信じるに値するもの 2002.11.27
私たちは毎日、家族、同僚、知り合いとの話から、各種メディアから、行政から、さまざまな情報を受けてまた発信して生活しています。
しかし、すべての情報が信頼できるとは限りません。
というか信用できないものがたくさんあるのです。
私たちは経験的に信用してよいものと別な情報源で確認が必要なこととか自分なりにランク付けしているのではないでしょうか?

たとえばテレビを考えてみましょう。
テレビの目的はコマーシャルを見せることです。内容の正確さが目的じゃありません。
また、録画後に出演者やスポンサーあるいは利害関係者からクレームがつかないようにそうとう編集されているはずです。
テレビ○ックルなんて本当のやりあいは放送されていないと聞きます。
険悪な雰囲気だったものが、なぜか?コマーシャル後にがらりと穏やかな空気になっていることってありますよね、
大喜利だって、突然座布団が増えたり、減ったりした画面を見たことありませんか?
あれは放送禁止用語などのところをカットするためにそうなるそうです。

まあともかくテレビ番組は視聴率優先で、番組の内容や質優先ではないでしょう。
スポンサーはそのドラマの質・内容より視聴率をインデックスとしてお金を払うのは間違いありません。

ニュースはどうでしょう? 信用できるのでしょうか?
ニュースは事実を報道するとしても、何を報道するかで既にバイアスがかかっています。
他のテレビ局が報道している事件を1社だけは報道しないなんてことは多々あることです。
げすのかんぐりですが、そのニュースはスポンサーにとって具合が悪いのかもしれませんね?
私はニュース○テーションの久○さんはニュースキャスターではなくコメディアンと変らないと思っています。

ところでN○Kはどうなのか?
ありゃ、国民のお金で某国の宣伝放送をしているのだろうか?
人気コメディアン

もちろんテレビだけでなく新聞だって週刊誌だって状況は同じでしょう。
中吊り広告を見て、これはぜひ読まなくちゃ!と週刊誌を買えば、その記事はたった2ページしかなく、中吊り広告より情報量が少なかったりします。金返せと叫んでもとき既に遅し!
もっとひどいのは、記事と思っていたら実は広告だったというのはたっくさ〜んある。
なんかおかしいな?と思いながら最後まで読んではじめて末尾に小さく『広告』とかいてあるのに気づくしまつです。
タイトルだけやサマリーだけ見たのではでは「新聞に載っているから」と信じてしまいます。

広告のない週刊誌というのは、言い換えれば全面広告だったりしてね 

大学教授とか博士が書いている本とか唱えている説だって信用できるとは限らない!
みな眉唾してかからねばなりません。
大学教授といっても主張していることと研究分野は全く別だったりします。また聞いたこともない大学の教授ではそのセンセイが何が専門で今までいかなる業績があるのか調べようもない。
憲法学者を標榜している代議士が、憲法に関して論文も書いたこともなく、いえ学会から憲法学者として見られていないという事実もあります。

最近話題になっている大学は、経営者が税金逃れのために設立したとインターネットでささやかれています。
専門分野の学説だって信用してよいのか疑ってかからねばなりません。
化学や物理ならともかく信用できるでしょう。科学というのは客観的に正否がわかりますから他の分野より信頼できます。
数年前、常温核融合という世紀の大発見をしたかたが最終的にウソだったと断ぜられましたが、科学にはそういった検証ができるという性質があり、検証できないなら科学とはいえません。

他方、経済学においては専門家という価値があるのか私はわからない。経済学の権威なら日本経済を立ち直らせてみい!
文学博士に至っては専門分野においてさえまったく意味がない!
私はノーベル文学賞受賞者と週刊誌のミステリやポルノ作家との価値の違いは分かりません。

とにかく権威をかさに発言する方は、まず疑ってかからねばなりません。


だまされちゃいかんよ では、私たちはだまされないためにはどうしたらよいのだろう。
いつも申し上げておりますが勉強することです。
学校に行くことが勉強ではありません。勉強とは考えることです。
考える人はだまされにくいですよ。

なにも考えずに、テレビ・新聞の流す情報を鵜呑みにすると、個人が騙されるだけでなく日本という国を誤ってしまう可能性が高い。
日常のテレビや新聞報道に対して常に「本当なの?」と疑問を持ってあるいは「他のテレビは新聞は?」と比較しなければいけません。

考えるための基本的なこと、たとえば『三段論法』とか『逆は常に真ではない』とかいうことを知識ではなく、身に着けていつでも使えるレベルとしておかなければいけません。

次にいかなるものについても学説が多々あることを知らなくてはなりません。
宗教と世の中は違います。絶対者はいません。
『偉大な人物がいつも偉大であるとは限らない』と語ったのは毛沢東ですが、何人であろうと語られた言葉をありがたがるのではなく、常に斜めに見て、まゆに唾して聞いたほうがだまされることはありません。

最後にものごとを調べる方法、辞書だけでなくインターネットその他の手段を知ることでしょう。
学ぶこと、身に付けることとはそういったことではないでしょうか?


次に体験談について
南京虐殺を見た(?)とか従軍慰安婦を買ったとかそんなこと真実かどうかワカリマセン

たとえ話ですが今私たちの生活を1000年後の人が見てその文化程度をどう考えるでしょうか?
私の娘は物をほとんど持たない。アクセサリーなんか高価なものを持っているが数が少ない。
息子は物持ちである。オーディオ、パソコン、本、その他多種多様の雑貨類・・・・
ある日、ポンペイのようにそれぞれのアパートが火山灰に覆われて1000年後発掘されたとしましょう。
考古学者はどう解釈するでしょうか?
娘の部屋を見た考古学者は
『物が非常に少ない、産業が遅れていたのだろうか?金銀や宝石に価値があった社会なのだろう。』と考えるかもしれません。
一方、息子の部屋を研究した学者は
『当時の最新電子機器が多く備えられ、情報化社会の入り口に合ったと思われる。貴金属などに価値をおかず情報、知識に価値がある社会だったに違いない』
ってね、、
群盲巨象をなでていても真実は見えないのです。

私はその場にいました!という体験談があってもそれが真実を伝えているとはいえない。
特に戦乱においては、まして60年も昔のように情報が伝わりにくい時、世の中の動き全体を把握することなど不可能でしょう。

一人の人が日本兵が何万人も殺したのを見たなんてこと自体ありえないでしょう。
阪神淡路大地震では何千人もの方がお亡くなりになりました。でもそのとき、一度に数百以上のご遺体を見た方はいなかったでしょう。
南京で数千人の虐殺された死体を見たと語るなら、それ自体がウソであることは間違いありません。
大体、数千の遺体を数えることができるのでしょうか?
人間は心理状態によって数を把握するのは非常に難しいと聞きます。
2.30機の飛行機が爆撃した時、その場にいた人は数百機の飛行機が空襲して来たといったそうです。
ゼロ戦が空中戦をしたときその時間はどのくらいだったか?
 ストップウオッチで測定した方がいます。
 空戦になってから終わるまで1分くらいだったそうです。



本日の主張



いつも、ウソを語る人、政党、国を論駁しようとしておりましたが、徒労に過ぎないと感じるようになりました。
そこで、本日はだまされないようにしよう! という主張であります。






ルパン三世様よりお便りをいただきました。(2002.11.28)


人間の耳目は曖昧なもの
『信じるに値するもの』を読ませて頂きました。今回は深く考えさせられました。
人間の耳目は曖昧であり、ましてや、阿鼻叫喚の地や緊張を強いられる境遇においては、判断を誤り過剰にに反応するものです。
かつて父が参加した台湾沖の航空戦では日本の発表は米国の参加艦船数より多く撃沈数を発表しています。違う人間が見た同じ艦を別艦として加算した訳です。そのため、ハルゼーに沈没艦を引き上げながら撤収中などと平文で報告される始末。父も戦艦1隻撃沈したと言っておりましたが、実際は戦艦の被弾すらありませんでした。
以前、父に指摘すると「そんなはずはない」と立腹しておりましたが、記録にないものはないのです。
人間の目とは過大評価するものだと改めて想い出した次第です。
それ故、近代化された軍隊は人間の耳目を信用しておりません。全てカメラに収めるのです。斥候にはヘルメットにCCDカメラを付けて行かせます。最前線の興奮に影響されずに、後方指揮官は冷静な目で判断する訳です。無線だけならば斥候の耳目だけを信用せざる得ませんが、カメラは興奮しませんし緊張もしません。
他方、実戦訓練での生死判定も今はレーザー照射による被弾判定です。コンピューターは大目に見てはくれませんし、厳しすぎる判定もありません。ただ、致命傷を受けたか否か、この一点のみです。
訓練された人間でさえ信用しない時代です。当時の一般人の目で見た光景など信用に足る訳がありません。
『嘘に騙されるな』とはなんと重みのある言葉でしょうか!
いつも専門的なコメントありがとうございます。
人間の目や耳はあてにならないのですが、慰安婦、南京問題、強制連行など『俺は見た!』と大声で叫ぶ人がいると皆引けちゃうようで困ります。
森前首相が北朝鮮に行った時『拉致は捏造だ!日本は謝罪せよ!』と大声を出され、拉致ではなく行方不明者として扱うことにしたとか 
大声を出されたくらいで正論を忘れるようでは政治家とはいえません。

もっとも、日本の政治家の中には自分から相手国の利益を図っている方々がいて困ります。


おお、彼らは北朝鮮選出の国会議員でしたっけ?
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