自由とは何か 2004.04.25
イラク誘拐事件で政府、マスメディア、インターネット、そして一般市民の間に『自己責任』なんて言葉が流行りました。『自己責任』とは何か?ということについては同志KABU教授や解放者さんが学問的な解説をあちこちでされており、私のような無学なものがコメントするまでもありません。
しかし、市井の一俗人としてこれに関して言いたいことをちと語ろうかと思います。
まあ、せっかくご訪問されたのですから、ジジイの茶飲み話でも聞いていってください。
私は『自己責任』なんてむずかしいことではなく、それよりも基本的な『自由』ということについて考えたいと思います。

自由って何ですか?
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広辞苑によりますと、
 (1)心のままであること、思い通り
 (2)他からの拘束、束縛、強制、支配を受けないこと
私たちは自由なんでしょうか?
もちろん日本国民は自由のようです。
    日本国憲法では自由の大安売りをしております。
  • 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
  • 第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
  • 第20条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
  • 第21条第1項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
  • 第22条第1項 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
  • 第22条第2項 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
  • 第23条 学問の自由は、これを保障する。
なるほど、私たちは一般に考えられるすべてについて自由を保障されているようです。
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ところで、紙を用意してくれませんか?
真ん中に縦に線を引きましょう。
これを日本国民の自由に関する貸借対照表とします。
左側に憲法の保障する自由を並べます。
右側には何が来るとつりあいましょうか?
自由の貸借対照表
貸し方
借り方
幸福追求の自由
思想、良心の自由
信教の自由
集会、結社及び言論、出版など表現の自由
居住、移転及び職業選択の自由
移住し、又は国籍を離脱する自由
学問の自由
公共の福祉に反してはならない
他人の思想及び良心の自由を侵してはならない
他人の宗教について自由を制限してはならない。
他人の言論の自由を認める。
他人の居住、移転、職業選択の自由を保障する。
外国に移住する、あるいは国籍離脱に反対してはならない
他人の学問の自由を保障する

まあ常識的に考えるとこんなところでしょうか?
自分が自由であるのなら、当然他人も自由であるわけで、自分の自由を守るためには他人の自由も守らねばなりません。自分の自由だけを主張して、他人の自由をないがしろにしては、そりゃ社会が成り行きません。  

憲法は国家と国民の契約であり、国民と国民の契約じゃないなんておっしゃいますか?
まあそれも一理あります。でもその論理ならその論理なりに見合ったものを右側に書き出してみてください。いずれにしても左右バランスが取れないと貸借対照表は完成しません。
もしできましたらぜひ提出してください。ここにアップしたいと思います。

いずれにしても国家が保障する自由というものは、自分だけが自由であることでなく、日本国民が等しく自由なわけで、もし自分の自由と他人の自由が衝突したらお互いの自由が損なわれるわけで・・・自由とは周囲に柵のない原っぱではなく、自分の自由に歩きまわれる土地は決まっているという感じでしょうか?

ところで、もっと重要なことがあります。
左側の自由は国家が国民に保障してくれたものですから、それが保障されるために国民は国家を存続させないといけないのは当然ですよね?
もし万が一、国家が倒産とか解散してしまっては国家の定款であるところの憲法に書いてある約束を果たすことができません。
株式はただの紙切れに、憲法も10,122字のむなしい念仏となってしまいます。 

非常に言いにくいことですが・・・非情かも知れません・・・憲法で保障する自由を享受するということは憲法を守ること、すなわち国家を守ることが必要条件となります。
平和憲法を守るには国家を守る必要があり、そのためには武力がいる・・・・なんて矛盾もはなはだしいのでありますが・・・・それはまた別の機会に、
自由には責任が伴うなんていわれますが、それよりもっと基本的なこととして、自由であり続けるのは国家を維持する義務を負うという、ハンパではない不自由があるわけです。

もちろん『私は国家に義務を負わない』と語る自由も許されるでしょうが、そのときには憲法が保障する自由を行使することはできません。
それは論理的とか道義的とか法律的とかいう理由じゃありません。
国民みんながその義務を放棄したら、国家が崩壊してしまうので、憲法に記された自由が保障されないという当たり前のことなのです。

このたびの誘拐事件で、自己責任を持ち出したのは政府の怠慢の言い訳だとか、自己責任の本来の意味は違うんだとか、自己責任なんて言葉はそもそも定義されていないとか・・・・そんな高尚な議論(不毛の議論とも言う)には私は興味がありません。
私は政府がイラクに行くなと言ってもイラクに行く自由はあると思います。その人がイラクで誘拐されたときにご本人の責任か政府の責任か、あるいは政府に外交政策を変えてまで対応する義務があるのかどうかということは『ここでは』論じません。
でも、イラクに行く自由を主張する人は、その自由を保障してくれる国家を存続させるという義務を負うことは忘れてはいけないよ!と申し上げたい。

『私は地球市民だ、日本人ではない』などと寝ぼけたことを言ちゃいけません。
『私は日本国憲法が保障するすべての自由を行使する権利を維持するために、日本という国家存続のためのいかなる義務も負うことを誓う』と言わなくてはならないのです。


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自由は生まれついての権利、使い放題、誰にも束縛されない・・・・わけではないのです。
たとえばあなたがクレジットカードで買い物をしても、クレジットカードは打ち出の小槌ではありません。そのお金は翌月10日〆で再来月にはあなたの口座から引き落とされるのです。
自由も実は使い放題ではなく、あなたが義務を果たさないといつの間にか使えなくなってしまいます。


Freedom is not free.
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自由はただじゃないんですよね、



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