病院で死にたくない 2004.05.30
今まで死というものとすごく縁が遠いものだと思っておりましたが、この私もジジイを自称する歳となりまして、それはだんだんと身近なものになってきたようであります。悲しいことです。
oldman1.gif 既に私のおじさん・おばさんはほとんどが片付いてしまい、最近は年長のいとこ・はとこが鬼籍に入りつつあるところです。まもなく私の兄弟の番になるわけです。・・・もちろん私もですが
まあ、これは人間であるかぎり運命だなんておおげさなもんではなく、世のならいといいましょうか順番でありますからやむをえません。

ところで最近、病院で死を迎えたくない、自宅で家族に囲まれて死にたいなどという発言や新聞記事を見かけます。そのような人が語るのを読みますと、入院しいろいろなチューブをつけられて生き永らえるのは尊厳の問題だそうです。まあ、カッコ悪いということでしょうか?

私の子供の頃、確かに病院で亡くなる方は少なかったようです。当時は人は死ななかったのか?なんて茶化しちゃいけません。  
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今でこそ、日本は世界に誇る長寿国なんていってますが、私の子供の頃日本人の平均寿命は60歳になっていませんでした。しかし今より平均寿命が短かったとしても老人がいなかったわけではありません。子どもの多くが赤ちゃんのとき、あるいは子どものときに死んでいたということです。非情な見方かもしれませんが、そういう子どもたちは当時の生活環境や医療水準では生存できない弱者であったという見方もできるかもしれません。当時の老人は厳しい生活環境での生存競争に生き残った強者であったわけです。

現在、平均寿命が延びているのは戦争当時の人々が進歩した医療を受けられているからだという人もいます。もちろん、今の若者の中にも強者はいるわけですから、その人たちは今以上長生きすることでしょう。
しかし昔だったら子どものときに死んでしまうはずの弱者で現代の医療や生活環境のおかげで生き残ることができた者は、今の老人より早死にするのではないかと思います。
boy2.gif 私の子供の頃の老衰した老人や病気の人はどこで最後を迎えたのでしょうか?
私の小学校時代、おじいさんが中気になってもう十何年も寝たきりだなんていう友達もいました。その家に遊びに行くと本当に気を使いました。家に入る前にドタバタ歩いてはいけない、大声で話さないことなどなどを注意されたもので、用が済むとすぐに出てきました。子供心にそんな友達に同情したものです。

私の中学時代、オヤジの母つまり私の祖母は老衰してしまい、自宅でずっと寝たきりで時々医者に往診してもらっていました。
当時は怪我した時などを除いて病院に入院するということはほとんどありませんでした。というか田舎には入院するような大きな病院がなく、町の開業医が付近の住民をゾーンデフェンスで診ていたような感じでした。
病院で治療を受けるのと自宅で寝ているのとどちらがよいか?といってもそのような選択ができないなら比較する意味もありません。でも母は世話が大変だったと思います。子どもであった私たちは洗濯も風呂に入れるとか着せ替えなどを手伝ったことはありませんでした。でも寝たきり病人が家にいると笑うこともはばかったものです。
当時我が家にはテレビがありませんでしたが、ラジオはボリュームを絞り大きな音をださないように気を使ったものです。

それから十数年してオヤジが脳血栓となり即日病院に入院しました。当日は意識がありましたが、その後は意識なく流動食と点滴で数ヶ月生きていました。
オヤジは子どものときから1本の虫歯もなく歯並びがきれいなことが自慢でしたが、そんな状態になると歯並びがずれて乱杭歯になってきました。歯並びって毎日食べ物を食べ、かむから維持されているということを知りました。 mankomatta.gif
カテーテルや胃までチューブを入れられて、酸素マスクをして、たんが絡まったりすると看護婦さんに吸引してもらいました。オヤジ自身がそんな状態になってもはや意識が回復することはないと知っていたら、なんもしないで死なせてくれと言ったかもしれません。まあ、これも渡世の義理というヤツでしょう。
オヤジと私は世間並みにそれなりの葛藤がありましたが、最後は親孝行ができたと思っております。

子どもの死は不慮の事故、あるいは感染症などの病気で偶発的なものといえるでしょう。しかし弱者であろうと強者であろうと歳をとるのは避けようがなく老衰は必定です。病院で死にたくないというのは老人になってどこで死を迎えるかということです。
私が子供の頃は述べましたようにみんな自宅で死を迎えたのです。ついでに言えばお通夜も葬式も自宅でしました。初七日も法事もみーんな自宅でしたのです。

もちろん結婚式も自宅でしたのです。

それができたのは日頃から近所付き合いがあり、まかないをするにも遠くから来た親戚の方のための控え室としてご近所のご協力が得られたから可能だったのです。
家の構造にしても狭い広いではなくそういった行事(?)に使えるようにできていたからでしょう。
今様の間取りの家で何十人も通夜に来ていただいたらどうしようもありません。昔のつくりですとふすまを外すとか縁側に座ってもらうとか、最後には庭にも・・・ということができたのです。
親戚が狭い敷地に家を建てたとき、棺おけをどう出すか考えて玄関を決めたという話を聞いたことがあります。
自宅で死を迎えるというのは人間として幸せなのでしょうか? quest.gif ところで幸せというのは誰の幸せでしょうか?
 ご本人の幸せでしょうか?
 近親者の幸せでしょうか?
 家族の幸せの総和でしょうか?
 関係者の幸せの総和でしょうか?
少なくとも自宅で死を迎えたいというからには、自分が年寄りの最後の世話をしてからでないと発言することはできないでしょう。自分は親の面倒を見たくない、もちろん祖父祖母の下の始末をしたくない、と思いながら、自分は家族に囲まれて最後を迎えたいというのは論理的に矛盾しています。

このように自宅で死を迎えるということは簡単なことじゃあありません。
ご本人の希望とか家族の意識だけでなく、家の構造や近所付き合い、コミュニティのありようまで関わるシステム的な問題なのです。
    ですから病院で死を迎えたくない、自宅で家族に囲まれて死にたいと言うからには、いろいろ布石を打って置かねばなりません。
  • まず自分が親と同居してしっかりと孝行し親が寝込んだらその始末をすること。
    親孝行とは親がいうことをなんでもハイハイと聞くことです。これは実のところかなり実行困難なことです。 
  • 近所の人とは朝夕挨拶をして、掃除をするときは隣の家の前までする、などなど付き合いをしっかりとすること。
    近所でお葬式があれば何を置いても顔を出してお手伝いをし、自宅では炊き出しをして、親戚の方の控え室を提供する。
  • 自宅は葬式が出せるような間取りとしておくこと
そういった姿を子どもたちに見せておくことが必要条件であると思います。
そうしますと、わざわざ「自宅で死にたい」なんて言わずともちゃあんとそれなりのことになります。

エッツ、私ですか?
私は家内に十分苦労をかけましたので子どもたちにはそんな苦労をさせたくありません。
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いささか言い訳であります。(2004.05.31)

この拙文に多々反響がありました。賛否というより否否が多々であります。
匿名様より
「病院で死にたくない」拝読致しました。
私の祖母は小学校3年生の時自宅で亡くなりました。81歳、「老衰」でした。
父と姑は管をいっぱいつけて病院で亡くなりました。常時なべつかみ様の手袋をはめられていました。
私は管を付けずに病院で死にたいと思っています。
子供は、「元気なうちにその意思を記録しておいてほしい」といいます。
実を言いまして、たらこ様からも噛みつかれ、一晩に何度もメールをやり取りしました。
困りました。

私は病院で死にたくないという方のご意思を否定したり、ちゃちゃを入れるつもりはありません。
私のテーマは簡単です。
『昔は家で息を引き取るケースが多かった。
でも現代で昔と同じような情景を再現しようとしてもそれは無理です。
ノスタルジーだけでは成り立たないよ。』
というだけです。
私が二十歳くらいのときに都会に憧れ、遠くに就職していく仲間をねたんだのは事実
仲良くなった女の子と結婚して親と別居する仲間を見てねたんだのも事実
それができなかったもの事実、
私は結婚した当初は別居していましたが、父母が体力がなくなって(30年前60歳を過ぎたら老人でした)オヤジ夫婦だけでは暮らせなくなって同居するようになりました。
そして最後には葬式をだしたわけです。
考えてみれば親父も悪人でもなかったし、兄弟が親の財産をもらったわけでもありません。
しかし私は貧乏くじを引いたと思っていましたし、自分の娘・息子には私のような人生をさせたくないと考えてきました。今でもですけどね、

病院で死にたくないというのは単に自宅で臨終を迎えるという意味だけではありません。そういった記事では家族との同居、孫に囲まれて暮らし、自分の家で葬式を出すといったことを語っているのです。
そういう人生を送るためにはそれなりのバックグラウンドがないと成り立たないと私は思うのです。
まず、自宅で死を迎えるという裏づけとして、看取ってくれる同居人がいる必要があります。
いま親と暮らしている世帯がどのくらいあるかご存じですか?6%から7%というところです。
そして最後まで面倒を見てくれる息子夫婦あるいは娘夫婦の献身?犠牲?がなければなりません。
そういう家庭環境を今の老人の何パーセントが得ることができるのでしょうか?
また葬式というものを私は若いときからずいぶんとやりましたが、葬祭会場に頼まなかった昔は近所の方々の協力がなければ実行できません。私は最低二日は会社を休み、自分の車で坊さんを送り迎えし、家内が家でてんぷらを揚げ、家の部屋をご本人の親戚の控え室に貸し、また別の隣人は式進行を担当し、また別の隣人は食事のしたくなどなど、そしてそういった手伝いの代償を求めないという近隣社会(コミュニティ)がなければ昔ながらの葬式はできません。
隣に誰が住んでいるのか知らない生活、あるいは会社を休んで世話をしてくれない隣人、そういった環境の今、昔と同じような葬式が出せるのでしょうか?

たんに感傷だけではできないよといいたいのです。
家の構造さえ変わった現在、30年前と同じ老後を過ごし、死を迎えるのはむずかしいようです。
時代は変わったのです。
過去を懐かしむのは趣味の範疇かもしれませんが、過去には良いところと同時に悪いとは言いませんが、いろいろなしがらみもあったのです。
良いとこ取りはできそうありません。

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