人は一人では生きていけない 2004.09.19
「大空港」というマンガがある。私の息子が大好きで全巻家にそろっていた。過去形で言うのは相次ぐ引越で今はもうない。
「大空港」 野口 賢 著/城 アラキ 作 集英社
内容はご存知かもしれないが、大空港で働く人々の日々のできごとである。まあトレンディものというのか一言で言えばエエカッコシイというのだろうか?
それはともかく、そのなかのせりふで気に入ったものがある。
「ボクは今でも戦闘機を自由に操れるだろう。でもあなたは500人を乗せて飛ぶ。500人には家族、会社、仕事の関わりで数千人の生活がかかっているだろう。ボクにはそれを負う勇気がない。」
これは元航空自衛隊の戦闘機乗りで、今は航空会社で地上勤務している主人公が旅客機のパイロットに言った言葉である。 自分の行為が己の命だけでなく、直接的に人様の命、さらにはその人々をとりまくおおぜいの人々の生活に関わっているのであればその責任たるや大変なものだろう。
もちろんそれはパイロットに限ったわけではない。電車の運転士、航空管制官、タクシーの運転手でも同じだ。

もっと広く考えれば、私たちみんながこの社会に関わって生きており、責任を負っているし、支えあっている。たとえば私は米を作っていないし、野菜も作っていないし、牛も飼っていないし、紙を作っていないし、電車を運転できない。
ロビンソンのように無人島で生きているのでなければ、生活のすべてを一人でまかなっていけるわけがなく、だれもが人のお世話になり、自分も人のためにならなくてはならない。
Mr.Yoshwolf.gifayu.gifookiri4.gifoogo.gifookiri5.gifookiri3.gif
いろいろな人がいて世の中は成り立っています。
エッツ、人間じゃない方もいるようです!?
もっとも世の中には社会に貢献しないどころか、一般市民を悪に引きずり込もうとしている政党や報道機関もあるらしい。
人間であれば、ひとさまに関わりなく自分ひとりでは生きていけない。
ところで人は一人では生きていけないというのはいろいろな意味がある。

結婚しない人が増えているという。
非婚者が増えているのではなく、結婚年齢が高齢化しているだけという説もある。
その事実も統計的に事実かどうかは怪しいのだが、身近にいる未婚者が本当に個人主義で独身を貫いているのかというとそれも怪しい人が多い。
bride2.gif
今や結婚はあこがれる
ものではないようです。
同僚に50代半ばで独身という男性がいるが高齢の両親と同居している。そして親の面倒を見るどころか今でも炊事・洗濯の世話をしてもらっている。本当の独身主義とは大幅に異なるような気がする。 
知り合いの男性はやはり50代半ばまで独身だったが、あるとき突然結婚した。うわさでは高齢になって自由がきかなくなったご両親の世話をしてもらうためだったとか
・・・真偽のほどは分からないが、 これって!?

男性ばかりではない。
知り合いの独身キャリアウーマンもご両親と同居して食住はしっかりと面倒を見てもらい、自分の稼ぎはぜ〜んぶブランド品と海外旅行に費やしている。一人で生きているどころか半人前、いやパラサイト(寄生虫)のようだ。

物質的でなく、精神的な面でもただ一人で生きていくということもこれまた不可能に近いのではないか?
仮に経済的に心配ないとしても、ただひとり年老いていくのは辛いのではないだろうか?
『本当の財産とは、家族、健康、教養』というユダヤのことわざがあるそうだが、家族あるいは友人というものがなければ人生はさびしいだろう。
もちろん家族とは血のつながったものだけではないと思う。
囲碁で知り合った方は子供がなかったが、いつも囲碁仲間とワイワイしていた。高齢で亡くなったときは仲間が大勢参列し花輪も「囲碁仲間より」という表記が目立った。そういう仲間も上記のことわざの家族に入るだろう。
またひとつところに留まらずに常に新しい社会、人間関係を渡り歩くのでも疲れてしまうだろう。
チョット前までは職人にとって修行の旅というのは当たり前のものだった。映画で見るやくざと同じく泊めてもらい食にありつくというスタイルである。もちろんそこで仕事をして、教えてもらうということになる。
私が会社に入った頃は年配の人にはそういった修行をした人がいて、酒を飲んだりすると若いときの修行の旅の話を聞かせてくれたものだ。昭和初期の話だったのだろうか?
もちろん「お控えなすって・・・」と仁義を切ったわけではなく、前の親方の紹介状を出して宿泊とご指導をお願いしたらしい。もしそこのご主人に気に入っていただかないと大変だ。
床屋さんなんてあちこち渡り歩いて修行するというのはホンの少し前までは当たり前だった。板前さんは今でもかな?そういった職業は所が変わっても仕事の内容が同じということもあるのだろう。
修行の旅というのは肉体的にも結構きついだろうし、精神的にもタフでないとやっていけないと思う。

昔の剣術の武者修行というのは全国の名門道場あちこちを歩いて教えてもらうわけだが、肉体的にも精神的にもそれは辛かったと書いてあるものを読んだことがある。
私は剣道にも武者修行にも無縁だが、辛いことは十分分かる。
同じ会社に長く勤めていて気心が知れた上司、同僚、部下とでさえ年中軋轢(あつれき)があり、胃が痛くなるのだから、初対面の人に衣食住を頼り教えを乞うという人間関係は想像しただけでも疲れてしまう。
それだけ苦労して剣術が上達しなければ、無為としかいいようがない。
悲劇である 

そういうことを考えると家族、友人、親戚、隣人というものに囲まれて暮らすというのはまことに安穏な無難というか臆病な人生なのだろう。
移民するとか、転職するとか今の生活を捨てて、後戻りのできない道を選ぶことはすごい勇気がいると思う。
ゴールドラッシュのときに、家族そろって、あるいは一人でカリフォルニアを目指すという決断は私のような軟弱な人間にとってできそうにない。あれは国民性、時代性、とかそういったものの総合なのだろうが・・・どうなのだろう?
それとも財産といえるものがなく、「だめもと」という考えだったのだろうか?
もちろん最近はリストラなどで自分の意思でなくそういった状況になる場合も多い。
まことに精神的にタフでないと生きていけない時代である。



本日の煩悩


「一人では生きられない」のではなく
「一人で生きていかなければならない」時代となったのでしょうか。
 これが、
グローバリゼーションなのでしょうか?




oldman1.gif 本日の誓い
家内に定年離婚されないようにしたいと思います。
オワリ



目次に戻る