お酒の話 2003.11.22
えー、お寒くなりました。こういうときは熱燗で一杯なんてね 
実は私、熱燗というのは苦手なのです。いえ、お酒は大好きですよ。しかし日本酒はいかなる種類であっても冷でコップ酒というのが基本です。
なぜか? それはね、以下ご説明いたします。

伊藤さんからお便りをいただきました。(2003.11.03)
ナイターと日本人度の関係!?
「ナイターをビールを飲みながら見るのが好きだ。」が日本人度のバロメーターとは驚き入った。まるで相撲を見ながら博打をして紅茶を飲むのがイギリス人度の様である。
(イギリス人は何でも博打にするのが好きなようなのでこれは正しいかも?)、
しかし、相撲を見ながら緑茶を飲むのがアメリカ人度とは言わないと思うが。
ちなみにビールはエジプト時代にも庶民の飲み物の様である。私は、子供のころから球技が苦手で、日本武術を趣味で研究しております。
最近は、特に寒いとき煮込みで熱燗が良い。(焼き鳥に生ビールは好きですが、特に恵比寿の生はよい)
以上
伊藤様はお酒に含蓄があるようですね、球技と武術がお酒とどう関わるのかわかりませんが?
おっしゃっているのはビールを飲むのが日本人度のバロメーターとして不適切ということらしい。
まあ、日本人度というのがもともとしゃれ(ダジャレ?)なのだからいちゃもんを付けるのも大人げないし、それにコメントを付けるのも大人げないのだが・・・
私と酒の付き合いというのは・・・・そもそも、
私のオヤジはしがない労働者であった。尋常小学校を出ただけだったし戦争から帰ってきてから就職したわけで、勤め先で高い地位にいたわけでもないし高い賃金をもらっていたわけでもない。
私んちは貧乏であったから絵本などを買ってもらったことはない。母が嫁入りのときに持ってきたという裁縫の本に新聞や本などから切り取った乗り物の絵や写真を貼り付けてもらったのが私の絵本である。
近所の子供たちが三輪車に乗って遊んでいるのを指をくわえて見ていて、夜近所から三輪車を盗んできた。それが発覚してオヤジは私に三輪車を買ってくれた。暮らしぶりは押して知るべし。
そんな経済状態ではあったがオヤジは毎晩コップ一杯の冷酒を飲むのが楽しみであった。酒というと飲兵衛に聞こえるという理由で、「これは薬だ」といっていた。
当時は酒を飲むということは、浪費を意味し、酒飲みということはお金をためずにくだらんことにお金を使っているという意味があった。
一般の庶民が日常酒を飲むということは経済的に不可能に近く、祭りだとか忘年会とか送別会とか冠婚葬祭でもないと好きなだけ飲むということはできなかった。
私が会社に入った時代(60年半ば)であっても私の周りの労働者・会社員は日常赤提灯なんかで飲むほどの余裕はなかった。
東京から遠く離れた地方の更に田舎の一般労働者が高度成長の恩恵にあずかるのは70年頃からである。
いつかも書いたが私は就職して1年間学生服で会社に通った。
そんなわけで忘年会では肴なんかなくとも酒を浴びるほど飲み、職場の同僚同志の喧嘩が絶えなかった。
普段飲んでいないので程度というのが分からなかったこともあるだろうし、この機会を逃すと次はいつか分からないという切羽詰った悲壮なものだったのである。 
drink2.jpg 二十歳過ぎて独身のとき、同僚とスナックと呼ばれる形式の店で飲めるようになりました。
1杯いくらという計算ができるので安心して飲めたわけですが、更にカクテル1杯にサービス券が1枚付いていてこれを何枚かためるとワイシャツの仕立券がもらえるので一生懸命飲んだ記憶があります。このサービス券にも有効期間があり、結局誰も仕立券をもらうほど飲めるだけの金がありませんでした。手取り2万そこそこという時代です。
アルバイトやフリーターじゃありません。れっきとした従業員がですよ。私のオヤジはその頃定年退職しましたが、退職時の月給が6万くらいでした。(昔の年功給のときは定年時が最高俸だったのです)
ちなみに当時でもカクテル1杯は数百円でしたね。

酒の値段を考えますと、一番高いのはビールでしょう。ビンの口を切るともう全部飲み干すほかありません。更にビールには特急とか二級というのがありません。いってみれば全部が一級酒です。一方、酒には当時は特級酒から下はわけの分からないのまでありましてコップ一杯飲むのであれば一番安いと思います。
この値段の順序は今でも同じでしょう。
ウィスキーですか?
当時はトリスなんてのがありました。最近リバイバルしているそうですが飲んだことはありません。
ところがこのトリス、私にはまずくて飲めませんでしたね。いくら金がなくとも美味い不味いは分かるのです。「だるま」というのは当時からありますが、とても一般庶民が飲めるものではありませんでした。私は当時1000円のサントリーゴールド(オールドじゃありません)というのを飲んでおりました。遠縁の人が海外出張で買ってきたジョニ黒の空き瓶をもらいそれにゴールドを入れて飲んだ記憶があります。いやあ悲しいお話です。 
sake.jpg 結婚するとスナックで酒を飲む余裕もありません。
会社帰りに酒屋の前に自転車を止めて、もっきりといってコップ一杯100円で注いでもらい店先で飲みました。少し持ち合わせがある時は店にぶら下がっているするめなどを買って、やはりもっきりを飲んでいる人と分け合いました。更に余裕のあるときは2杯目を飲んだものです。
最初のときは恥ずかしかったですが、何事も慣れてしまうものです。そんなことが数年続きました。

ところでテレビは64年の東京オリンピックで普及したが、カラーテレビは69年から70年頃にものすごく普及した。私は街頭に展示してあるカラーテレビで相撲やプロ野球を見て、ああ、家にあったらいいだろうと思った記憶があります。

結婚して少したち余裕が出て白黒テレビからカラーテレビに買い替えました、そして自宅で晩酌にビールを飲めるようになったとき、「いやぁ俺もたいしたもんだ」と思いましたね。
我が家もやっと世間並みになったかと感慨ひとしおであったのです。
いまどきの大学生が入学時から優勝したプロ野球のまねをしてビールをかけあうような食べ物・飲み物に失礼な粗末にする余裕があるのは私たちの世代のおかげである。
感謝せい!
oyako.gif その後、子供ができてまた第二次オイルショックなどの時代はまた所得が大幅に減りましたね。当然飲むものも変わります。その頃はビールを飲む余裕がなくなり焼酎を買ってきて安い梅の香りをたらして飲んだ記憶があります。いくらなんでも焼酎だけでは飲めません。
その後仕事で新潟や秋田の方に出張で1ヶ月とか2ヶ月も泊り込むようになると場末の食堂でコップ一杯の日本酒を冷で飲みました。何杯も飲めば仕事に差し支えるし、ビールを一人で飲むというのはさびしいのです。
現在は焼酎は健康に良いなんてお金があっても飲む方が多いです。
健康にいい酒があるわけないでしょうが!
とにかく私はそういった過去の思い出から、焼酎は嫌いです。
数年前に子供たちが大学に入り、夫婦二人だけの生活になりました。
その頃から家内とプロ野球とは限りませんがテレビを観ながらビールを飲むというのが私たち夫婦の楽しみです。

私の酒との付き合いもいろいろな変遷がありました。
いろいろなことがあったけど自分の努力でここまできたという自信というか気負いでしょうね。
不倫騒動とか借金取りの追い立ては私の人生にありません。

そういった背景を踏まえて、「ナイターをビールを飲みながら見るのが好きだ。」を私の日本人度の一評価項目としたのです。
生まれたときからおもちゃを与えられ、学生になると酒を飲めるのが当たり前といった世代には理解できなくて当然でしょう。私たちの世代は子供たちにはこんな暮らしをさせたくない、もっと豊かな社会を残そうと努力しておりました。そしてあと数年の現役の間はこの日本のために、より高齢の世代と若い世代のために働くつもりです。
実を言って年金をもらえる年齢が逃げ水のごとく遠ざかっていくので私は悲しい。

吉永小百合は貧しいさなか、山口百恵は貧しい家庭の出、松田聖子は親は貧しかったけどもう貧しさを知らない世代、広末はもう貧しさとは無縁で屈託がない・・・そんな違いがあるのでしょう。
私は小百合の時代、伊藤さんは聖子の時代でしょうか?
伊藤さん、納得いきましたでしょうか?
いえ納得されなくともこちらは困りませんが、
あなたからいただいた大量の書き込みがありますので、今後順次回答していきたいと考えております。
よろしく



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