民主主義はどうしたら機能するのか? 2004.05.23
民主主義はどうしたら機能するのか?
    誰もが日本を良くしたいと願っているはずだ。 quest.gif
  • 投票率を上げるにはどうしたらいいのか?
  • 一般国民が日本という国についてもっと考えてもらうにはどうしたらいいのか?
  • 国際問題を理解してもらうにはどうしたらいいのか?
  • 民主主義を確立するにはどうしたらいいのか?
民主主義とは普遍的なものではない。これはだれもが同意するだろう。世界最大の人口を有する国家が民主主義でないことをみただけでそれは分かる。
ではなぜ民主主義でない国と民主主義が機能している国と機能していない国があるのか? とつれづれ考えた。
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といっても無学なおばQであるから通勤電車から曇天の空とか中吊り広告をながめて頭に去来したことを書くだけであるのだが

200年前のアメリカの開拓地ではまず国家あるいは行政サービスがほとんど期待できなかった。行政サービスといってもぴんとこないかもしれない。たとえば消防、郵便、警察、裁判(刑事にしろ民事にせよ)、ごみ収集、道路保全、救急体制といったものがあげられる。
今日本に住んでいれば当たり前に提供されているそういったものが、当たり前でなかったのである。
もちろん我々はその代価として税金を払っている。決して納めているのではない
では公共サービスが受けられない時どうするか?これはもう自分でするしかないわけです。
  • 消防体制がなければ火事になれば自分で火を消すしかなく、消せない場合は手の打ちようがない。
  • 郵便システムが機能していない所では郵便局まで差し出たり取りに行くしかない。それさえもなければその方面に旅に行く人に託すしかない。
  • 警察がないならば自分が武装するしかない。でなければ弱いものは暴力に従うことになる。
  • ごみ収集・・・実際私の子供の頃には住んでいる町ではごみ収集なんてしてませんでした。私が中学校の頃でしょうか、やっと粗大ゴミを集めるようになりました。
    じゃあ自治体が処理してくれないゴミはどうするの?自宅の庭に穴を掘り埋めて処理していたのです。 今ではこれを不法投棄といいます。(本当ですよ)
  • 道路・・・困りますね、ひとりでは道路なんて維持できません。ゆえに草の根の民主主義が発生したのでしょう。
    草の根をむしるので草の根民主主義か? 

  • 救急体制・・・・これは簡単です、自分の体力と神のご気分が結果を決めました。
江戸時代、百姓は生かさず殺さずとは為政者の心得であったそうです。まあ、その言い回しも唯物史観によるプロパガンダのような気がしますが・・・・
ある人が書いていました。日本が鎖国していた時、食料は輸出されていなかった。とするとその生産された食料はどうなったのだろうかと・・・侍や貴族が他人の2倍も食べることは不可能だからと・・・まあその疑問は置いといて、 
みんな聞いてよ 上杉鷹山のお話を引き合いに出すまでもなく、侍も百姓も身分の違いはあっても生活にそんな違いはなかったようです。国民総所得が少なければどう分配しようと搾取者も豊かになれません。
江戸時代に百姓一揆が起きた時、反旗を翻した百姓たちが藩主側にバッサバッサと切り殺されたということは・・・ありませんでした。
そんなことが江戸表(えどおもて)まで伝われば、藩主側は行政能力に欠陥があるとみなされ、お取りつぶしか所換えとなってしまいます。もちろん一揆を起こした百姓側も処罰されますし、後任の藩主が前よりよくなるかは不明です。そこで双方とも内内に穏便に済まそうとして団体交渉となるわけで・・・形式上の処罰として一揆の代表者が断罪されておしまいということだったそうです。(各種出展あり)
まあ時代が時代ですから、多くの民を救うためと為政者の体面を保つためには名主や僧侶が一人死罪になるのは仕方がなかったのでしょう。そういった方々は後に神として祭られたそうであります。キリスト教でいえば聖者であります。
まあそういったわけで百姓一揆とは仁義なき戦いでもなく、全面戦争でもなかったようです。
しかしこの筋書きは今現在の労働三法の下での労働争議を見る感があります。わが国の団体交渉は、なんと数百年の歴史を持っていたのです。
独裁であろうとなかろうと、百姓を人と見なそうと動物とみなそうと、道徳とか仁に関わらず、政治というものは最適解を求めれば結果は同じになります。
植民地政策も同じことで、厳しくしすぎると被支配者の不満はつのるし収量が減ってしまいます。
ヨーロッパ人は長い歴史の中で家畜を肥育し屠殺する手法が身についていて植民地経営がうまくできたのに、日本人は鶏程度しか飼っていなかったので植民地経営が下手だったのでしょうか?
そしてそのために60年たった今でもかっての植民地から文句を言われるのだろうか?
アレ!朝鮮は植民地ではなく、日本だったような気が・・・
搾取を厳しくすれば一時的には収量が増えても生活水準の低下による離散や人口減により長期にわたる収量は減少します。だから生かさず殺さずという最適値を求めることが為政者の課題であることは間違いない。独裁者による為政においても現実にはフィードバック機構が働きます。
但しこれは内政についてのみ適用できます。外政についてはまた別のルールが適用されます。

もっとも独裁者がこの理屈を理解しないと本当の悲劇になります。
北朝鮮などはまさしくこの悲劇のコースを爆走中でありまして、今の段階は国民が餓えようが人口が減ろうが権力者だけは何とか生き延びようと最後のあがきのようです。
早いところ何とかせねば カダフィさんなんかはけっこう国民の人気取りを行っていましたが、北朝鮮では菌将軍のお誕生日にささやかなプレゼントをするくらいと聞いております。もっともそのプレゼントは日本や外国からのプレゼントなのですがそののし紙を貼り代えてお配りしているそうです。わざわざはがさなくても良いのにね、
でも袋に書かれた文字までは消せないので、ありがたく押し頂いた国民もハングルでないのに気づいているのでしょう。

日本では幸か不幸か、話せば分かる、同じ日本人じゃないかという風土があったわけです。
実際、私が子供の頃は同じ日本人じゃないか、というのは良く使われたフレーズでした。何事か揉め事が起きたときにけんかになる前に「同じ日本人じゃないか」と声を出して話し合いの場についたものです。
ある人が書いた本で外国でそういう発想が起きるか、そういったときになんと言うのだろうか?ということが書いてありました。もう40年も前のことです。「お互いにクリスチャンじゃないか」と言うケースがあるとありました。
日本人は同じ考え、同じ宗教、まさにイザヤペンダサンのいうところの「日本教」であります。せいぜいの違いは「あなたは日本教真言派、私は日本教フリーメソジスト派」という程度の違いだったわけなのであります。あうんの呼吸、「俺の目を見ろ何にも言うな〜♪」、「悪いようにはしない」などなどこのなっとうのようにねばねばした人間関係、そして暖かい湿気の多い人間関係があったのです。

会社で落ち込んでいると誰かが飲みに誘ってくれます。
実は私、飲む金がなくて落ち込んでいたのです。
 

そういった日本の社会ではわざわざ民主主義だと声高に叫ぶ必要がありません。誰もが周りの人に気遣い、悪いようなことをしないと信頼できるならば、まあ任せておけばいいか、と考えるようになりましょう。
  • 君の学力ではここが一番だと先生が言えば「わかりました」
  • 就職先は親や先生が心配して世話してくれたところなら大丈夫だろう、
  • 結婚相手には、おばさんが持ってきてくれた縁談で手を打つか、
  • 仕事の進め方は棟梁のいう通りしておけば間違いない、
  • 国会の採決は派閥の領袖が言うとおりする、
  • 北朝鮮との交渉は、害務省がいうとおりしておくか

    オイオイ、冗談じゃないぞ! 

民主主義というシステムあるいは考え方は必要性のない所に自然発生することはなさそうです。
いったいこの世の中で必要でないものを誰がわざわざ作るのか?作ったとしてもいらぬものならば一生懸命維持しようと労力を注ぐ人がいますか?
日本に真の民主主義を! 行政が面倒を見てくれない、あるいは行政システムがないという事態で、自分しか頼りにならないが自分ひとりではできない時に近隣の者と力を合わせて対処するということが民主主義の発祥と思います。
そのときに単に協力しようというわけにも行きません。なにしろ自分が出資するリソースに見合って権利とか配当を求めるのは当然です。そこで取り決めをするわけです。そして約束したからにはリソースを提供するし、結果の配当を求めます。
民主主義とは何か?と考えると簡単なことです。
さて、冒頭に戻ると、投票率を上げるにはどうしたらいいのか?今現在投票してもしなくとも大幅な変化がないからでしょう。
みんななんだかんだと言いながら、日本は安泰だと信じて、おれがやらなくても誰かが適当に処理してくれるよと思っているのでしょう。北朝鮮問題だっておれには関係ない、来週のコンペの方が緊急重要だとか、今夜こそ彼女をものにできるかというほうがプライオリティが高いのでしょう。



でもね、案外簡単に日本は外圧や反社会勢力によって崩れてしまうかもしれませんよ。
実は私はそう考えているのです。



民主主義を徹底する方法が実はあるのです。
徴兵制を施行し、命を賭けることを国民に求めたら民主主義は徹底します。
なぜなら自分の命を決定するのは自分でありたいから、必ず投票しますよ。自分が参加しないで決められたら嫌でしょう。
100年前の徴兵制は権利を与えない一方的な徴兵制でしたが、国民を主権者たらしめるには徴兵制しかない。一体どうすべきか? なぜならば安全保障は最大の福祉であり、その代償には納税が必要で、その税としては兵役しか見合わないからである。

お断りしておきますが、私は
徴兵制賛成ではありません。


とこんなことを考えていると、リストラの日常化、終身雇用の崩壊、フリーターの増加という変化は自己責任の増加を伴い、ゆえに真の民主主義の確立に貢献するのだろうか?などとも思いました。
はたしてその行き着く先は民主主義の確立か?モラトリアムなのか?

いかがなもんでしょうか?



本日のタイトルは旧約聖書に倣い、章の冒頭の言葉としてみました。
結果として、何とかさまになったようです。 



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