対談 Yosh氏 vs おばQ 2003.04.27
いつもインターネットでご指導をいただいている我が師匠 Yosh氏よりある日電話がありました。
「日本に来た、ぜひお会いしましょう」
おお、おばQ  は感動・緊張で身が引き締まりました。

佐為 Mr.Yosh
そして某日、都内某ホテルのロビーでお会いしました。
「私が佐為です」
「私がYoshです。おお、髪の毛は3本よりは多いですね」
とお互いに和やかに自己紹介いたしました。
以下、YoshジジイとおばQジジイの語り合った概要であります。
もっとも対談の9割はYosh氏の言葉であり、おばQはひたすら拝聴し薫陶を受けたのであります。

  • 語るなら体験を語ろう。自分で考えたことを語ろう。
    Yoshさんは言いました。「ネットの世界で『ユダヤ人の陰謀』ということを語る方がいます。ユダヤ人といっしょに仕事したことがありますか?」
    「ユダヤ人の陰謀を語っている方はいかなる証拠、あるいは体験に裏付けられているのか?」と・・・
    まさか、三文雑誌、週刊誌からだけの情報とはおっしゃらないでしょうね。
    劣化ウラン弾の有害性を語るウェブサイト、掲示板の書き込みがあります。アメリカでは劣化ウラン弾の話題などメディアに現れないそうです。日本でこれほど大騒ぎするのはなぜなんでしょうか?引用するなら権威ある書物・論文の10や20あげてほしいもの。
    Yoshさんは言いました。「本を読み、勉強するのはいいことだ。でもそれを自分で考え咀嚼(そしゃく)せずに単に受け売りで語るのは危険ですよ」と・・

    この言葉をお聞きして、不肖おばQは今までにネットの世界で自分の体験、あるいは考えたこと以外書き込みをしたことがないか?思い巡らし、反省したのであります。


  • ステレオタイプはいけません。
    『日本人だからダメだ』と言われたらどうしますか?とおっしゃいました。そうです、日本人と言っても1億2千万人もいます。殺人犯もいればノーベル賞受賞者もいます。私のような運動がまるでダメな人もいれば、中田もイチローもヤワラもいます。
    省(かえり)みましょう。
    『在日』とひとくくりしてはいけない。54万人の在日韓国人、在日朝鮮人がみな同じ顔、考えを持っているはずがない。一人一人異なるはずであり、日本に対する考え、母国に関する思いは違うはずです。
    平和主義者にもさまざまな方がいるでしょう。愛国者にもさまざまな人がいるでしょう。サヨク、右翼と呼ばずに一人一人の意見を思いを語り合いましょう。
    そして、個人のお考えを持たずただ「センソウハンターイ」とシュプレヒコールを叫ぶ方々は家畜並みだろうかと二人で思いをめぐらしたのであります。


  • 信じる自由と行動する自由
    思想信仰の自由と言うのは、社会生活上許される範囲であることはいうまでもありません。私は天動説ですと言ってもかまいません。『赤信号が「GO」緑が「STOP」であるべきだ!』と考えてもかまいません。しかし、現実に「赤で走り、緑で止まる」という行動をすることは即社会に対して危害を与えることになります。
    信号機
    青信号と言いますが、国際的には緑といいます。

    北朝鮮が日本人を誘拐しあるいは殺したということを弁護する発言をすることは、明らかに思想信仰の自由を超えた日本の安全に対する挑戦であり脅威です。
    このようなばかげたことを許すことはできません。
    Yoshさん多いに語りました。「社会秩序に反する行為は自由ではない。断固たる態度を」と


  • 日本人と日本国民
    Yosh様曰く、最初に「日本人よ、誇りをもて」というタイトルに惹かれてきました。
    日本人よ誇りをもて 「私はアメリカ国民ですが、日本人と思っています。『日本国民よ、誇りをもて』とあったら訪問しなかったでしょう」と。
    なるほど、それですね。
    在日韓国人は選挙権を求めているそうです。日本国籍を得ても、韓国人・朝鮮人としての誇りを持ち続けることはできるし、そうあらねばならないでしょう。
    いったん日本国籍を取得すると韓国人としての誇りを忘れるのが恐いのでしょうか?
    在日外国人の選挙権とはつまるところ日本人になるという選択ではなく、日本国民になるという選択ではないのか?
    ということは日本国民になりたくないならば、選挙権もほしくないという結論となりませんでしょうか?


  • 権利と責任
    Yoshさんは語ります。「アメリカの民主党は減税は金持ちのためだという。そのとおりです。でもアメリカ人の3分の1は税金を納めていない。だから貧乏人は減税対象にならないのです。」
    高潔であれば良い政治家となれるとは限らない民主党が選挙で「減税は金持ちのためだ」と語れば自分が税金を払っていないことを忘れている一般大衆に受け、票を得ることになる。そしてクリントンもカーターも大きな政府を作り負債をふやし、北朝鮮に下手に出た結果が今をもたらした。
    Yoshさんと私のカーターの北朝鮮外交に関する評価は期せずして一致しました。クリントンが末期に北朝鮮に行かなくて良かったですね、ゴアの票稼ぎに北朝鮮に行っていれば世界平和に対しては大変な手落ちであり、非常な脅威であったでしょう。

    「権利と責任」手垢にまみれた言葉です。
    権利だけ追い求め、責任を忘れている日本人・日本国民は安全や経済を自分の責任とリンクさせて考えてほしい。真に日本を考える人だけが、国政に関する権利を持つべきでしょう。日本の国益を損ねる人が日本の行く末を左右してほしくない。そのような政党は存在を許されるべきではないのです。

  • 語るなら話し言葉で語ろう。
    ネットでは大論文を書き込む方もいます。でもむずかしい言葉を使う方がいますね、平明な言葉では表現できないのでしょうか?と語っておられました。
    そして私のウェブサイトは文章も言葉も分かりやすいとお褒めの言葉をいただきました。
    言い換えると、これって私が子供並ということでしょうか? 

    でも、日常使っている話し言葉で政治や外交を語ることができないのはなぜなのでしょうか?それともむずかしい言葉でかかれる方は日常の会話で使っている言葉がら抜き言葉、幼児語、その他であって文字に書くのが不適なのでしょうか?あるいは内容が乏しく、漢字の量、漢語の羅列、著名人の言葉からの引用でハッタリをかまそうとしているのでしょうか?
    私は家内と話すときも、会社でも、ご訪問先でも、このたびのYosh様との会話でも口調は変わりません。それが私です。裏も表もありません。人間裸で勝負!
    Yosh様がこの文章を見たら、先日お会いした時と私の書いたものに裏表ないことを保証してくれるでしょう。


  • 議論のための議論
    掲示板で議論している方は、勝ち負けのゲームをしている方がいる。論理も倫理もへったくれもなく、延々と意味のない文字を連ねているだけの人がいて、自己満足している方がいる。あれはディベートの練習なのでしょうか?単なる暇つぶしなのでしょうか?
    YoshさんとおばQはまったく困ったもんだと肯きあうだけでありました。
    なお、Yoshさんは私の相互リンクしているウェブサイト、掲示板はほとんどチェックされていらっしゃいました。
    それぞれのウェブサイトのコンテンツや、掲示板の論客について彼の評価を語っていましたが、これはコンフィデンシャルとして私の胸にだけ納めておきます。
     
  • 肩書きで勝負するな!結果で勝負!
    名刺交換した後の話です。
    「アメリカでは名刺交換なんてしないんでしょう?」とおばQがお聞きしますと、
    「あまりしません、でも駐在している日本人とは名刺交換の習慣があります。実は私はあまり名刺をださないんですよ」
    「日系企業の社長の名刺を持っていても、社長の仕事をしてないんです。日本の本社から来るエライさんのアテンドばかりだそうです。・・・・現地企業で社長なんていっても日本の本社では係長・課長クラスと聞きました。・・・だからそんな方と会うと聞くんですよ。どんな仕事してるのか?って」
    看板だけの人ってこの日本にも大勢います。私は毎日会っています。
    「○○会社 課長」はあ、いったいどのような能力を持ってどのような成果を出しているのかをお聞きしないと価値はワカランもんね、
    いえNPOだって「○○会 会長」会員が一人だったりして 
    会社、役職、学位なんか関係ないです。私はこれだけできます。これこれの仕事をしてきました。いいじゃないですか、以前も申しましたがマスター、ドクターっても過去にすごい成果を出したことであって、今でも能力があるかの保証はありません!
    薄っぺらな芸能人がテレビで北朝鮮弁護の発言をしちゃイカン

当たり前のことをふつうの言葉で話しただけでありました。
難しい言葉はなく、哲学も法理論もニーチェもマルクスもチョモスキーもお呼びではありません。私たちには有名人も○○理論もいりません。考えを進めていくのに必要なのは自分たちの人生経験と常識がすべてです。
お断りしておきますが、Yoshさまはビジネスマンであると同時に歴史研究家です。

しかし、なぜ当たり前のことが当たり前としてこの日本では語られないのでしょうか?


別れる前に二人並んで記念写真をとりました。もしこれが反動勢力の手に入ると刺客を差し向けられるのではないか?と心配し、ハードディスクの奥深く秘蔵いたしました。

帰りの電車で中つり広告に「対談 小川一郎vs管直人」というのがぶら下がっていました。
そんなチンケなものでなく、本日は「対談 Yosh氏 vs おばQ」というものすごいのががあったのであります。

Yoshさま、またお会いしましょう。
その時、日本が今より少しでも良くなっていることを祈ります。そしてこのウェブサイトがわずかでも効果があることを願ってやみません。






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