つれづれなるままに愛国心を考える 2003.10.20
「愛国心は愚か者の最後のよりどころ」という言葉を聞いたことがありますか?
実はこれ某小説の中に出てくる言葉です。
悪さしようとしたとき、愛国心が大義名分になるということでしょうか?
こんな言葉を聞くと自虐史観の方々は、「そのとおり!愛国心なんてものはないほうがいいんだ!」と水を得た魚、風を受けた帆という感じでありましょうか?
man7.gif
私が思うにこの言葉は「愛国心てのは愚か者が好のむものとか、悪事を働くときに役に立つ」というニュアンスとは違うと思います。
そうじゃなくて「愛国心というものは通常は誰からもクレームがつけがたいものであり、誰もが最後に大儀の根拠はここに頼るものである」という意味かと思います。
だって「この行為は私利私欲じゃない、愛国心に基づいて行ったのだ。私の胸を切り開いてみよ、真っ赤な血が流れているのだ」と開き直ったら誰もその人を責めることができそうありません。
もっともこの論理は今の日本では通用しないかもしれませんがね? 
愛国心と権威というニュアンスとは異なるでしょうね、 新撰組は幕府によって権限を与えられた武装集団だったけど愛国心に裏付けられていたわけじゃない。
一方権威にはむかうには一人でも愛国心を根拠に行動することができそうです。
官軍が錦の御旗を立てたとき、権威を愛国心を手に入れたというわけで・・・・
愛国心というものはなんだろうか?と考えて見ますと、つまるところアイデンティティといいましょうか自己の確立ではないだろうか?
昔、「人間は考える葦である」とか「我思うゆえに我あり」なんて語った方がいますが、人間だれでも中学生くらいになると自我を持つというか自我というものに気が付く。
俺は俺である。他人ではない。
すると今考えている私の意識はなんなのだろうか?自分というのはなんなのだろうか?
その次に考えることは「自分はいつか死ぬ、死んだらこの意識はなくなってしまう。恐ろしいことだ!」
そう思いませんか?
大人は死にたくないが、幼い子供は死ぬという意味を知らない。
「大人とは死というものを知り、それを乗り越えた者をいう」という表現もありました。
自分が自分であるために・・・と歌の文句ではありませんが、本当に自己を確立するには家族、地域社会、文化、所属する集団の力が絶対必要だ。
「俺は強い人間だから一人で生きて行ける」という人がいるかもしれない。
動物なら一個体でも寿命のある限り生きていけるだろうが、人間が文化を伝えていくという人間の条件を満たすためには一個体では無理だ。
社会に属さない人は文化的には人間ではない。
自分を確立しアイデンティティを確立するためにはひとつの文化集団に属さねばならないということは、宗教を信じ、どこかの国家に属し、その文化集団と同じ価値観を持たねばならないということになる。
そして属したその集団の価値観に身を任せなければ安心は得られない。
人間はこのしがらみの中で生きているわけで、このしがらみがいやだといってしまうとデラシネになってしまう。
外国に移住しても日本の文化を背負って生きていくか、その国の文化に染まるかいずれしかない。何ものにも属さないということはできない。一人では文化を築くこと維持することができないからね、

人間って辛いね 

愛国心はいらない!と語る人々はいったいどういったアイデンティティを持っているのだろうか?
「反日」という価値観なのだろうか?それであれば日本という国家あるいは文化集団が消滅したときに自己を確立することができない。
神はありてあるもの、神だけで世界は成り立つが、サタンは神がいないと存在できない。
反日という価値観は日本が消滅したら、自身も存在意義を失う。

もっとも愛国心といってもその人がどこに属するのかによって異なる。
売国奴と呼ばれてもご本人が相手の国への愛国心で動いているならばまったく的外れの呼称に過ぎない。

woman6.gif あるいは、
日本を愛しているからこそ「エセ愛国心」に反発するなら、「愛国心は危険だ」とひねて言うのではなく、自らの愛国心を前面に表明したらどうだろう?
「私たちは平和な日本を愛している。私たちの愛国心が本物だ!」
ところがそう叫ぶ人はなく、多くの人は「愛国心は危険だ!コスモポリタンになろう!」と語る。

そんな場合、彼らのいうアジアとは中国と北朝鮮と韓国を意味するようで、
グローバルというのは共産主義国家とか貧困な国々を意味するようだ。

アジアとは元々ギリシャの東を、グローバルとは丸いことすなわち地球の意味のはず・・・・

「名誉と栄光のためでなく」
アルジェリアで戦ったフランス兵士は愛国心に疑問を感じたのか?
そりゃスパッと切れるような価値判断はできないだろうけど、ありゃ映画だからさ、
アランドロン演じる兵士は戦争と裏切りに疑問を感じたのであってフランス文化、フランスという国家に不信感をもったわけじゃないでしょう?
皆が同じ価値観で張り切ったらつまらないということじゃないですか?


国家は君を求めている!
uncle.gif
私も国家に属したいとは思いませんか?



ということで本日の宿題は

愛国心について2000字のレポートをまとめること。

冗談じゃなく、この文章だいたい2000字、私書くのに50分かかりました。





嫌韓中様からお便りを頂きました(06.06.26)
愛国心について
愛国心で国会でも騒いで居ますが、古い話で申し訳ないのですが「愛国心」を育むと云う教育を特に受けた覚えがないのです。
国民学校で教育勅語を覚えました、覚えただけで意味も判らず「朕おもうに我が皇祖皇宗国をはじむる〜(で鼻をずるずる)〜一丹緩急あれば義勇公に奉じ〜(頑張らなきゃ)〜朕なんじ臣民と共に〜(紅白饅頭が目に浮かびだす)〜御名御璽。〜4年生位には難しいのですが先生が口語で教えてくれる事で日本人として人間としての道徳を教わります、愛国心なんて言葉も聞いた事は当時は有りません。
余程「朝日」の「鬼畜米英」「欲しがりません勝までは」「撃ちてし止まむ」の標語の方が印象に残って居ます。
今振り返ると神武天皇の弓の先端に金の鳥が留まっている神話から始まり、日清、日露の歴史を教わり、東郷元帥、乃木大将、明治天皇の話を聞くだけで日本人としての誇りを持てたものです。
他国を卑下したり誹謗する事もなく、戦時を除いて正常な教育を受けてきたと思います、戦後には習字の時間でも無いのに文字を削除させられましたが既に教わった後の問題消えるものでも有りません。
空々しい愛国心より「教育勅語」の復活が日本を再生させると思うのです。
嫌韓中様 毎度ありがとうございます。
個人的には教育勅語はもはや時代と完全にずれていると考えております。
誤解なきよう、
私は愛国心は必要だとか、良いものという以前に、国民として当然身につける属性であろうと考えています。
もちろん教育によってそういったものを身につけないように習慣付けることも可能であり、日教組や朝日はまさにそうしていると考えています。
私の言いたいことは、21世紀には今の人に合った愛国心教育があると思うということです。
それは内容が教育勅語の焼き直しであるかもしれないけれど・・・それ以外のものがあるはずがありません・・・使われる言葉も言い回しも今風でなければならないと思います。
それもまた戦後民主主義者とか社会民主主義者を名乗る反動勢力の大反対を受けることともいます。
言い換えれば、そういった反動勢力を一掃すれば愛国心などを声高に叫ぶことなく、嫌韓中様が子供の頃と同じく国民が自然と身に付けるものではないかと思うのです。



韓非孫様からお便りを頂きました(06.07.07)
久しぶりです。佐為様
今回は、檄文演説方式で書いてみました。

そもそも、何かを愛する心とは、人から強制されて生じるものではない。今まで生活してきた環境と得てきた知識・思想によって自然に発生するものである。

戦中の愛国心の強調の問題点とは、愛国心を、国民なら当然持つべきものという「空気」を作り出し、社会的な生活を続けたいなら従わざるを得ない状況にして、国民の行動を過度に支配したことにある(非国民という言葉がこの現象を象徴している。)。

その中で、失策を繰り返し、国民の経済生活を破壊(経済破綻)し、疲労させ(意味の無い竹やり・防空訓練など)、命を奪い(潜水艦にほぼ100%沈められても送り続けた輸送船と兵隊…非合理な軍事作戦の問題だけではない。)、国民の国家への信頼を完全に破壊してしまった。このような経験のみを強く印象付けられた人達(当時思春期くらいの精神状況だった人達だ)が、現在の反日日本人(反日本国家的日本人)の正体だ。

日本人が実用性を極端に重んじる民族であることは、日本を訪れた外国の知識人(紀行文を残すほどの)の共通認識である。国家が、国民の持つ目的にそぐわない存在であれば、平気で国家を捨て去るのが日本人であり、反日日本人とても例外ではない。

すなわち、反日日本人を作らず、愛国者的(生活に根ざしたパトリオシズム)日本人で、日本人を構成するには、下記の2点が絶対必要である。
  1. 国家を持たない民族の悲惨さを教えるとともに、「国家が守るべき物」を教えること、国家が実際に役に立っていることを教えること。
  2. 「国家が守るべき物」を守るために、国家は、全力を尽くすこと。
横田めぐみさんの母が、ブッシュ大統領に面会する必要性がある現状は、いまだ、国家への信頼が無い証拠である。

国家指導者の側は、「愛国心を持て」と国民に言う前に、国家は何をすべきで、そのために指導層は何をし、国民には何を求めるかを提示すべきだ。

国民の側では、根拠の無い国家不要論を徹底的に排斥すべきであり、権威を背景にして虚偽を語り、国民の判断を誤らせる者達の権威を奪いさるのだ。
韓非孫様、檄文とありましたので明朝体太字としてみました。
いろいろなホームページなどを見ますと、ホワイトハウスは小泉さんが靖国参拝するか否かを注意深く見守っているとのこと。
それは、日本が中国や韓国の言いなりになって参拝しなければもはや日本はおしまいだ、それならそれに見合った外交戦略を立てようということのようです。
日本人よ誇りを持て! アッツ、これもう5年も私が叫んでいたことでした。

鶏が先か、卵が先か? そりゃ分かりません。
でも、日本国民が本当に願えば政府も官僚も動きますよ。
サヨクに染まった報道機関や赤に染まった先生が国民をあやかしている限りはだめです。
国家指導者の側は、「愛国心を持て」と国民に言うのではなく、国民が「国を愛せば」問題は解決すると信じております。


独り言の目次にもどる