国家を善悪では語れない 2004.11.07
世の中にはアメリカが悪いとか、中国が正しいという人がいる。
アメリカに世界の指導者であることを期待する人もいれば、その裏返しでアメリカ大統領選挙結果に失望したと語る新聞テレビもある。
国民でもないものがよその国家にこうあれと期待することが理屈として成り立つものなのか?
いったい彼らは何を考えているのだろうか
テレビ朝日の報道ステーションで古館伊知郎は『アメリカが世界をうごかすのなら、外国人にもアメリカ大統領の選挙権をあたえるべきだ』と語った。(04.11.02)
この人の頭には脳みそではなく、ぬいぐるみと同じくクッションが入っていることに間違いない!
このような人物を看板にしているテレビ局のレベルもたかが知れる。
彼らは国家というものを理解しているのか?(反語です)
国家とは何か、国際社会のルールとは何かを理解せずにマスメディアを自称してはならない。

quest.gif 国家とはとなると荷が重い、本日はテーマを絞る。
ある国が悪であるとか、善であると考えることが可能なのだろうか?
侵略戦争をすることは悪なのだろうか?
防衛のための戦争と侵略戦争というのは色分けできるのだろうか?
テロリストに対して戦うことは悪なのだろうか?
もっともアメリカの悪を糾弾するマスメディアや自称市民たちは、アメリカや日本に対する判断基準と、中国北朝鮮に対する判断基準がずれており、ダブルスタンダードと呼ばれる。
アメリカのイラク侵攻は悪だ!というなら、中国のチベット侵攻は悪だ!と語らねばならない。
片方だけを語るから、論理の破綻が暴露されてしまうのである。 

アメリカのイラク侵攻は悪だ!中国のチベット侵攻は悪だ!と語るならば、それがこの現実世界で通用するか否かはともかく、理屈としてはまっとうである。

もっとも重要な点であるが、イラクは他国を侵略した過去、少数民族を虐殺した過去、テロの温床であった事実、毒ガスを持っていた事実、核兵器開発をしていた過去を持っていたが、チベットが同様の行為をしたとは私は知らない。
ところで、理由のいかんに関わらず、一国が他国に侵攻することを悪だとする根拠はなんだろうか?
そのような価値観念は果たして存在するのだろうか?
「国連憲章に・・・」などと語ってはいけませんよ、国連憲章はそれを作った5カ国すべてに破られており、国連憲章で敵国とされている日本とドイツによってはいまだ破られていないという不思議なものなのですから。
「日本国憲法に・・・・」などと語るお方とはもはや議論が成り立ちません。
そういう方々は日本国憲法教という宗教の信者でありますので、信心するか否かという次元の問題でしかありません。しかしながら、いくら憲法に祈っても成就しないのは間違いありません。なぜなら日本国憲法とはこの現実世界の普遍的ルールではないからです。

国家が行うこと、その政策を悪とか善とか判定できるわけがありません。
それは中国だけでなく、アメリカも同じであるし、フセインの行った侵略や少数民族殺害政策だって悪だとか善だとか論評される範疇にはありません。
国家とはその国家に属する人々の最大幸福を目指し、活動する組織であってそれは国家の存在意義そのものなのです。
もっとも国家に属する人の定義はさまざまである。
日本のように日本国籍を有する国民すべてという国もあれば、中国のそれは指導層だけであり、王族だけという北朝鮮のような国もある。
ですからどの国も、自国の利益を最大化するべく、国際的に認められている手段、あるいは認められていない手段を使ってでも、そして表でも裏でも活動するのは当たり前であると思います。
第三者から正当と評価される手段しかとらないで国家を滅ぼすのではなく、悪どい方法を使ってでも国家と国民の安全を確保することが為政者に課せられた使命であることを理解しないといけません。
あるいは情報機関を持ち、国家の安泰を図ることも普通の国家の必要条件です。
tank.gif
イスラエルが過去幾たびもの中東戦争で奇襲攻撃を行い、あるいは戦争状態でないイラクの原子炉を攻撃し、今現在パレスチナ問題で世界中から叩かれてもそれにめげずに国家の保全に努めていることは、正しいとか悪であるという価値判断ではできないところであると考えます。

この世はすべてゲームなのです。
ゲームといっても遊びというのではありません。定められたルールの下で、自分がとりえる手段を選択し、自己の利益を最大化することなのです。
国内において法令(憲法、法律、省令)その他慣習を守り会社を経営し事業活動を営むのはまさにゲーム。
同様に、国際社会において国際法に基づいて自国の利益を最大化する活動をするのも当たり前なのです。
ところが、
国際社会におけるゲームのルールというのは非常に流動的であり、勝利を収めれば戦争前にはルールでなかったものをあたかもそれ以前からあったことにできる『ルール』なのです。
極東裁判というのは後追いルールそのものです。
そして審判はいないのです。

この冷厳な鉄則を理解できない人が多い。
まあ、バカやボケは相手にしても仕方がない。
再確認しましょう。
アメリカは警察官でもないし、教師でもない。
中国は君子でもなく、君子であらねばならないこともない。
日本も常に正しくなければならないという必然性もなく、義務もない。
そして、もちろん国際連合もまた、警察官でもなく、裁判官でもなく、正義でもないのです。

私は正直いって中国が悪だなどと考えてはいません。
私は中国が武力でチベットに侵略するのが悪だなどと言うつもりはないのです。それどころか中国が日本に侵略しようとしてもそれは悪ではないと思います。
中国が自国の利益を最大化しようとすること、捏造した歴史をあたかも真実であるかのように語り日本に譲歩を求めること、外国を侵略することも私は中国という国家が選択した戦術であって悪だなどと評価する対象ではないのです。
誤解のないように、この世に正義も悪もないと考えているだけです。
私たちはこの現実世界のルールというものがいかなるものかを理解して、日本人は、日本はどうすべきかどう対処すべきか考えることが重要だということです。


しかしながら、間違いなく悪であるものがあります。
それはこの日本国内で中国の利益を図ろうとしているもの、あるいは日本という国家を崩壊させようとする運動は間違いなく悪です。
外国人参政権を実現しようという運動や自衛権行使に反対する運動がそれです。
なぜそれは悪であるのか?
passport.gif 日本という国家は日本人のために存在しているのです。
日本人を守るのは日本という国家だけです。
国際連合もアメリカも中国も守ってくれません。
日本という国家を弱体化し、解体しようとすることは日本人に消滅せよということに他なりません。
日本を外国からの侵略を守り、日本人の人権を守り、菊のマークのパスポートを持って海外旅行ができるのは日本という国が存在しているからです。


日本という国家を弱体化しようとする行為は、日本人にとって犯罪なのです。
それが合法的あるいは政治運動という仮面をかぶっていても、それは間違いなく犯罪です。
断固排除する必要があります。




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