すべては小さなこと 2004.11.06
一週間であるが日本を離れていた。
ほんの短期間とはいえ、その数日の間にイラクでゲリラ(?)に捕まった日本人が殺されたり、新しい球団ができたりそれはそれはいろいろなできごとがあった。
日本にいるといろいろな情報が入ってくる。わざわざテレビを観たり新聞を読まなくとも、ニュースメールや通りすがりに見聞きするテレビ、あるいは駅の電光掲示板、新幹線に乗っていてもニュースが流れている、そういったさまざまなメディアから知らず知らずのうちにさまざまな情報を受けているわけだ。無理やり知らされているという状況なのかもしれない。
これが一歩日本からでると、イラクで囚われた日本人などは、ローカルな交通事故や催し物よりプライオリティがずっと低く、当然ながらニュース番組で放送されるわけがない。
殺されたことがたいした事件ではないと申し上げているのではない。その土地ではニュース価値が低いというだけである。 見方を変えれば日本だってイラクで外国人が囚われても大々的に放送していない。
当たり前だが、日本では日本人が囚われたときだけニュースになるのである。
 
これテレビに見えませんかね?
 
話を戻す、日本人が殺されても数日経つともうニュースでは報道されない。だからちょっとの間日本を留守にしているとその間に起きた事件はあったこと自体に気づかないのである。
まあ、個人レベルでひとつの事件を知らなくとも生活には困らない。そしてもちろん一人の個人が日本中の出来事を知る必要もなく、それに影響されるわけでもない。
しかしである、日本国民全体をとらえても、ほとんどの事件に影響されるということはあまりなさそうなのである。いかなる大事件でも国民レベルにあとあとまで影響しないのである。

過去に起きた大事件を思い起こして欲しい。
01年6月8日に起きた大阪教育大付属池田小学校の殺人事件が日本にいかなる影響を与えたのか?
小学校の出入りが厳しくなったとか先生に暴漢に対する対処法を教えるとかいう変化はあったのだろう。だが我々一般人に何ほどのことを残したのか?と考えると何もなかったのではないだろうか?

97年の酒鬼薔薇聖斗の事件が今にどのような影響を与えたか?
そりゃ、アブネー少年には気をつけようくらいなのではないか。近所の変わった人を警察に密告するような慣習はまだないようだ。

オオム真理教のサリンテロはいかなる影響を残したのか?
事件に巻き込まれた中には今でも深刻な後遺症に苦しんでいる方、もう地下鉄に乗れなくなった人もいらっしゃる。
しかし、直接被害にあわない人にとってどんな影響があっただろう。
街角でオウム信者を見かけると避けて通るようにはなった。オウム系のパソコンショップで買うのをためらうかもしれない。
しかし、地下鉄に乗るのに防毒マスクを用意している人はいないだろう。また地下鉄に乗ることをやめた人もいないだろう。
wtc.jpg
WTCビルへの航空機のテロ事件がなにを残したか。
確かに手荷物の検査は厳しくなり、靴まで脱がされるようになった。でも我々があいつはテロリストじゃないか?なんて疑心暗鬼になることはなく、「面倒くさくなったものだ」程度にしか感じていないのではないか?
丸ビルで働く人がいつ何時乗っ取られた旅客機が飛び込んでくるのではないか?と心配している人はいないだろう。


国土交通省ホームページより
 死者行方不明
台風6号
2人
2人
台風10号
1人
2人
台風15号
9人
0人
台風16号
11人
3人
台風18号
30人
14人
台風21号
25人
2人
台風22号
6人
2人
台風23号
69人
15人
04年は数多くの台風が来た。この被害はすごい、私の子供の頃の伊勢湾台風なんてのは死者5千人以上もでたが、そういった大昔を除くと近年では例がないほど大きな災害をもたらした。
また台風でなくとも局地的な集中豪雨でも土砂崩れなどにより死傷者が出ています。
これらはとても大変な出来事であり台風にあわれた方には大変お気の毒ですが、被害に合わなかった日本人のほうが被災者よりはるかに多く、そういった大多数は04年の台風による大災害はもはや古新聞の記事に過ぎなくなっているのではないか?

新潟でも大地震が起きた。
今現在何万人という方々が避難生活を強いられている。
でも地震に無関係な人のほうがこれまた極めて多く、そういった人々の頭の中にはもう数週間前の地震のことは頭にないだろう。そして関心事は日常生活に戻り、会社の仕事、付き合っている異性とのこと、週末に何をするかということにシフトしているのではないだろうか?

南京虐殺問題、従軍慰安婦問題、北朝鮮拉致、外国人犯罪多発などもみな自分が当事者にならなければカンケーないのだろう。


しかし、それでいいのか?
我々は青臭くてもいい、正義を、良心を、人道をなすべく何かをしなければならないと思う。
あっしには関わりないなどとは口が裂けても言っちゃいけない。
私たちはひとりだけでは生きていけないし、家族だけでも生きていけない。
自分をとりまくコミュニティがあり、そして国家がある。この日本すべてがわれわれの家族であり、家族の悲劇は自分の悲しみであり、家族の安泰は自分の喜びである。


歌の文句ではないが、すべては小さなことなどと語っていはいられない。
すべては自分の問題であり、すべてはちいさなことではないのだ。




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