朝日新聞社拙論 2005.02.05
この駄文は朝叩きの掲示板に05/1/27投稿した拙文を加筆修正したものです。

朝日の社説が稚拙だとか、まっとうでないと語っている方が大勢います。
それが事実なのかどうか、本日はそれを論じたいと思います。
新聞の社説というのは何を持って評価されるのだろうか?
 ・国家、国民への影響力だろうか?
 ・経済学者・政治学者をうならせる切れ味の論理、政策提案によってだろうか?
 ・特ダネとかびっくりニュースによってだろうか?
 ・大学や高校入試に採用される回数によってだろうか?
 ・あるいはその文章の技巧によって評価されるのだろうか?

  • 国民への影響という観点から考えると、単純に販売部数が多いほうが影響力が大きいといって間違いないだろう。
    読売新聞は04年11月に1000万部売ったそうだ。朝日新聞は同時期825万部だったそうだ。
    こんな数字は検索エンジンを使えば3秒で調べられる。もっとも公表されている数字は信憑性はいまいちだそうだが・・・
    すると読売新聞は朝日新聞より20%パワーが大きいのだろうか?
    新聞を取っていても社説を読んでいる人数が問題だよという理屈もある。しかし、その実数を証明することは不可能なようだ。朝日の購読者は読売の購読者より2割以上社説を読んでいることを立証することは可能か?
    私はできないほうに1000円賭けよう。 

  • 単なる一般読者ではなく、知識人あるいは上層階級に読まれているかどうかだ!
    futari.gif という理屈もあるだろう。
    購読している新聞と学歴、購読している新聞と職業なんて相関を知りたければ、そんなデータもそこらにころがっている。しかし、この論理はすこし無理と思う。
    なぜなら、日本は民主主義であるので知識人もそうでない人も同じ一票であり、上流階級に読まれていようと数の力にはなりえない。
    それに、社説を論じるような方は一紙しか読まないということはないと思う。私のような庶民レベルでもインターネットで複数の社説を見て比較しているのだから、
    社説比較のサイトまであるのだ

  • 国家への影響力という観点から考えると、これはもう読売の圧勝である。
    なぜそんなことを言えるのか? と質問して欲しい。
    簡単である。
    朝日新聞は常に与党、政治主流に反対し批判する社説を書いている。読売はほとんど常に与党、政治主流を支持する社説を書いている。それを政治に対する読売新聞の迎合と読み取るか指導力と読み取るかは人によって違うだろう。
    鶏が先か、卵が先か?私には証明や説明はできないが、読売新聞が日本の政治を動かしていることは間違いないような気がする。少なくとも読売新聞に書かれている思想が日本の政治を動かしていることは間違いない。
    朝日新聞も政治に与える影響力は大きいのだろうが、日本を動かしていないことは間違いない。もっともそれも見方である。ネットの世界では「朝日に書いてあることの反対をすればうまくいく」と言われている。とすれば朝日は十分に日本を動かしているといえる。

  • 特ダネとかビッグニュースを取り上げているかという観点から見ると、日本の新聞の社説のテーマではそれほどの差はない。しかし同じものごとでも見る観点というかスタンスに大きな違いがある。
    しかしながら、各社のスタンスの違いはもはや公知の事実であって、政変、事件、判決、投票結果について、各社の社説でどのようなことを書くのかは99パーセント予測できるのである。
    なにしろ朝日新聞の社説を自動的に書くソフトさえ作られて流布されているのだ 
    そんなことを知ってか知らずか朝日の論説委員はひたすら毎日社説を書き続けている。
    まさか?そのソフトを使っていたりして・・・


  • 朝日新聞はパワーペーパーと自称している。パワーペーパーとはなんだろう?
    パワーペーパーという言葉で検索するとコーヒーフィルターとか薄型電池なんてのが出てくるが、新聞においてそれがどのような意味を有するのかは定かではない?
    破れにくい紙とか、丈夫な紙という意味ではないようだ 
    パワーペーパーというフレーズと共に常にセットになっているのが大学入試に取り上げられた回数ナンバーワンというのがある。試験問題に使われるということは入学試験勉強のパワーになるということだろうか?

    朝日の記事が入試に採用されているのは、その内容が人類に貢献するからとか、日本という国家や国民に寄与しているというわけではない。
    その文章がいかにも小論文として理想的なこと故なのだと私は考える。
    小論文とは大論文の反対語でもなく、論文の一種でさえない。
    小論文とは単に理屈をひねり、言い回しにも気が利いて、読み手に「おお!こいつけっこう考えているんだ」と思わせればいいだけのものなのだ。
    だから書いてあることに何の意味もない。
    世の中で話題になったこと、あるいはどこかで拾ってきた話題、それさえない場合は、自分ででっちあげても(捏造といいます)、ものごとを斜めに見て、他の人とはちっとは違ったことを考えているんだぜ! と歌舞伎で言うところの見栄を切れば目的を果たす。
    そう考えれば、朝日の社説は小論文としては最高のパフォーマンスじゃありませんか!?
    産経とか読売のように骨太で読む人に <重い> と感じさせず、軽くスマートで無責任でまさに現代にマッチした小論文じゃあありませんか?
    軽薄短小とは朝日の社説のための言葉なのです。
    支離滅裂であっても、読んだ人をちょっと感心させればその文章は入試で求められている小論文としては満点だ。
    もちろん小論文の作者は大学に入ればいいのであって、日本を動かそうとか、人々を導こうなどとこれっぽっちも考えているはずがない。
    朝日新聞の論説委員の願いは巷でうわさになって、少しは売り上げが伸びればいいなあと言う程度でございましょう。
    といいましてもときどき失敗もありまして、言及した相手から突っ込まれてあるときはダンマリ亀さんになったり、あるときは切れた不良少年を真似するときもあります。
    でもそれと小論文のできのよさとは関係ありません。
    やはり小論文としては、十分に及第点なのです。


本日の結論


朝日新聞の社説を読むときは、それが天下の公器ではなく、一部の人々の同人紙であることを忘れにないようにしましょう。

ところで、この文章のタイトルが朝日新聞社説論ではなくて、朝日新聞社拙論であることに気づいた方はいらっしゃるのだろうか? 


更に蛇足が続きます。
誤解を恐れずに言えば、この世はすべてゲームです。ゲームといっても遊びとかバーチャルという意味ではありません。
ゲームの原則、すなわち双方が了解したルールがある、攻撃守備がある、ゲーム参加者は自己の利益を最大化しようと行動するということです。 これがゲームのお約束
私たちは経済活動も政治行動もネットの行動もすべてゲームの原則に従って行動しています。
このルールを破る人はゲームの掟破り、後出しじゃんけんです。フェアネスに反する行動をとっていては世間では相手にされなくなります。ひょっとすると塀の中に行かなくてはなりません。
しかし、このゲームの原則を破ることができるのが何者かご存じですか?
そうです、昔から言います、泣くこと地頭には勝てないってね。
子供と強者のみが他人を無視して自分かってに行動できます。
東京裁判におけるアメリカ軍は間違いなく強者だったでしょう。
朝日新聞は強者なのか子供なのか私は判断しかねております。
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