日中友好 スローガン検証(9) 2003.11.25
いやいやスローガン検証なんておふざけで始めましたが、ネタのあることあること、テーマに苦労はありません。
誰です?このウェブサイト自体がおふざけだろうって!
それを言っちゃいけないのがこのホームページのオヤクソクですよ 
日中というのはまあ誰が考えても中華人民共和国と日本という二つの国を意味すると思う。
 中華人民共和国を「中国」と称するのに私は非常に抵抗がある。本来「中共」と略すべきだ。
だいたい、正式名称(フルネーム)の頭をとるとか単語のそれぞれの先頭の文字をとるのが略し方の基本であり、最初の文字と最後の文字の略なんてきいたことがない。
NATO、UN、htm、TAFTA、全学連、経産省、厚労省、べ平連、社民党、自民党、社青同、日教組、廃掃法、みーんなそうじゃないか?
次の語であります友好とは広辞苑によりますと「友達としてのよしみ・友達として仲の良いこと」だそうであります。
語義的に国家間の付き合いには基本的に使わないようであります。いや使えないような気がいたします。 そもそも国家間にあるのは政治・外交であって友情ではありません。友好という感情ではなく国家間にあるのは同盟ではないのでしょうか?
woman6.gif もちろん政治家同士の友情は存在するでしょう。しかし外交関係にあるのは国益のぶつかりあいであって相手の国を思いやることではないのです。あるときは利害が一致して同盟を結び、あるときは相反して最悪の場合は戦争となるのが国際常識です。
誤解なきように申し上げておきますが、ODAは慈善ではないのです。日本にとって有益であればこそ援助するのであって、日本の国益にならないなら援助すべきではないのです。北朝鮮への人道援助なんていいますが、本当は北朝鮮が暴発し、あるいは崩壊すると日本及び近隣諸国にとって混乱をまねくから実施すべきかどうか悩むのです。
ところが北朝鮮に食料を援助するとそれが北朝鮮の国民に本当に届くのか、あるいはそれが外国に売られて北朝鮮の軍備に化けるのか分からないのが問題なのです。
ありとキリギリスのお話にあるように営々と60年間働いてきた国民の尊い税金を、同じ期間軍備増強に明け暮れ農業政策がことごとく失敗した破綻国家に差し出す理由がありません。
人も国家もそれぞれの道を歩む権利があり、失敗した場合はその責任を負うのは当然です。

戦争って相手の国が憎くて始めるもんでしょうか?
もしそんな風に考えている方がいたらお考えを改めていただきたい。戦争は外交の延長であって必要なときに始めて必要がなくなったら終わるというのが古今東西の戦争です。
憎いから戦争するっていうんじゃリア王程度の結末にしかなりません。憎くても戦争をせずに屈服させるのが外交というものです。
日中友好といいますと現実の国家間の利害を調整しようという外交の基本的な理念より、とにかく相手の思いに合わせることが優先する価値という感じがしますね。
まさしく論理的ではない感情的発想でありましょう。
man7.gif 日中友好!と唱える人、あるいは団体の語ることは、よっく気をつけて聞かないといけませんよ。
お断りしておきますが、日米友好も日朝友好もまったく同じ理由でまゆに唾して聞く必要があります。

ところで「日中友好」と語っている人々の本音は本当は「日中交流」なのでしょうか?
交流の語義はまさしく相互コミュニケーションを図ること
それであれば相互の文化の紹介とか留学生の支援というイメージが持てます。
ちなみにアメリカでは知日派かならずしも親日ではないのです。そりゃ当然だよね。




さて本日の結論は


『一貫して日中友好』とか『生涯日中友好』というのは論理的におかしい。
もしかして『一缶飲めば熱中症に有効』かもしれないし『障害があって一日中遊行』しているのかもしれない。

今日のダジャレはちょっとはずれか  





猫山猫次郎様よりお便りをいただきました。(2003.11.26)

日中友好拝読しました。
日中友好、、昔は財界などに採算は度外視しても中国のためになるなら経済援助を、なんていう人もいた(贖罪意識か頭山満のような明治人気質かは不明ですが)と聞きますが、むしろ最近の世代の人の方がそういう先入観というか、そうしたものに捉われていない分だけ、かえって視界はクリアーなんじゃないかと思っていたりもします。良くも悪くも醒めてるって事ですよね。
あの西安の寸劇騒動は、中国内陸部(西安)と沿岸部(上海)との国内経済格差から、日本人留学生でなくても、何でもきっかけさえあれば爆発するような、要は内政問題のガス抜きのダシに使われた側面が大きいと聞きました。
毎日の「アイモード」世論調査でもあの寸劇騒動をどう感じるか?という設問で、「申し訳ない」29パーセント、「恐ろしい」70パーセントだそうです。むしろあの騒動で、中国人が必ずしも善意の隣人ではない、話の通じる相手ではない(日本人と同じ思考回路ではない)という当たり前の事に多くの日本人が気づいたのではないか、そういう意味ではプラスかも知れないなどと考えております。
以前、香港人の知り合いがいましたが、香港=民主化を求める人々、というのはステロタイプされたマスコミの虚像?で、その香港からの留学生いわく「民主派の活動家というのは香港を捨ててアメリカなどの安全地帯から民主化だなんだと言っているから、裏切り者で信用できない」などと言っていて、なるほど、と興味深い思いもした訳です。
ミャンマーのアウン・サン・スーチーも決して国外へ出ないのは、あの国では一度、国を離れて活動すると、「国外亡命者=裏切り者」となって政治家としては致命的なんだとか。
大橋巨泉の出馬即辞職の「茶番」が受けなかったのも、やっぱりあの人、生活のほとんどを海外に暮らしていて、そんな人に日本国内の政治あれこれ言われてたまるか、って思いを誰しも持っていたからだと思います。と話がそれてしまいましたが、思いつくままダラダラと連ねてすいません。

お便りありがとうございます。
日本ですと、いかに外国人が悪事をはたらこうと一斉に走り出すということはありませんね、
本日の読売新聞によりますと95年に比べて強盗の件数が02年は3倍になったそうです。
不景気もありますが外国人犯罪特に中国系が多いとあります。
なぜか朝日にはその記事がありませんでした。取材能力がないのでしょうか?
私の考えていること、いつもこのウェブに書いていることですが、ちょっと立ち止まって考えれば非常に簡単明瞭なことなのです。
平和主義者とか自虐史観の人々は大声で叫び一般の人に考えさせないように努めているとしか思えません。 困ったことです。



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