戦争と平和 2003.01.11
いやあ、このウェブサイトもすごく格調高くなってしまいました。 
トルストイと五分を張るようになってしまうとは!

「戦争と平和」を読んだことがあるのかい?って、もちろんありますよ、高校のとき学校で授業中ひたすら読みました、あのとき一週間くらいで読みきった記憶があります。

  現代国語の時間か?なんてふざけちゃいやよ、
  英語の時間も数学の時間も古典の時間ももちろん現国も・・・

その後、会社に入ってから読みました。このときは2ヶ月くらいかかったような気がします。なにせ、長い小説ですからね。さすがに三度めを読む気にはなりませんでした。
一般論ですがロシア文学って長々と物語を語り続けるのが好きというか、「長いことはいいことだ!」みたいなところがあり、あまり好きになれません。ジェームズ・ミッチナーとかヘルマン・ヘッセなら付き合えるが、同じことを延々と繰り返すたぐいの物語はご遠慮したいものです。
同じ内容の物語をあらわすのに10万語必要とするのか、2万語で書くことができるのかということを小説家の力量として評価すべきではなかろうか?
 数学ではもっとも簡単に証明するのがエレガントとされているのだから。
単に長いだけならそれは原稿料稼ぎに過ぎないのかと・・・
私、長い小説が嫌いではないのです。大デュマとか小デュマのものほとんど読みました。要するにおもしろければ長くとも短くともよろしいのでは???

「戦争と平和」を読んで上流社会の習慣とか当時の兵隊の服装には詳しくなりましたが、ためになったかといいますと なぞ? ですね。
映画も旧ソ連で映画化されたものもオードリーのものも見ましたが、まあどうってことありません。
あっ、トルストイと「戦争と平和」では議論を仕掛けてこないでください。
自説があればご自分のウェブサイトで発言しましょう。 


いえ、本日の話題はトルストイじゃありません、
戦争と平和といいましても「平和が好きですか? 戦争が好きですか?」というよく聞かれる質問に関しての考察です。
平和が好きですか? 戦争が好きですか?
昨年、海上自衛隊がPKOで出航するときもテレビ局が近くにいた市民に問うていました。
「平和が好きですか? 戦争が好きですか?」

この質問は意味のある質問なのでしょうか? 適正、適切なんでしょうか?
  • 平和の反対は戦争か?戦争の反対は平和か?という疑問がまずあります。
    実は5冊ほど反対語辞典というものを調べたのですが、みな戦争の反対語は平和となっています。
    はっきり言ってこれは間違いでしょう。
    戦争の対義語はどうも平和ではないようなのです。
    「戦争」というのを国家間の武力衝突とするならば、その反対語は「外交交渉」でありましょうし、「平和」というのが争いのないことならその反対語は「不和」あるいは「騒乱」でしょうね。
    クラウゼビッツの定義で「戦争は政治の延長」ならばその反対は「外交交渉」ではなく「政治の崩壊・モラトリアム」でしょうか?
    なお、英語の辞書も当たりましたが、よく分かりません!
    「War」の反対は「Raw」で刺身だ!なんていっちゃつねっちゃいますよ。 
    「Peace」の反対語は「Ecaep」??
    e-capeならありそうですね、電子防御付ケープか?それとも岬にあるコンピュータの基地?

  • 次に戦地(?)に向かうことが戦争で、行かないことが平和なのでしょうか?
    第二次大戦で戦地に向かった日本兵は家族を守るためと信じていたでしょうし、アメリカ兵も平和のためと信じていたでしょう。
    それとも Not a post, not a job, but an experience. かな?
    ご存じない方へ、これは第二次大戦時アメリカの募集ポスターのコピーです。
    アンクルトムを知ってるかい?

    日本人としては納得できませんが、エノラゲイの機長が「このボタンを押すとアメリカ人の命を救うのだ」と上官に言われるシーンを映画で見ました。
    いえ、WTCテロをしたタリバン、インドネシアホテル爆破犯、パレスチナのテロ実行犯みな「自分たちが願う平和のため」と信じていたに違いありません。
    もっとも日本のメディアではテロに甘く国家の軍隊に辛いというダブルスタンダードがありますよね、
    まあ、戦い、戦争に関わるすべての人は自分が正義であり、平和のために戦っていると信じているわけです。
    無為無策でいることが戦争を引き起こすことであり、平和のために身命を戦場に投ずることが求められることもあるという事実を認識しなくてはなりません。


  • 戦争と平和は好き嫌いで割り切れるのでしょうか?
    「セックスは気持ちいいから援助交際はいいんだ!」なわけありません。
    気持ちよくても法律上あるいは道徳上悪いことはしてはいけないし、やらなくてはならないことはつらくてもいやでもしなくちゃならないのです。そういうのを義務といいます。
    それが理解できないのは年齢に関係なく成人とはいえません。
    現在は学校でも家庭でも義務というのを教えないから困ります。
    若い社員が「会社に来てやっているんだ!」なんて恩着せがましいいスタンスじゃ日本はもう終わりです。
    松下幸之助さんの著作でも読んでやり直さないといけません。

  • 戦争と平和は選択の余地があるのでしょうか?
    嫌いなら他方を選択できるのでしょうか?
    今現に、北朝鮮が核開発を進め、日本どころかアメリカ本土までを射程におさめるミサイルを装備しつつあります。
    「私は平和主義でいきます!」と言おうと北朝鮮の金将軍はそれにお構いなしでしょうね!
    私は税金を納めるの嫌いですが、道路や消防、警察を考えるとやむを得ません。
    北朝鮮のように核兵器をもってごり押し脅迫する国家を相手にしては嫌いも好きも言っている余裕がありません。

「戦争が好きですか?」と聞かれたら
私は「好き嫌いではありません、悪に隷属するよりは戦争を選択します。」と答えたい。
この文章を引用する方は、頭を省いて末尾の「戦争を選択したい」だけ引用しちゃいけませんよ、
サヨクの方はそういった手口が得意ですからね 
ranger.gif




本日の結論


戦争と平和は反対語じゃありません。
「戦争か、平和か」と選択できるものでもありません。
それをあたかも選択できるように表現し、質問することは卑怯な行為です。
 文句あるなら、さあ、かかってらっしゃい!





起承転結というのが、文のセオリーだそうです。
私の文章は起〜〜〜〜結、とか起〜承〜転で結がなかったりさまざまで文章のお手本にはなれません。
もっとも業務における文章は結論を頭に、次に詳述を述べることが重要です。
最近はその結論さえも読む時間を節約するために冒頭に「エクゼクティブサマリー」と称して数行のレジュメを記載することが多いです。
捏造はいかんよ!
新聞記事は見出しが結論で本文はその詳述であるべきですが、新聞社によっては見出しと結論が微妙にずれていたり、読者に思わせぶりな言い回しがあったりいたします。
旗幟鮮明に、記者は責任ある文章を書かねばなりませんな!



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