法事の話 2004.09.11
法事というのは仏教の行事であります。
誰かがお亡くなりになると、お葬式をとりおこないますが、その後一定の時期・時期に冥福を祈る行事でして、一回忌、三回忌、七回忌、十三回忌、一七回忌、二十三回忌、三十三回忌、三十七回忌、五十回忌、とたっくさんあります。 こどもの頃、法事というのはめったに会えない親戚に会えるよい機会でした。
kane.jpg 当時はいわゆる義理といいましょうか、なにをおいても祭りとか葬式とか法事とかそういった行事に参加することは当たり前でありました。
また旅行するということが今よりはるかに困難といいますかハードルが高かったので、遠くに住んでいる親戚に限らず、各家庭に車がない時代ですから歩いていけるところでなければめったに会うことがなかった、などなどの理由によりまして、法事というとめったに会えない、おじさん、おばさん、いとこなどに会えるチャンスでありました。
もっとも法事が大事な行事であると考えていたのは田舎の人間だけだったのかもしれません。
都会に住んでいたおじは「法事だから帰省しなければならない」と勤め先の親方に言っても理解してもらえず、なんだかんだ言われたとこぼしていたことがあります。
都会の人たちにとっては今から50年近く前でも宗教行事である法事というものの重要性は低くなっていたのかもしれません。
葬式と違い、法事は悲しむということはありません。久しぶりに会った親戚の子供たちが大きくなったのに喜び、大人は最近の暮らし振りを話し合ったり、年配者は一層歳をとったことを悲しむということでございましょう。
子供たちはワイワイ遊んでも叱られず・・・といいましても昔のことですから、庭で木登りとか飼っている犬をかまうとか、家の中ではトランプをするといった程度でございます。
さて、みながそろいますとお寺に行きます。お坊さんがなんたらかんたらお経を唱えまして、みなはありがたい振りをして神妙にしております。
正直言いまして、わたしにとって座ってお経を聞くというのが大変な苦行でした。しびれが切れてそのあと線香あげのとき立ち上がれずに這って行ったことがあります。
日本には良い所、悪い所がありますが、座るという習慣はなくしてほしいものです。
一同が線香をあげますと坊さんは塔婆を置いてさようならでございます。
ohaka.gif お坊さんにお墓まで行っていただくとまた支払うお金が増えますので、ここで結構ですというわけでございます。
さてみなそろってゾロゾロとお墓まで歩いて行き塔婆を立てて、線香を上げますと式次第は終了です。
もちろん何年かに一度しか会えない面々でございますので、またゾロゾロと家に戻り男はお酒を飲み、奥さん連中はおしゃべりを続け、子供たちはワイワイと遊んだというのが法事の一部始終であります。
お寺とお墓と自宅が近くないとこのようにことは運びません。
法事は子供たちにとって楽しみであるだけでなく、大人にとっても楽しみだったのではないでしょうか。当時はお酒を飲むということは正月と結婚式、法事くらいでした。もちろんお葬式で酔いつぶれたら面目丸つぶれですのでそんなに飲めません。晩酌をするということは豊かだということで、昭和30年頃の田舎では晩酌するほどの余裕はありませんでした。
奥さん方にとってもお葬式ほど炊事などの仕事があるわけではなく、食べたりおしゃべりしたり楽しいのではなかったのでしょうか?

冒頭に上げましたように、法事というものは数年おきで、毎年はありません。しかし亡くなった方はたくさんいますので、ほぼ毎年どこかで法事はありました。
だからお正月に田舎に帰ってこない親戚でも子供を連れて帰ってくる機会でした。
先ほどもいいましたが、私がこどもの頃は仕事が忙しくとも欠席したら義理を欠くという価値観でした。都合があってご主人が出られずに奥さんだけが顔を出すと「おまえのお葬式にはわしは行かんぞ、女房だけ行くことにするからな」なんてすごんだ人もいて、実際にお葬式には奥さんだけ行かせたということも聞きました。
義理と人情なんていいまして、やくざじゃありませんがオヤジの年代では義理というものはそりゃ守るべき大事なものだったのでしょう。
一般人にとって義理と人情というのは同じだったのではないかと思います。
わたしの両親は7人兄弟と8人兄弟なんて今じゃテレビに出られるくらいの兄弟がいました。もちろんその子供たち、わたしのいとこもたくさんいたわけです。
ですから法事といいますと参加者は少なくて30人多ければ数十人もいたわけです。
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やがて時代が下がって、親父が死んだ頃はそういった行事は下火になりました。
もちろん法事そのものをしなくなったわけではありませんが、まず参加者が減った。
たとえばオヤジの法事をする頃は、既にオヤジの兄弟姉妹は片付いているわけです。
その子供たちとなりますと縁も遠くなりますし、ほとんどが遠隔地におりましてまず来ません。わたしの家族、兄弟とその配偶者、その子供(わたしにとって姪、甥)くらいになります。そして今ではどの夫婦も子供が少なくなりました。
そんなわけで参加者は20人もいません。またみな忙しく集まっても酒も飲まずに帰っていくのが普通になりました。
また法事も決められているとおりに行わず、たとえば十三回忌と一七回忌を合わせてやってしまおうということが多くなります。
やがて法事も回を重ねると実の娘である姉でさえ「用があるから行けないよ」ということになります。
超古い番組シャボン玉ホリデーに「人情紙より薄い」というせりふがありますが、まさしくそのとおりでございます。
そうしますとオヤジとか母親の法事であっても私ども夫婦と子供二人というさびしいことになるわけです。
わたしの娘・息子にとってわたしの姉・妹であるおばさんとは一二度会った人、いとこの名前も知らない、という状況です。当然、わたしの甥、姪にとっても同じでしょう。
わたしが姉の息子に会ったのはもう10年も前、今30歳を過ぎた甥に会っても顔もわからないでしょう。
血は水より濃いとかいいますが、兄弟は他人の始まりでもあります。

いえ、人のことは言えません。都会に出てきてからは、わたしも実の両親の墓参りをするのは年に一・二回、お彼岸は家内一人で行くということが多いのです。命日は家で仏壇を拝んでおしまいであります。
家内の母は夫(私にとって義理の父)の命日の前にはお墓掃除、当日はおまいりを欠かしません。しかし、古里から遠く離れたところに住む私にとってはそれは無理というもの。
時代の流れとか、生活が第一とか理由はいろいろあります。しかし親戚にあう機会も減り、先祖の墓をお参りすることもなくなれば、祖先への尊敬、家族の大事さ、親戚との親密感といったものがどんどんとなくなってしまうのは当然です。
それは封建的とか古い家制度とかとはまた次元が異なるのではないかと思います。義理が重くても困りますが、日本が、社会がお互いを思いやりある程度ウェットな社会であるためには家族のつながり、親戚のつながりが必要条件なのではないでしょうか?



本日のなげき


お読みになって分かるとおり法事の話じゃあないんです。
40年前、長男は地元に残らないとダメだという価値観に私は多いに不満でした。
昔のように制約が多いことが良いとは言えません。義理が個人の意思に優先するのも困ります。
わたしは人はだれでも自分の人生を決定する自由があると思いますし、それを制約する気はありません。子供たちの人生は子供のものですから、わたしがああせい、こうせいと発言する権利はありませんし、またしたこともありません。
しかし、歳をとったせいか、今の日本の家族や親戚関係が希薄なことが良いとは思えないのです。
この行く付く先が本当の個人主義なのか、日本の価値観の崩壊なのか、さらには日本人としてのアイデンティティの消滅なのか、どうなんでしょうか?




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