監査の常識、社説の非常識 2004.04.21
最近、各新聞の世論調査や各種アンケートなどの結果が大幅に違うことが多い。
一体全体?と考えるのは私一人かしら?
私の生業(なりわい)は環境とか品質とかISOとか監査といったものです。監査では3要素がなければ不適合あるいは適合とすることができない。

woman6.gifman7.gif
三要素とは事象、エビデンス、根拠である。

それは何かいな?
では説明しよう。
  • 事象とは何事かがあった、なかったということそのものである。
    例えば人質を救うためにイラク派遣自衛隊の撤退を求める人が多数を占めたというようなことである。
    それは仮説でも良いし、自分が見た状況であっても、なんでも提示することができる。

  • エビデンス、そりゃ証拠そのものです。
    ある新聞社で賛否を問うに当たって20人とかに聞き取りしたそうだ。
    そんな!あなた(絶句)

    いやしくも品質管理に携わった者ならばデータ収集というのはどういう条件を満たさないと相手にされないかということを骨身にしみているはずです。かつ、サンプリングは無作為でなければなりませんし、聞き取りであれば誘導尋問(リーディングクエスチョン)は禁止、母数は適正に設定しなければなりません。
    例えば世論調査の結果某党の支持率が3パーセント増えたとして、本当にその政党支持率上昇したどうか断定できません。真実は支持率が減っているという可能性もあるのです。
    統計というのは常に誤差を含みます。本当に差があるのか否かということは差の検定を行わなくてはなりません。その時にも単純簡単に差があるかないかなんていえないのです。危険率というのが入ります。
    危険率とは間違える可能性ということで、一般的には5%ですが、判断することの重要性や緊急性によっては危険率を上げたり下げたりします。
    危険率5%では差があると言う結論になるかもしれませんし、危険率3%では差がないという結論になるかもしれません。
    ところで先の新聞の社説では母数が20個で結果を考察していましたが、これまた統計の初歩の初歩、すこしでもかじったものなら決してしないでしょう。
    いただいた意見のほぼ6割は社説を支持し、3割近くが批判する内容だった。弊紙を支持する意見は、実際に卒業式を体験した保護者や生徒、教員ら現場からの声が目立った。
    こんなことを語るには母数が最低で100は欲しいところです。母数がそれ以下であれば「6割が支持でした」ではなく、「6ガキが支持でした」アッツまちがい「支持が多いようだ」くらいでしょうね。
    こんなボケを語っていると統計の先生に叱られますよ。
    もちろんその前に無作為抽出でなければすべては意味がありませんが・・・・

  • 次に根拠であります。
    エビデンスのある事象をとらえてどう判断するかというのはよりどころ、根拠が必要です。
    根拠としては法律、価値観、もちろんその新聞社の見解もあるでしょう。いずれにしても根拠を明示しなくてはなりません。根拠なく書くのはそりゃ寝言とか放言あるいは茶飲み話といいます。本当はもっとひどいたとえを出したいところですが思い当たりません。 
    自衛隊撤退が多数を占めたから撤退すべきだという結論に至る根拠は何でしょうか?エビデンスに裏付けられた事象があっても、それをどう判断するかということはひとつではありません。まして、ある場合は一般市民の認識が低いと断じながら、別のときは多くの市民がそういっているのだからという論理は一貫性がありません。
    まあここでは一貫性には立ち入らないこととして・・・・
    いったい多数が撤退すべきというから撤退だということは民主主義だからというのでしょうか?ならば国民が選出した国会議員は民意を反映していないという理屈になる。
他の報道機関のアンケートでは撤退反対が多数であったことにはここでは言及しない


しかしながら本当は論理が逆なのだろう。まずはじめに社説子の言いたいことがあり、それを裏付けるものを探した。しかし残念ながらない。じゃあ自らアンケートをした(本当にしたのかどうか不明だが)そして聞き取り結果が希望する比率となったときに聞き取りを中止する。そしてそれを基に社説を書いたのだろうか?
事実を調べ、それを分析して書くから時間がかかるのであって、思いつきで社説を書くには時間が要らない。このエッセーを書くのに私は30分しかかからなかった。
私の論敵も私の頭の回転が速く、キーボードを叩くのが早いことは認めるだろう。
もちろんそれが価値があるか否かは置いといて 

もしすべての新聞社の社説が監査の3要素を含めなければならないとしたら、その結果として大量の屑社説が打ち捨てられ、残るのは結論が間違っていようとも論理的には筋の通ったものだけとなり、ものすごく風通しが良くなるだろう。
そしてその時はじかれたものは白日夢とか私小説というカテゴリーに入れられて文学としての評価を受けることになるだろう。あるいは単に猿がタイプを叩いた活字のつながりにすぎないのかもしれない。
私の推測だが、一部の新聞からは社説が消えるかもしれない。そうなったらばなったでスポーツ欄とテレビ番組欄だけでがんばってくれるだろう。そういう新聞の存在意義も十分ある。
もっと大事なことは間違いを撒き散らさないだけ国家と国民に貢献するだろう。

woman.gifman2.gif



独り言の目次にもどる