鮮が『私が拉致しました。悪うございました。』といったもんですから、今になって『私たちは拉致問題解決に努めていた!』なんて言っても、もはや誰も信じちゃくれません。


こういった行動をした方々は申し開きのしようもない悪人でありましょう。
いまさら『私たちは拉致問題解決に努めていた!』なんて発言は恥の上塗り、しないほうがよかったようです。

ああ、悪人ではなく善人のお話でした。
善人といいましても、正しいことをする人のことではありません。
自分が正しいと信じて行う人のことであります。
正しいと信じるものが正しいか否かは別問題です。
人の話を鵜呑みにして、間違ったことをしてもその責任は自分にあるということを忘れちゃいけません。
オウム事件の後に、多くの信者が『私はだまされていた』と語ったそうです。
小林よしのり氏がそれは責任逃れだと書いています。
私もそう考えます。
人を信じて何事かを行ったとしても、成人ならばその責任は自分がとるのは当然でありましょう。
我は我が咎を知る。我が咎は常に我が前にあり
いえ、
我が咎を知らずとも、あなたの咎は常にあなたの前にあるでしょう。
そしてあなたの誉れは常にあなたの前にあるでしょう。


ちなみに私は善人なのか? と問われれば『善人ではない』と答えるしかありません。
自分が正しいと信じることばかりはしていません。
会社のために法を犯して悪事をしたなんてことはありませんが、 
世の中には white lie ってのもあるってことです。
あるいは人の話を眉唾で聞くくらいでないとこの世の中をわたちゃいけませんよ。



そう言えば、
法律用語でいう善意とは『事実を知らないで行うこと』だそうです。
納得いたします。


あっ、分かっちゃいました?
実はこれを言いたくてこの文を書いたんです(^^)









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