学ぶ人 2002.10.27
勉強とはなんでしょうか?
学校とか試験とか結びつけて考える方が多いと思います。
確かに、学校は勉強するために組織でしょうし、いかなる試験であっても評価をよくするためには勉強をしなければならないでしょう。

でも、勉強って本当はもっと広い意味があると思います。
いえ、私の申し上げるのは日常業務におけるOJTとか人間関係からも学ぶこととかも勉強だよという意味ではありません。
本を読み、人の話を聞いて知識をふやすこと、あるいは新しい技能を身につけることが勉強であり、それは学校時代にとどまらず、人は死ぬまで勉強しなければならないと思うということです。

たとえばのお話
英語と囲碁は『え』があるかないかの違いですが  姿かたちは全然違います。
英語は碁盤も碁石も使わないし、碁には発音記号はない。
しかし、一番違うのは『英語は道具であり、碁は目的である』ということでしょう。
ここでは英語の先生、プロ棋士までを含めると話が複雑になるので、我々一般人に限定して話を進めます。

さて、ここで画期的な薬が発明された。
それを飲むと習い事がすごく上達するのです。さあこの薬を飲むべきでしょうか? 飲まないほうがよいでしょうか?
英語を学んでいるならこの薬をすぐに飲むべきでこれに対する抵抗はまったくない、少なくとも私には。
英語はコミュニケーションの手段に過ぎない。その手段は容易に手に入ればよいのだ。翻訳ソフトであろうと薬であろうと、上達する過程の苦労はまったく意味がない。
碁が好きで碁会所に行くのが楽しみの人がいたとする、この人は絶対飲むべきでない。
私は飲んで強くなるなら、飲まないでへたでいたほうが趣味として楽しめると信じる。
碁は考えて打つから面白いのではないですか?
中には考えず指先や口先だけで打っている方も見受けますが・・・・私だったりして?
  以前、私は碁が飯よりスキでした。あれはなんだったのでしょうか?
もうひとつ例を挙げます。
尊敬するアイザック・アジモフの短編小説『プロフェッション』です。お読みになりましたでしょうか?
asimov.gif それは未来の物語、そこでは決して優生主義ではありませんが、子供が一定の歳になりますと素質・適正を評価判定し、適正と判定された職業に関する技能を催眠教育で苦労せずに身につけその職業に就き幸せに暮らしています。
主人公の少年はある職業(忘れました)に就きたいと希望を持ち、それに関して勉強し希望をかなえようと努力します。やがて適性検査のときが来ました。ところが彼の検査結果は希望する職業はもちろん、他の職業に就く能力もないと判定されて精神薄弱者の施設に収容されてしまうのです。  ああ、なんてひどいこと
彼は絶望してしまいます。
自暴自棄になった彼ですが同室の年配の人たちからいろいろ教えられます。本を読んで勉強することが自分の世界を広げ新しい窓を開くことを・・・・おお、これはゲーテの言葉だ
そして彼が勉強するということの価値を理解した時、知らされます。
『この世界は独創性を持って、新しいものを作り出す人を求めている。君はその能力をもつことを証明したのだ』と
実は同室の人たちは彼の教育係だったのです。
話は戻って、
私の父は勉強家だったと思う。
尋常小学校しかでていなかったけど私が子供の頃、表で仕事をする時以外いつも本を読んでいた。物知りだったと思う。
柄に似合わず発明考案が趣味でした。そのためには特許に関する法律や出願方法、製図なども勉強せねばなりませんでした。
私はそんなオヤジを見ておりましたのでそういう態度・生活習慣が一般的な大人の姿であると刷り込まれたようです。
勉強は楽しいからするものだと思います。
本を開いて知らなかったことを知る、それは面白いことではありませんか?
講演会に行き、まったく知らない世界の人の話を聞くこと、それは面白いことではないですか?
考えること、今まで知らなかったことを知ること、それは最高の楽しみじゃないですか?
パチンコの玉をはじいているよりは私はおもしろいです。

『おらあ、そんなこと興味がない』とおっしゃるかもしれません。
それも結構ですが、興味がないからと首を突っ込まないと新しい窓は開けないかもしれません。

私は子供に勉強しろといったことはまずありません。
正直言って、勉強して成績を上げてほしいとさえ心底思ってもいないのです。

ひどい父親でしょうか?

私はこどもが生まれる前から、ずっと勉強をしてきました。
生まれてからも、こどもの有無を気にせずに
五十路半ばの今でも毎年何かの試験に挑戦し、講演会などに顔を出しております。
最近のものは上野動物園長だった方のお話、囲碁のプロ棋士の話、環境がどうたら・・・・これは仕事上か?
それはオヤジに刷り込まれたせいでしょうか?

しかしながらその結果、こどもが私を見て『ああこれが普通なんだ』と受け取ったようです。
それが受け継がれ本を読み新しいことに興味を持つようになったようです。
ただ、私はそれがよかったなんて断定するわけじゃありません。
そりゃ人さまざまですから、
変な話ですが、私は子供がそうなったことをよかったのか悪かったのか判断できません。
こどもが勉強嫌い(ここでいう勉強は学校の勉強ばかりでありませんよ)であっても悪かったとは思いません。
子供には子供の人生があり、なにごとも強制なんてするつもりもなく、またそれは不可能なことでしょう。

まあ、人生も長くなりましたし科学技術の進歩も早くなりました。若い時の学校の勉強だけで食べていくにはちょっと厳しい時代となったようですし、子守もしない現在長い老後をもてあますのではと・・・・
ついでに言えば、勉強する人はなにごとに対しても裏をとりますので、ウソ、つじつまが合わないことを無条件に信じるようなことはないようです。




学ぶこと、
それは高尚ではないと思いますが、
結構自分のためになるものでございます。






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