計算する人 2002.11.01

 
講談師yuki女王様
女傑です
本日は落語ではなく、講談をひとつ・・・・
お題は『計算する人』について、

おっと、計算する人といっても『計算高い人』ということではなく、文字とおり計算する人についてです。
yuki女王様 友情出演

人間の歴史ある限り、計算が必要だったことがわかります。
数を数えること、すなわち計算でした。
子供が生まれれば何人になったかと足し算が必要だったでしょうし、食料を食べれば引き算をしなければならなかったでしょう。 一人当たりの食料と頭数から掛け算が必要になったでしょう。
とってきた獲物をみんなで分けようとか蓄えがいつまで持つかということを知るには、割り算が必要だったでしょう。

微分、積分 そりゃ運動力学が発生するまで必要なかったようです。
ニュートンさん偉いですね・・・・


私は工業高校でした。
今から40年近く前、計算するための道具といえば、そろばんと計算尺しかありません。
計算尺、ご存知でしょうか? 
計算尺というのはなんと言いましょうか、竹製の定規が3本ありまして、外側の2本はつながれていて、中央の定規が長手方向にスライドするのです。
更に重要な部品として『カーソル』というガラス製のスライダーが付いていました。
私は今でも『カーソル』という言葉を聞くと、モニター画面の光点ではなく、この計算尺の部品を思い浮かべてしまいます。
3本の定規には目盛りが刻んでありまして、この目盛りを合わせたり、カーソルを目盛りに合わせたりして掛け算、割り算、三角関数、対数計算をしたのです。
有効桁数は3ないし4桁、桁数を増やすには長くするしか手がなく、通常は10インチ(25センチ)でしたが、精度を要求する時は20インチ計算尺というのを使いました。
計算尺の理論はネピアという人が対数を思いついたからです。

さて、当時の工業高校ではこの計算尺というのが大変重要でして検定があり、また競技会がありました。
私の高校時代はこの競技会というのが非常に価値がありまして、県で上位10位くらいになればそりゃ名誉でした。

電卓が現れる前の話です。

会社に入っても計算尺は毎日使いました。
部下が何人いるから今日は生産は何台しなくちゃなんない、ということにも計算尺がなければ紙に書いて計算するはめになったのです。

原価計算をする人はタイガーという手回し計算機を使いました。
こういった用途には桁精度が三桁では不足だったんです。

私が二十歳過ぎた頃、電卓があらわれました。
あらわれた当初は四則だけ、ルートなしという8桁のものが8000円だったのを覚えてます。
もちろん、その前から何万円という電卓はありましたが、個人で買えるようなものはそのときからです。
当時は私の月給が4万円くらいでした。
8000円というのは安くはないですね、今の価値から言えば4万円くらいでしょうか?
毎月1000円の月賦だったのを覚えています。
クレジットカードなんて当時ありません。
計算が手軽にできるということは、画期的なことでしたね、
今時、電卓が考える力をそいでいる、とかいう議論もあります。
確かに子供のときは計算する力をしっかり養うことが大事と思います。
でも、会社の日常での計算が手軽に、精度がよく(3桁から8桁といえば10万倍の精度だよ)できるようになったということはすごい革命でしたよ。
今のパソコンよりも大きな前進だったと思います。






今は練習も必要とせずに手軽に計算ができるようになりました。
でも、一般の方はあまりその恩恵を活用していないように思います。
値引きとかサラ金の利子なんて、ちょっと電卓叩けば『ギョエ!』とするようなものがたくさんあります。
簡単な計算、ちょっとしたことを計算して頭の錆びつきを防ぎませんか?

それと、計算というのは細かな数値まで求めることが重要じゃないんです。
大まかな数値、場合によっては桁程度わかればいいものだって多いのです。

ダイオキシン濃度なんて、ありゃ桁が分かればいいというもの、
ですから広報された数値だって、何桁も知る必要もなく、発表された数値の倍より小さく半分より大きいくらいに受け取ればいいのです。
環境関係の数値とはそんなもんだし、また正確だとしてもそんなわずかな多少は有害性の判断に影響しません。(断言)

日常の暮らしでも精度より、概略をつかむことが大切です。
あそこの大根が2円安いわ! という前に、この前買ってきた大根を使わずに捨てていたりしては計算以前!


私が知っている計算がもっとも得意な人をあげますと、、
実は実在の人物じゃないんですが・・・・・
アーサーCクラークの『乾きの海』という小説に出てくる人物です。
渇きの海とは
月の観光船セレーネ号は「渇きの海」と呼ばれる非常に粒の細かい砂が覆った平地を走っています。ここでは砂の上をまるで水のように浮かぶことができるのです。ある日22人の男女を載せたセレーネ号は地震にあい砂の中に沈んでしまいます。それを天文台衛星の科学者が、渇きの海の砂の下にあるのを発見します。さてセレーネ号をいかに救助するか・・・・・
もちろん小説ですから、最後はハッピーエンド & ロマンス付きです。


この事故に合った人たちを救おうとする科学者は、とにかく概算が早く、的確なんです。
残念ながら、ボケたせいか名前が出てきません。本も捨てちゃったし・・・
ななし様より、トム・ローソンだと教えていたできました。
この本を読むと計算というものは正確な値を求めることが重要ではなく、正しい概算をすばやくすることが大事だと分かります。

いやあ、私もたくさんの人間と付き合ってきましたが、いるんですよね、
細かいことにこだわって、ちっとも仕事が進まない人とか・・・
正確な仕事をするんだけど、仕上がった頃にはとうに手遅れとか・・・


以前一緒に働いていた人に、『拙速を尊ぶ』と語ったところ、
『俺は早く、よい仕事をするんだ』なんてほざいていました。
ところがすることなすこと、仕事は遅く、ろくな仕事もしませんでした。
  幸い会社を辞めました。

拙速を尊ぶとは、早ければ悪い仕事でも良いという意味ではないと思います。
期待される品質のものを納期に間に合わせるということと考えます。

今晩も来て頂いてありがとう


計算の目的を考えましょう。
精度を求める場合もあるでしょう、でもあなたが計算するのは何のためですか?

   ガソリンを入れて、ああ、リッター○キロ走ったんだ。
   とか
   この電車では新宿に何時に着くのかしら・・・
   ということじゃないでしょうか?

そんなとき、細かい桁数までこだわっても仕方ありません。
必要な概数をパット知ることが重要ですよね、

なにごとも細かいことにこだわって方向性を見失ってはいけません。
そう言えば、今年春の有事法制論議でも、この法律にはこの欠陥がある! どこが悪い! とブレーキをかけたり、バックしようと発言する方々がいました。
失礼ですが、ああいった方々は日常業務をテキパキをこなせないと確信します。
そして、もったいぶって『ああだ、こうだ』と語っておられるのでしょう。
本人は知らないけどまわりからは鼻つまみ  だったりしてね、

私は実用的な人間です。この世は実用的、現実的な人間が築いてきました。
決して夢想家には革新はできないでしょう。



計算は必要な精度ですばやくすることが必要です。
精度が高くとも遅ければ意味ありません。
世の中では現実的な物事の処理ができなければ価値はありません。






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