タイトルがものすごいが、実は非常に初歩的な話です。
私たちが日常生活しているときに、さまざまな道具を必要としています。それらがなかったら人間は一体いかに生きていくことができるのでしょうか?という疑問を持ちました。
たとえば爪きりです。
私たちは数日に一回は爪きりで爪を切っています。あるコンビニでは毎日切るというルールとか聞きました。身だしなみは接客の基本ですからね、
昔の人はどんな方法で爪を切ったのでしょうか?源義経はどんな爪きりを使ったのだろうか?聖徳太子はどんな方法で爪を切ったのだろうか?

しかし、どう考えても爪切りというのはここ数百年くらいしか存在していないような気もする。仮にもし今、爪きりがなくなったら私たちはどうするのでしょうか?
昔は木賊(とくさ)で爪を磨いたとは聞いたことがある。
もちろん、そういったことは解明されているのかもしれない。私はそういう知識がないので不思議でたまらない。
私は仕事であちこちにいっていろんなものを触る。触るものが安全なものばかりとは限らないようだ。ひと月以上前にどこかで
(はっきりしない)右の人差し指に薬品をつけてしまった。多分酸かアルカリだと思う。はじめはちょっとした違和感だったのだが、数日して指の先の皮膚がペロリとむけてしまった。表皮がなくなってしまったのだ。出血はしないのだが触ると飛びあげるほど痛い。医者に行っても原因ははっきりしないし直す方法もないとのこと。軟膏をつけて常に乾いたばんそうこうを貼っておけと言う程度である。確かに新しい皮膚ができるまで待つほかなく、すぐに治るすべはなさそうだ。以来、日に何度もバンドエイドを取り替えている。
最近、私の更新が少なかったのはキーボードを叩くのが辛かったこともあるのだよ
そんな状態が既に一ヶ月以上も続いている。そして気づいたことがある。指にバンドエイドを貼って、なににも触らず大事にしているとその爪の伸びるのがひどく早く感じる。実際爪が伸びるのだ。私は爪というものは切らなくても日常生活でも相当の磨耗があることに気づいた。
機械がない昔は人間の爪は日常生活で磨耗し、わざわざ切る必要がなかったのではないか?という気がしてきた。
米とぎは同時に爪とぎだったに違いないし、縄をよじったりわらじを作ることによっても爪は減ったに違いない。
私の義母はわらじつくりが得意である。我が家では小さなわらじを作ってもらい鴨居に下げている。なにかいいことがありそうな気がする。
爪の次は髪の毛を取り上げてみよう。
髪の毛は毎日0.5ミリくらい伸びるそうだ。我々は月に1回は
(人により多少は違うだろうが)床屋に行って切ってもらう。もし床屋がなければどうしていたのだろうか?もちろん髪の毛を切るはさみもないとしよう。
もちろん髪の毛は無限には伸びない。女性で1メートル弱、男性で50〜60センチと聞いたことがある。しかし50センチも伸びれば日常生活では困るだろう。古墳時代の想像図なんかでは男も女も髪の毛をまるめてしばっている。本当にあんなふうだったのだろうか?
マテヨ!?
人間の髪の毛というものは必要に応じて生えているのだろうか?
熱帯の人の髪の毛がちじれているのはそれなりの、寒帯に住む人の髪の毛が細く長く本数が多いのはそれなりの理由があるからだろう。ということはわざわざ短く切らないでよかったのだろうか?なにもせずに生えたまま伸びたままで保温や体の保護に十分実用的だったのだろうか?
もし髪の毛が保温のために必要不可欠であったなら、髪の毛がなくなることは生死に関わることだったのかもしれない。

ということはおばQを自称する私は、衣類が十分でない時代には長生きできなかったのか?
人間の最大の危機は出産だろう。生むほうも生まれてくるほうも人生最大の危機だ。今現在出産が危機と感じられていないのはもちろん医療が進んだからである。
医者が今ほどたくさんいない時代は産婆さんが尊敬される職業だった。私も自宅で産婆さんが取り上げてくれたそうである。
それにしても感染症の危険が大きい時代は大変なリスクである。産後の肥立ちというが昔は乳幼児の死亡率は・・・・
しかし、刃物もない時代はへその緒を切るにはいったいどうするんだろう?多分噛み切ったのだろうけど?
身の回りのものを取り上げてみよう。
シャンプーなんてものは私の子供時代はなかった。・・・信じられないですか?
もちろん頭を洗わなかったわけではありません。石鹸で頭を洗っていたのです。
だから男の子が坊主頭にするのは十分実用的な理由があったのです。軍隊でもシラミ防止などの効果はあったに違いない。

お尻を拭くのだって、私が子供の頃は古新聞と決まっていた。金のある家ではガサチリと呼ぶ白いウェーブをつけた紙を使っていた。
ロール上のトイレットペーパーが使われるようになったのは、水洗化されてからのこと、
しかし、新聞もなかった時代は何を使ったのでしょうか?
大きな木の葉を乾かして使ったとか、縄を使ったとか、聞きますが?
ちょっと微妙な話だが、女性の生理用品についていえば私の子供時代はタンポンもナプキンもなかった。
いつも快適!なんてことは望めなかったのだ。昔は生理中の女性は穢れているとかいったそうであるが、そういう状況ではご本人が他の人に会いたくないという心境だったのかもしれない。
おっと、フェミニストの方々クレームつけるのは、国内外の言い伝えを検証してからお願いします。
人間の文明といっても1万年ほどだろう。
まともな衣類を身につけたのはせいぜい数千年くらいなのだろうか?アルプスで見つかったミイラは5000年前というからその時代には上下ちゃんとした衣服があったことは間違いない。
三度三度の食事をするようになったのはたかだか数百年。
ひげをそったのは何百年前からなのだろう?私がおふざけでひげを伸ばすと家内はいやらしいというが、かみそりもはさみもない時代はひげは伸ばし放題だったのだろう。もちろん女性も顔を剃ったはずはない。
わきの下もきれいにする習慣なんてここ二・三十年だろう、ノースリーブがなく日本の着物を着ていた時代にはそういう必要性もなかったろう。
エジプトの女官は酸でわきの毛を処理していたということを本で読んだことがある。まあいろいろ事情はあったんでしょう
照明は?
母親は子供の頃石油ランプのガラスを毎日磨くのが仕事だったという。昭和5年頃だろう、
そこまでさかのぼらなくとも、昭和35年頃(1960)父親の生家は電気がなかった。そして電気が来る前に開墾地の家を捨てて町に出てきた。今の普通の暮らしが過去からあったわけではないのだ。
私は老人ではない。まだ五十路半ばである。
水道を万民が使えるようになったのはほんのここ数十年なのだ。
それ以前は洗濯はどうしていたのか?もちろん井戸や川で洗濯板と洗濯石鹸でゴシゴシ洗ったのだ。
おばあさんが川に洗濯にというお話は私の子供の頃、親父の生家で祖母が川で洗濯しているのを見ていたのでまったく違和感がなかったのである。
もっとも桃は流れてこなかったようだ。
母は長屋に一箇所ある水道まで行って洗濯していた。炊事用の水はそこから桶に汲んできたのである。
一軒一軒の家に水道が来たのは私が小学校のときである。
電気洗濯機が家庭に入ってきたのは40年くらい前だろう。洗濯機も進化した。私が小学校の頃は攪拌式、その後回転式になりゴムローラー絞りが付いたのを見て驚いた。やがて脱水機の付いたニ槽式になり、現在の全自動なんてのはほんの最近、我が家で買ったのは2年前である。
エアコンですか?
田舎住まいの私はエアコンなど必要なかった。暑いのは日中のほんの一時期、夜は十分涼しいから。
私の娘が高校生のときすごいことを言った。
「エアコンがないと勉強に集中できず大学に落ちて経済的にロスがでる。エアコンを買えば浪人しなくて安く済む」
まさに私の娘にふさわしい詭弁・強弁・剛弁である。
そんなわけでエアコンをつけたのだが・・・・娘はエアコンのある部屋で勉強するより昼寝をするのが多かったようだ。幸い浪人せずに大学に入ったのだが・・・エアコンの効果は未だ不明である。
などなど考えると人間の暮らしは一歩一歩楽になってきている。
さあ、ここで私たちの暮らしを一歩一歩元に戻すことはできないだろうか?
あるいは戻したときに私たち人間は暮らしていけるのだろうか?
環境保護とか持続可能性なんて語る人が多い・・・私も環境に関わって飯を食っているのだが・・・人間の現在の生活を維持しつつ地球環境を長く使おうとはずるい考えではないか?
私には期間限定ではなく半永久的に現在の大量消費の生活様式を続けることは不可能なことは確実に思える。
であれば、持続可能社会を実現するということはリサイクルとか省エネの技術開発で可能なはずはなく、人間の生活様式を持続可能なところまで戻すことではないか?と思うのだ。
おっと、私が原始人の生活が好ましいと思っているわけではない。
私はエアコンの効いた快適な部屋で音楽を聴きおいしいコーヒーを飲むのが好きなのです。
ただ、どう考えても貸借対照表のバランスが取れない生活を捨てずに環境保護を語る人を見ていると、ちょっとチャチャを入れたくなってしまうのです。
いろいろな会社には環境部門がある。名称が『環境保護部』とかなんてのを見ますと、オイオイ、てめえらに環境保護ができるはずないぜ!と言いたくなりませんか?
いえ、もちろん私もあなたも環境保護なんてできるはずありません。
せいぜいできるのは環境負荷の低減だけです。
環境をいじって過去の状態に戻そうという行為さえそれ以外の場所にエントロピを捨てているケースが多いのです。
人間は万物の霊長とか言いますが本当でしょうか?
蟻は地球上どこにでもいる。そしてその数は人間より多いけれど、蟻が地球を征服したとは誰も思わない。
人間も世界中いたるところにいるし、数も多いけれど地球を支配したとはいえないのではないか?
台風が来ると逃げ惑い、大雨が降ると多数の死者が出る。進行する砂漠化をどうすることもできない。
現在の人間が地上で一番偉いと考えること自体がおおきな勘違いなのではないか?
ならば人間の生活様式を数千年前に戻して、持続可能なレベルに落としても別に恥ではなさそうだ。
しかし人間は昔の暮らしをする知恵と力を失ってしまったのではないか?という懸念するのである。
もしエネルギーの枯渇、技術の喪失が起きたとき、1万年前の暮らしに戻ることができるのだろうか?
あるいは、人類はなすすべもなく死に絶えてしまうのか?
ぜひ知りたいものだ。
本日はこれまで!