憲法記念の日に思う 2003.05.03
本日は「憲法記念日」です。みなさまはこの祝日にいかなる思いをお持ちでしょうか?
昨日、同志からお便りをいただきました。

馬場多聞様より(2003.05.02)
明日は国辱の日です。
「あー、この憲法の制定を国の記念日としている限り、日本の独立ということは永遠に不可能だ」と思ったのは何才の頃だったでしょうか。それからです。私がこの日を「国辱の日」となし、その思いを表して半旗を揚げるようになったのは。
いかに言い繕うても、現行憲法の本質は占領憲法です。我が国の名前を冠する「日本国憲法」を名乗る資格などどこにもありません。
民主憲法でも、平和憲法でもありません。
独立自主の心を持つ人間なら、現行憲法を読む時、前文を含む一切の条項に流れるこの憲法の意志が見えてくる筈です。この憲法の奥に、日本国に誇りを持たぬ人間、自分が日本人であることに誇りを持たぬ者が、日本を自分の意志に従わせ、自分の思い通りに日本を作ろうという意志があることが見える筈です。既存の日本社会を破壊し、日本を自分たちの前に二度と敵国として現わさせないという意志があります。更に言うならば、日本社会を破壊し、自分たちの信仰する民主主義を日本に強制すること、それこそが正義なんだという思い上がりが存在しています。即ち、この憲法は、植民地憲法なのです。奴隷憲法なのです。
5月3日は「国辱の日」です。
半旗とは不幸などがあるとき、国旗を中ほどまでしか揚げずにその思いを表すこと、
911テロの後にホワイトハウスの星条旗は半旗となっていました。

おっしゃるとおり!
日本国憲法が自虐憲法で日本を悪くしている元凶であるとのご説、まったく同感です。
不肖おばQ  も5月3日を「悪しき憲法記念日」と呼んでおります。
とはいえ、昼からビールを飲んでくだをまいていてもわが国が良くなるわけではありません。ほろ酔いながらも憲法記念日について愚考いたしました。

まず、祝日は法律で決められております。
    国民の祝日に関する法律(昭和二十三年七月二十日法律第百七十八号)
    第二条  「国民の祝日」を次のように定める。
    hinomaru.gif

    祝日には日の丸を
    揚げなくてはいけません。
  • 元日 一月一日 年のはじめを祝う。
  • 成人の日 一月の第二月曜日 おとなになつたことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
  • 建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。
  • 春分の日 春分日 自然をたたえ、生物をいつくしむ。
  • みどりの日 四月二十九日 自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
  • 憲法記念日 五月三日 日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。
  • こどもの日 五月五日  こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
  • 海の日 七月の第三月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
  • 敬老の日 九月の第三月曜日  多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
  • 秋分の日 秋分日 祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ。
  • 体育の日 十月の第二月曜日 スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
  • 文化の日 十一月三日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。
  • 勤労感謝の日 十一月二十三日 勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。
  • 天皇誕生日 十二月二十三日 天皇の誕生日を祝う。
国民の祝日と言っても「おれこの日が気に入ったから」と簡単に決められたわけではないのであります。
このホームページも少しはためになることがあるでしょう。  9割はくだらなくとも1割はためになるなら、偏向報道満開のパワーペーパーよりは価値があるというものです。

当然のことながら、憲法記念日は毎年一回訪れまして、最低この日だけでも日本の国民はいい憲法だとか、悪い憲法だとか、論じているわけでございます。我々下々だけでなく大手から弱小報道機関までもが「いい憲法で改定反対派」と「悪い憲法で改定しなくちゃダメ派」に分かれて論じるわけです。
旗幟鮮明にいたしますが、私は「悪い憲法で改定しなくちゃダメ派」でございます。
憲法とは何ぞや?といえば国家の姿を示すものであり、国民の権利、国家の義務を明示した国民と国家の契約書でございましょう。
そういった目で虚心坦懐に日本国憲法を見ればもはや破綻しているとしか言いようがありません。
いえ、私のような教養のない者だけが言っているのではありません。
日本最大、世界最大の発行部数を誇る読売新聞の社説子が語っています。

5月3日付・読売社説
[憲法記念日]「『国益』害す欺瞞的解釈を見直せ」
 略
国の基本法制である憲法は、五十六年前に施行されて以来、今日まで一度も改正されたことがない。憲法の規定と現実との矛盾は、年々深まっている。
これまでは、そうした矛盾を、憲法の"神学的"解釈操作で繕ってきたが、それも限界に達しつつある。欺瞞(ぎまん)的な憲法解釈に固執し続けることにより、安全保障の面で国益を害する事態が生まれていることを、政府は直視すべきだ。
 略
【破綻した法制局解釈】
内閣の一機関に過ぎない法制局が、国の存立にかかわる憲法解釈を独占してきたこと自体、異様と言うしかない。
憲法解釈の欺瞞性を正すのは政治の役割である。
 略
憲法と現実との乖離(かいり)は、安全保障の分野だけではない。かねて矛盾が指摘されていた私立大学への国の補助金も、第三者機関を介した交付だけでなく、国が私大に直接支出する例が増えつつある。
憲法制定当時には想定しなかった環境権などの明記を求める声も多い。
安全保障など、見直しを急ぐべき分野は当面、解釈変更で対応するにしても、いずれ憲法改正が必要だ。
読売新聞の世論調査によると、憲法改正に賛成の人は54%と、六年連続で半数を超えた。憲法改正論が国民の間に広く定着したことは、もはや明らかだ。
 略
憲法をどう考えるかは、国の将来像を描くことでもある。


もちろん正反対のことを書いている新聞もあります。しかしそのような新聞は『湾岸戦争の報道、アフガンについての論説の誤り、イラク戦争の読みの間違い』を犯しており、その反省もしておりません。
そういったことを考えますと某新聞は読売新聞と対抗するには力不足ではなかろうかと思います。
役不足とは役者が自分に割り当てられた役に不満をもつことであり、こういったときに使うのは間違った使い方であります。 
日本国憲法は正しくもなければ、平和維持に有効でもなく、国民の規範を示してもいません。国民の権利を守ってもいないのです。
なぜ、このような憲法を維持しなければならないのか?
あげくのはてにこの憲法制定を記念して祝日として「日本国憲法 の施行を記念し、国の成長を期する。」ねばならないのでしょうか?

しかしながら、憲法記念日の存在意義でありますが、
すぐに憲法記念日廃止運動をすべきでしょうか?
馬事多聞様といっしょに半旗を掲げるべきでしょうか?
憲法記念日を「悪しき憲法記念日」と呼んでもよいでしょう。半旗を掲げても良いでしょう。
反旗を掲げてはいけませ。合法的に改正しましょう。 

でも、毎年1回は日本の憲法がこれでよいのか? と国民一人一人が考える機会として、憲法記念日は十分にその存在意義があると私は思うのです。


いつの日か、
憲法が改定され、本日が「押し付けられた憲法の日」として祝日法案に下記のように記述されることを祈念します。
国民の祝日に関する法律
(昭和二十三年七月二十日法律第百七十八号)
(最終改正:平成XX年XX月XX日法律第XX号)


第二条 「国民の祝日」を次のように定める。
  略
占領憲法記念の日 五月三日
我が国が戦争に負け、不平等でかつ自虐的な旧日本国憲法 が施行されたことを思い返し、我が国が自主独立の精神を持ち誇り高い国民であることを念じて、国の成長を期する。
  略



いつの日にか!
いつの日にか必ず・・・・



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