いやあ、このウェブサイトもすごく格調高くなってしまいました。

トルストイと五分を張るようになってしまうとは!
「戦争と平和」を読んだことがあるのかい?って、もちろんありますよ、高校のとき学校で授業中ひたすら読みました、あのとき一週間くらいで読みきった記憶があります。
現代国語の時間か?なんてふざけちゃいやよ、
英語の時間も数学の時間も古典の時間ももちろん現国も・・・
その後、会社に入ってから読みました。このときは2ヶ月くらいかかったような気がします。なにせ、長い小説ですからね。さすがに三度めを読む気にはなりませんでした。
一般論ですがロシア文学って長々と物語を語り続けるのが好きというか、「長いことはいいことだ!」みたいなところがあり、あまり好きになれません。
ジェームズ・ミッチナーとかヘルマン・ヘッセなら付き合えるが、同じことを延々と繰り返すたぐいの物語はご遠慮したいものです。
同じ内容の物語をあらわすのに10万語必要とするのか、2万語で書くことができるのかということを小説家の力量として評価すべきではなかろうか?
数学ではもっとも簡単に証明するのがエレガントとされているのだから。
単に長いだけならそれは原稿料稼ぎに過ぎないのかと・・・
私、長い小説が嫌いではないのです。大デュマとか小デュマのものほとんど読みました。要するにおもしろければ長くとも短くともよろしいのでは???
「戦争と平和」を読んで上流社会の習慣とか当時の兵隊の服装には詳しくなりましたが、ためになったかといいますと
なぞ? ですね。
映画も旧ソ連で映画化されたものもオードリーのものも見ましたが、まあどうってことありません。
あっ、トルストイと「戦争と平和」では議論を仕掛けてこないでください。
自説があればご自分のウェブサイトで発言しましょう。
いえ、本日の話題はトルストイじゃありません、
戦争と平和といいましても
「平和が好きですか? 戦争が好きですか?」というよく聞かれる質問に関しての考察です。
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昨年、海上自衛隊がPKOで出航するときもテレビ局が近くにいた市民に問うていました。
「平和が好きですか? 戦争が好きですか?」
この質問は意味のある質問なのでしょうか? 適正、適切なんでしょうか?
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「戦争が好きですか?」と聞かれたら
私は「好き嫌いではありません、悪に隷属するよりは戦争を選択します。」と答えたい。
この文章を引用する方は、頭を省いて末尾の「戦争を選択したい」だけ引用しちゃいけませんよ、 サヨクの方はそういった手口が得意ですからね 
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本日の結論
戦争と平和は反対語じゃありません。
「戦争か、平和か」と選択できるものでもありません。
それをあたかも選択できるように表現し、質問することは卑怯な行為です。
文句あるなら、さあ、かかってらっしゃい!
起承転結というのが、文のセオリーだそうです。
私の文章は起〜〜〜〜結、とか起〜承〜転で結がなかったりさまざまで文章のお手本にはなれません。
もっとも業務における文章は結論を頭に、次に詳述を述べることが重要です。
最近はその結論さえも読む時間を節約するために冒頭に「エクゼクティブサマリー」と称して数行のレジュメを記載することが多いです。
新聞記事は見出しが結論で本文はその詳述であるべきですが、新聞社によっては見出しと結論が微妙にずれていたり、読者に思わせぶりな言い回しがあったりいたします。
旗幟鮮明に、記者は責任ある文章を書かねばなりませんな!
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