ちゃんと躾をしようよ! 2004.03.27
えー、現代では少年非行なんてかわいいもんではなく、年少者でもとんでもない事件を多々引き起こしております。
子供がより年少の子供を殺したり誘拐したり傷つけたり、小学生の女児が放火をしたなんてのもありましたねえ。
困ったことです 死んだらどうなるんだろうか?と疑問を持つのはいいことですが、試しにご老人を殺してしまったというなんともいえない事件もありました。
わが相方の掲示板でも殺人をした元少年が少年院をでたことについて議論がありました。まあ法律ではという見解と感情が拮抗して悩ましいことでありました。
犯罪が増えたとかということだけでなく少年だけでなく大人も含めて、日本人の遵法意識が低下しているのではないでしょうか?

だいたい犯罪と認識する閾値(しきいち)が私の子供の頃に比べて大幅にアップしています。月給アップとかポテトチップの量が大幅アップというなら大歓迎ですが、犯罪と認識する程度がアップするのは非常にかんばしくないことであります。
私の小学校のときに同級生が万引きしました。文房具店でノートかなんだか盗んだという事件でありました。今じゃ店の人が「今後するなよ!」と叱る程度でしょうか?
そのときは担任の先生とその子どもの両親がお店に謝りに行きました。女の先生でしたが店から学校に戻ってくると大声をあげて泣いていたのを覚えております。
まあ田舎であったこともあるでしょうが、それほど大事件であると先生も親も受け止めていたのでございます。
もちろん、私たちは畑から野菜や果物を盗むのはしょっちゅうでしたし、民家の庭の柿を盗むことは日常生活でした。しかしお店のものを盗むという行為は近隣社会が重罪であるとみなしていたのは事実です。
問題を取り除くだけでは解決にならないわけですから、品質管理屋としては是正処置・・・すなわち原因の除去をせにゃいかんと考えるわけです。そのためには刑罰を重くするとか少年法第3条第1項第2号の年齢を14歳より下げるとか承諾年齢をあげるとかということだけではたりないように思います。
誤解なきよう、私は刑罰を重く、年少者にも刑罰を科すべきだと考えております。
日本国民に遵法精神を浸透させるにはどうしたらいいのでしょうか?
私の本音を言えば、家庭内教育しかないと思うのです。親が子どもを躾けるということが人間社会のお約束ではないのでしょうか?
もっとも躾というのは親が口で「あれしちゃいけない」「こうしなさい」と口で言うことではないと考えております。

「じゃあ体罰で躾けるのか?」なんて突っ込んじゃいけません。 
signal.gif 親が態度で示せば良いじゃないですか。「赤信号でわたるな!」と口で言うのではなく、親子がお手々つないで散歩や買い物のときに親が自分でそうすればいいことです。子どもはそれが当たり前のことだと認識し、真似をするようになります。
他人に暴力を振るうなというなら親が子に、夫が妻に暴力をふるうようなことをしなければいいのです。
私が子どもを叩いたのは実は娘に一回だけだ。
もう時効だから娘も気にしないだろう。娘が中学生のときにテレクラに電話したと聞いた私は娘の顔を平手で叩いた。娘は忘れたわけではあるまいがそれ以降叩かれたことについて話したことは一度もない。
私は息子を叩いた記憶はない。息子が小さいときうるさく騒いだので座布団を投げつけたことがある。息子は大人になった今でも座布団をぶつけられてひどい目にあったと言っている。 
息子は私に似ず、中学時代から縦横大きく育ったが、家庭内でも外でも一度も暴力を振るったことはない。
おっと、もちろん私は妻に暴力を振るったことはない。家内も私に物を投げつけたりしたことはない。

どこの家庭でも親が正しいことをしていれば、子どもは親を見習っておかしなことをしないと思うのだが? 親が新興宗教にこっていれば子どもも染まるのは間違いない。
私は悪人です 親が「おつりが間違えて多くもらえたわ!」と喜べば子どももお釣りを多くもらってもだまっているだろう。 おつりが多いことに気づいて黙っていれば詐欺罪である。
親が年金がもらえないと文句を言いながら、子どもが大学生だから年金を納めないでいいだろうと言っているようでは・・・
国民年金の宣伝をしていた某女優が実は納めていなかったというお話で、某政党の党首が国会に呼んでお灸をすえると語っておりましたが・・・・・
その党首のご子息はどうなのか?と心配いたします。
車を運転していれば法定速度を守ること。家族でドライブしていて親父がジャンジャンスピード違反していれば子どももそうなるほうに私は賭けよう。
アメリカの研究で親が子どもに暴力を振るっていると、子どもが大きくなると親に暴力を振るうケースが多いと聞いた。

疑問だが?
フリーターが増えているという。フリーターが悪いとは言わないが、そういう人の親たちは仕事に対する態度はどんなものなんだろう?
仕事は糧を得る手段であるが、それだけではなく、自分に誇りを持つことであり、自己実現の手段でもあると信じる。まさに職業とは存在を正当化することなのだ。
「おれはサラリーマンだ」と言う父親より、「おれは経理のプロだ」という父親を子どもは尊敬するだろう。
もちろん、塗装のプロでも、旋盤工でも、とび職でも、タクシーの運転でもその職業のプロであると自信を持てることだ。
私たちは漠然とした会社員ではなく、プロフェッショナルであるべきだ。
「私はちょっとパートにいっているの」と自称する母親より「私はスーパーで食品を売っているのよ」と自信を持つ母親を子どもは尊敬するだろう。
エッ、私ですか?私はマネジメントシステム屋であり環境で飯を食っているのでございます。
更にはお会いするISO審査員の教育までしております。 


孟母三遷というのは多くの場合、バカな親の例として取り上げられる。しかし、人間は本能の部分より生まれてからの躾や教育の領域が大きいのだから、まわりの雰囲気が大きな影響を持つのは当然であり、親や友達に感化されるのは当然である。
ところで私は子供時代、元海軍下士官だったオヤジにしょっちゅうビンタをくらっていた。小学校でも戦争帰りの先生がビンタはする物はぶつけるという教育を受けたのだが・・・・なぜ暴力的にならなかったのだろう?
謎である。



本日のご提案


日本中の親御さんへ、
子どもの前では法を守る姿を見せてほしい。
オット、子どもがいない方も法を守るのはもちろんです。

ね!



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