流しそうめん 2003.08.03
sun.gif とうとう夏がやってきたようです。
夏はビールと枝豆、団扇(うちわ)と風鈴、そうめんとトマト、まあそういった組み合わせでしょうか?
そういえば、昨日テレビで流しそうめんを映していました。
あなた流しそうめんを食べたいですか? ふつうの家庭では流しそうめんなんて簡単にできませんよね、
じゃあふつうの家庭でなければ簡単にできるのか? なんてまぜっかえされちゃいますか? 

oyako.gif では本日の話のネタは流しそうめんということで・・・・・
ご存知のように私は生まれてからズット東北の田舎暮らし、田畑、林や竹薮はいつもすぐそばにありました。
もう20年くらい前でしょうか?
やはりテレビで流しそうめんを放送していて、ちいさな子供たちが「食べたい!食べたい」と騒ぎましたので、「じゃあ、流しそうめんをやろうか」というノリであります。

簡単ですよ、
まず我が家の実家に行きます。そこの竹薮で太くてまっすぐな竹を2本ほど切り倒しまして、その枝(竹も枝と言うのでしょうか?)を払い、縦に二つに割ります。
竹を割ったようなと言いますが、竹というのは本当に小口になたを当てて叩きますとスパット二つに割れます。

ここまでは簡単です。
それから竹の中の節を「なた」できれいに取り除きます。知ってらっしゃるでしょうけど竹の内側には薄い白い膜がありましてこれを取り除くのがけっこう手間なんであります。まあやぶ蚊に食われること30分少々で4本の樋(とい)が出来上がります。
なぜ竹薮で作業するんだ?家ですればいいのにとおっしゃいますか?取り除いた笹とか細かい竹の屑を後片付けするのがいやなんで竹薮でするんであります。
できあがりました4本の樋を肩に担いで家に戻りますと、家内がそうめんをゆでる準備をしております。
いえ、それですぐ流しそうめんができるわけではありません。
樋を支える台をいろいろ工夫してなんとか適当な傾斜をつけます。そしたら井戸水を上から流します。井戸水といっても数百メートル離れた水源から強制的に流れてくるのです。
いや、田舎は便利なものです。
さてこれで何も心配はいりません。早速食べ始めましょう。
おお!薬味がない・・・
ご心配なく、ほんのチョットわずか数歩も歩けばみょうが、しそなんて取り放題・・・・まさかわさびはありません。わさびはもっと冷たい水がないとダメです。
では食べるぞ!となりまして家内が上流からそうめんを投入し、子供たちが樋の両側で食べる仕掛けでございます。
まあ最初の10分はそれこそ取り合いでして樋の末端にはそうめんはひとかけらも流れてきません。
ところが20分も過ぎるともう子供たちは流れてくるそうめんを箸でかき回すだけ!
そうめんはむなしく下流まで流れてそして用水路へと・・・・・誰だ!食べ物を粗末にするのは!なんていっても無駄です 

さてそれから親が食べるか、といってもこれまた10分も食べれば十分ですよね、
一時間後には濡れた不細工な竹の樋が4本庭先にあるばかりという図でございます。

数時間後、どうしょうもないな、と覚悟を決めて再び4本の樋を担ぎ竹薮へと・・・そしてそこに放ってオシマイ
その過程で再びやぶ蚊に刺されることをお忘れなく。
以上、流しそうめんの思い出でした。


本日のジジイは何を言いたいのでしょうか?
いえ、深刻な話ではないのですが、田舎には田舎の良し悪しがあるというだけのこと、
田舎にはやぶ蚊がいて刺されるとそりゃ大変痒いし痛いし・・・・一方豊かな水があるし、竹でも野菜でも豊富にあるわけです。
やぶ蚊くらいでしたら日本脳炎の心配をすればいいでしょうが、ツツガムシは非常に危険です。私の以前の知り合いは山菜取りに行ってこれにやられたようで数日入院してお亡くなりになりました。
冗談抜きに自然は危険なのです。破傷風の危険は常にあります。私は子供の時、おやじに破傷風の予防接種をさせられました。あれってあまり効かないとかいいますが実際はどうなんでしょうか?
まむしなんて田んぼにはたっくさんいますよ。稲刈りの最中に田んぼの中でまむしの顔を見つけるなんて珍しくありません。


私も家内もキャンプというのが好きじゃありません。
だって毎日がキャンプ生活みたいなもんですからわざわざ荷物を持って出かけて煮炊きする気になれません。
田舎暮らしがいい、とか、定年後は田舎に住もうなんて雑誌がありますが、本当の田舎暮らしをする覚悟があるか試したいところです。
ちょっとした病気でも医者まで10キロとか、イエイエ日常生活でバス停まで歩いて10分以上、そこを走るバスが一日数便という生活を楽しめますか?
私、今大都会に住んでおり、JRの駅まで歩いて数分、電車のダイヤ間隔は数分、会社は都内のビルの中、もちろん空調付きという生活をしております。家内も買い物は歩いていけるところにスーパーが複数あり荷物を持って歩いてきても、なんと田舎のスーパーの店から駐車場までより近いところに住まいがあるという状況です。
いいですねえ、都会は・・・・
想像している田舎と現実の田舎はかなり違います。
流しそうめんが簡単にできるということはかなり不便だということです。
流しそうめんが庭先でできることと買い物やお医者さんに行く不便とを天秤にかけて田舎がいいという方が田舎にお住まいください。

お断りしておきますが・・・・・
私は田舎が嫌いではないし、半世紀ものあいだ田舎で暮らしていた者として田舎をバカにする言動を許しません。
でもね、憧れだけでは暮らしていけません。田舎の不便さとつらさ、危険さをぜーんぶ知って欲しいと思います。

katori.gif






清水様よりお便りを頂きました。(2003.08.03)

久しぶりです。清水です。面白く読ませていただきました。

私は完璧な都会育ちですが、半年ほど奥能登の田舎に住んでいました。そのうちの一ヶ月は最果ての離島でした。田舎暮らしは理想だけでは無理と思います。健康なうちや若く面倒を見てくれる人がいるのなら良いです。しかし現実は・・・

今、テレビドラマで離島の僻地医療をテーマにしたものをやっています。本物の離島に行ったものですからすんごく興味持って見ています。ああいうところはたいてい自治医大出身の医師が行きます。都会の医者に比べて患者が少ないので「暇だ」って仰っていました。ただ、普通の医大を出て僻地に行くような変わり者はまずいません。さらに、僻地は医者不足に加えて老人は生きていけないのでは?と思ってしまいます。

私は親から独立し、家を買い、家庭を新たにつくるということが当たり前のように善とされる現在にかなり危機感を覚えます。いくら親が子どもが独立して欲しいと願っていても取り残される不安や面倒を見てもらえないかもしれないという不安がある以上、ホンネは息子や娘と暮らしたいと思っているのではないかと思います。

能登では、過疎化が急速に進み、大きい家が空き家になっていたり、老人の一人暮らし、夫婦二人暮しの家庭が大半でした。不便な田舎に親を残して自分だけ快適な都会に引越し、後はそのまんまというのは残酷なことだなと思います。「地方の道路は採算が合わないからつくる必要なし。」というような議論はそういう親の世代に「早く死ね。」と言っているように聞こえます。借金してでも道路は必要です。鉄道、空港は切り離して考えていますが・・・。いつから日本はこんなに残酷になってしまったのか・・・私欲を徹底的に追求する個人主義がこうさせてしまったのでしょうか。

「伝記」について気になった部分ですが、今の子は尊敬する人に親をあげる人が多くなっています。原因は本を読む量が圧倒的に少なくなっていることと、その伝記自体が左翼思想にゆがめられて面白くなくなってしまっているのではないかいうことです。
 免許は無いのですが、臨免をもらって小学校に赴任したときに、図書室にある本を読んだことがあります。そこには古い本ですが、金日成をたたえる本がありました。チラッと他のも斜め読みしましたが似たようなもんでした。こんなの子どもが読んでも、面白く尊敬できる人物を抱かせる内容になっていないことは明白です。

長くなりました。 それでは


清水様、お便りありがとうございます。
時代というかパラダイムが大きく違ってしまったのでしょう。
親のようになりたい!とか親と一緒に暮らしたいというのはもはや理解不可能なところに行ってしまったのでしょう。
田舎が良い悪い以前に、もはや田舎を構成していた価値観や人生観といったものが消滅した今現在議論するのも意味のないことかもしれません。

論点がずれているかもしれませんが、
実は最近家内は私の面倒見がいいのです。
肩をもみましょうとか、耳を取ろうとか(耳じゃあありません、耳垢です)
実は家内はパートに出ているのですが、パート先が夏季連休となりここ2週間ほど連休なのです。
それですることがなく ヒマだヒマだと体をもてあましているのです。
田舎に住んでいれば友人・親戚などがたくさんいてそこらを周ってだべっていれば時間は過ぎていくでしょうけど余り知人がいない当地では家事が済むとなにもすることがないというわけです。
洗濯するといっても洗濯機に放り込むとあとはブザーがなるまでなにもすることがないのよと語っていました。
oldwoman.gifoldwoman.gif
そのあと、家内と私たち夫婦の両親の時代の話になったのです。
洗濯といっても当時は洗濯機なんてありません。
それどころか水道もなかったのです。いえ、井戸だって各家庭にありません。
前にも申し上げましたが私が住んでいた引揚者住宅の長屋には一棟に一つずつ井戸があり、各家庭はそこに行って水を汲んできたのです。
洗濯はそこでたらいと洗濯板でゴシゴシと洗っていました。
井戸端会議という言葉をご存知ですか?
井戸に近所の奥さん方が集まって、洗濯や炊事の準備をしながら世間話、亭主の悪口を語ることを言ったのです。
水道が普及し、電化生活当たり前となった現在では井戸端会議の代用をカルチャーセンターやスポーツセンターが果たしているのでしょうか?

家庭だけではありません。
私の子供の頃、となりに専売公社(今のJT)に勤めているおじさんがいました。
あるとき工場を見せる催しがあり、近所の人たちはそのおじさんのお誘いで専売公社の工場見学に出かけました。 くどいようですが、工場まで約一里(4キロ)をぞろぞろと歩いていったわけです。 工場では動力で動く機械と呼べるものはあまりありませんでした。
そのおじさんは何をしていたと思いますか?
大きな押し切りでタバコの葉をきざんでいたんです。同じ大きさに切るのは技量がいるんだとおじさんは誇らしげに語りました。
昭和30年かそれ以前だったのでしょう。

電化生活のおかげでヒマができ、市民運動をする時間が持てて、原発反対運動をする方の論理はどうなんでしょうか?
まったく同じような論理構造で、思想信条の自由と参政権が与えられた日本で、自由も平等もない体制を称え日本革命を目指すのはいかがなものか?
自衛隊が守る安全の中にいて、自衛隊を非難する頭の構造はいかがなものでしょうか?

わけの分からない話ですみません。
ジジイ齢(よわい)60にしていまだ悟らず・・・・

清水様のご活躍を期待しています。







流しそうめん好きな若奥様からお便りを頂きました。(2003.08.09)

最近は暑くて食欲の無いときはそうめんとかさっぱりしたものを食べたい・・・・なんてことをうちの主人が言うわけも無いのですが、私が実家から奪ってきたうどんなんかを土曜の昼などに食しております。
むかし私も流しそうめんに憧れ、父に「やりたーい」と弟と徒党を組んで騒いだことがあります。
私の両親はなんでも夢をかなえてくれるどらえもんのような人だったので、もちろん、そのわがままに付き合ってくれました。そのあとはおばQ氏のお子さまのようにもてあましたわけですが・・・。本当に今は何でも機械がやってくれる時代です。
TVCMではなんと「流しそうめん機」をさかんに放送しています。(子供が何人かで水槽の中ではしをかき回し、ぐるぐる回る白い麺をつかまえようとやっきになっているのです)
私はあの時そうめんを残してしまったけれどあの体験は結構強烈に残っていて、ふと親への感謝をしたり、自分は今の都会っ子のように情緒をしらずに育たなくてよかったとほっとしたりしています。昔は田舎育ちを恥ずかしいことだと思って大学入学と同時に都会に出たとき言葉の違いなんかをコンプレックスに思いましたが、働いて結婚をした今、幼いころの体験は二度とできない貴重なものだったと改めて感じますよ。
yusuzumi.gif 私もおばQさまほどではないにしろ、生まれ育ったところとは雲泥の差の都会に住んでおります。私はクーラーなど腰やらひざやらを痛める悪者だと思って寝るときは極力つけないようにしたいのですが、回りのご家庭の室外機の発する熱風で気温があがりやむ終えずうちも・・・という状況です。
主人は都会育ちで私の実家のほうで山の幸を食べたり、山の景色を見たり、虫の音を聞いたりするのを楽しみにしているようです。たまーに行くからこそ、田舎はすばらしい、と主人は言っていますけれど、ほんと、一度便利な暮らしをしてしまうと戻れないのが人間ですよね。
あのときそうめんを一緒にたべた弟は都会に疲れたのか田舎に就職してしまいましたが。


素敵な若奥様(と想像します??)
お便りありがとうございます。
ナント!今は流しそうめん機というのがあるのですか! 知りませんでした。ジジイ不明を恥じます。
どんなゲームであろうとおもちゃであろうと、流しそうめん機でも氷水機でも綿菓子機でも親が子供といっしょに過ごすことができればその子供にとって思い出に残ることと思います。
都会も田舎も親の心には変わりありませんし、子供の思いでも変わらないでしょう。要はこころです。
 私の子供時代は終戦間もない頃で、私には親はひまなしに働いて私たち子供と一緒にすごしたという記憶がありません。それでも夏休みに海に連れて行ってもらったことなどは忘れません。
当時は車などはもちろんなく、煙を吐く汽車で長い時間揺られて、海岸まで歩いた記憶があります。
 私もあまり子供たちと遊んでやることもなく時が過ぎ、今は反省するばかりです。
若奥様が円満な家庭を築かれますように、





流士相免様よりお便りを頂きました。(2003.08.25)

おばQ様の流しそうめんの話を聞きみように懐かしく思います。
私の家も東北のど田舎で隣に行って竹をくれといえば・すきなだけもってけ・です。
水は井戸水かかるのは電気代(昔はそれもかかりませんでしたが。)風呂は5年前まで五右衛門風呂(分かるかな)、水道が来たのが私が28の時、今は便利になったものだ。
おっと流しそうめんの話でしたね、おばQさんの作り方は完璧です。でも最後にはざるで受け取っていましたが、食べ物を粗末にしてはいけません。
そういえば私の近くに原発がありますが、この夏大変話題になりました。私は東風が吹くのが怖いのです、だって放射能は風にながされるって言うじゃありませんか。
西風の時は少しは安心ですが。ディズニーシーなど作らずに原発の二基でも作ればこの夏の騒ぎはなかったのにね。
ま、色々書きましたが流しそうめんは楽しいと言うことです。
またやってみよう・・・そば打ちと流しそうめん


はじめまして、
流士相免(ながしそうめん)様と名乗られるとは、本家、元祖、初代あるいはながしそうめんの家元と存じ上げます。
  • おっしゃるとおり、
    食べ物を粗末にしてはばちが当たります。
    私は結婚した時、家内が作ったものを全部残さず食べました。
    終戦直後の生まれの私は食べ物の恨み、いえありがたみを肌身に感じておりましたので食べ残すなんて神に逆らう以上の悪いことと信じておりました。
    dish.gifところがその結果、非常に太ってしまったのです。
    それに気がついた家内は『作ったものを全部食べなくて良いのよ』と言ってくれて、それ以降なんとか現在の体重を保っております。
    もし、あのまま食べ続けたら・・・・と考えますと恐ろしい!
  • 原発ですか?
    原発の事故で亡くなった方が過去現在で2名です。
    水力発電所ではダムからの放水で亡くなった人もいます。その他の事故で相当数亡くなっているでしょうね、
    火力発電ではそのばい煙でのぜんそくや呼吸器疾患は数え切れないでしょう。(もちろん最近は脱硫など改善されています)
    そう考えると原発というだけで毛嫌いしないでください。
    もっとも過激派のテロなどは原発が一番危ないのは確かですが。
  • 東風!
    毛沢東を思い出します。
    いえ、若い方は連想しなければそれまで・・・・・
    先日も私のダジャレの意味を問い詰められましたが、年代が異なると理解不能というのはママあるのです。ダジャレと言うことで・・・・
  • ディズニーシー
    そう捨てたものではありません。
    私の家内と義母が先日ディズニーシーで楽しんでまいりました。
    人々に喜びを与えることは素晴らしいことです。少なくとも北朝鮮の政治指導者にはできないことです。
そば打ちもされるのでしょうか?
実は私はそばには目がない人間でして・・・・ついよだれが・・・


独り言の目次にもどる