昨日の私は今日の私にかなうまい 2005.03.13
いつも書いているが私は定年まであとわずかである。・・・・このウェブサイトを開設してから既に4年もたつということが不思議である。それは私が生まれてから今までの人生の7%もの時間に相当するのだ!
さて、人の行き方にはいろいろあり、それぞれの人生がある。

「人生いろいろ」と言って「不真面目だ!」と食って掛かられた首相もいたが、そう言ってはおかしいのだろうか?


人間この世に生を受けたということは、ものすごいことだと思う。人間はみな存在すること自体奇跡なのだと思う。このただ一度の人間に生まれてきたすばらしいチャンスをむざむざと過ごしては、他の誰にではなく自分自身に対して責任をとっていないということだ。人生いろいろではあるけれど、誰もが己が置かれた条件下で最善を尽くすということは義務であるとともに権利ではないかと思う。
昔、虎は死んで皮を残し人は死んで名を残すといったが、名は残さなくても死ぬときに自分自身に悔いは残したくないと思う。
この人間に生まれてきたというすばらしさを思うと、人殺しとかイジメなんてことをしていることを恥じなくてはならないよ。そしてこの日本のため、社会のために尽くそうとしなければおかしいということだ。
もっとも学校や家庭でそのすばらしさを教えなくてはわからないだろうが・・・


ところで、サラリーマンはもちろんだが自営業にしても60歳くらいになると一段落というか先が見えてきて、残りの人生をどう過ごすかを考えるのではないだろうか?

oogo.gif 自衛隊は定年が早い。私の高校の同級生で自衛隊に行った3人は、既に定年となり第二の職場で働いている。自衛隊には退職者の職業斡旋部門もあり私の囲碁仲間もその担当であった。職業柄年配者では勤まらないのだろうが、定年が中途半端で歳が行ってからでは職を探すにも慣れるにも大変だろう。一定年齢になったら一般の地方公務員、教員や警察官に採用する仕組みを考えたらどうだろうか?

定年までの過ごし方といっても、これまたさまざまだろう。ただひたすら椅子を暖め、余計な仕事を持たないように目立たないように問題を起こさないようにしている人も多いのだろう。
しかし、私と同年代の人にも積極的にいろいろな人生設計をされている方がいる。体が元気なうちに好きなことをしたいと考えて早期に退職して、小説家になったり小さな農地を借りて農家の真似事をしている人もいる。

もっとも何を持って小説家というのかは不明である。正しくは小説家志望というべきか?
農家の真似事というと叱られるかもしれないが、農業のプロである義母から見たら笑いものだろう。天気のいいときだけ農作業をするようではプロではない。農夫症という言葉があるように、農業とは歳をとると腰が曲がってしまうほどに厳しいものなのだ。
この義母は実に偉大なお方で、私は実の父母よりも尊敬している。今日も高齢を気にもせずに東北の田舎で田畑をいじっているはずだ。

sakura.jpg
花が毎年咲くならば
人生二度咲いてなぜ悪い
他方、定年以降も仕事をしたいといって行政書士とか宅地建物などの勉強に励んでいる方もいる。そういった業種に需要があるのかないのか私には分からないが、それもまたすばらしいことだと思う。
あるいはまた社会貢献といきがいを探そうと休日に面白そうなNPOなどを歩き回っている方もいる。
無為に日々を過ごすに比べて、そのような前向きな一時一時の価値は比べものにならないと思う。

実は私は今のところ、そういった願望はない。むしろ、残り少ない日々で己の仕事において何かを残そうかともがいている状態である。
笑われるかもしれないが、私は今時点の自分の能力が社会人になって以来過去最高の状態であると考えている。10年前の1年間の仕事よりも、今の一ヶ月の仕事のほうが質量とも優れていると思っているし、今後1ヶ月の仕事は過去1ヶ月の仕事より優れていると信じている。
毎日、毎月、己の仕事の質向上を図れば、過去40年間以上の仕事が残された数年でできると考えている。アキレスと亀の話ではないが、毎日を今日以上に努力していけば永遠に定年は来ないのかもしれない。

、あなた笑いましたね、★★
笑っちゃいけないといったでしょう 

もちろんそのようなことは単に自分が思ったり願ったりしただけで実現するはずがない。毎日毎日、勉強することも必要だろうし、過去を復習し、失敗を反省して同じ轍を踏まないように努めなければならない。その結果、昨日より今日、今日より明日の進歩がもたらされると思う。
思うだけだ、何せ確信はない。

ときどき、20歳あるいは30歳の頃の自分を思い出すと、顔が赤くなる。
なぜあのとき、もっと一生懸命努力しなかったのだろうか?
3時間残業でなく4時間残業しなかったのだろうか?
考え方を変えた計算をして検算してみればよかったのに?
もっと起こりえる可能性、別なプロセス、選択肢を考えればよかったのに
・・・と後悔するばかりである。

だが、過去を変えることはできない。だからそのようなことを考えるのは無駄だ。
しかし、今をより努力しもっと考えて行動することはできる。

今が一番若いという言葉がある。
私たちにとって今が一番若いのは間違いない。明日は今日より一日歳をとり、来年は一歳年寄りになるのだ。
同時に、今が一番経験豊かであることも確かだ。昨日より今日は文字とおり一日の長があるのだ。



本日の誓い

人間に生まれたことはものすごい幸運である。
いかなる状況であっても最善を尽くすことが己のためであると知る。
私は過去を悔やむには若すぎ、己の境遇を嘆くほど老いてはいない。



もちろん還暦直前の私だけでなく、20歳の人も80歳の人も同じことが言えると確信する。

そして言おうじゃないか、

昨日の私は今日の私にかなうまい






月影様からお便りを頂きました(05.03.19)
「昨日の私は今日の私にかなうまい」を読んで
佐為様、こんにちは。
「人間に生まれたことはものすごい幸運である」
本当にそのとおりですね。実際、そう思わなければ人間などやっていられないくらい、面倒なことが多すぎます。しかし、 それこそが人間として生を受ける代わりに課せられた、宿題のようなものなのでしょう。
やはり神様はちゃんとバランスを考えておられるようです。
先日、「九条の会」の会員さんのブログを覗いていたら、「鳥たちは自由に飛ぶだけで、領空や領土など主張しない」と、ご高説を垂れておられました。
「花はみんなきれいに咲いて、互いに優劣を競ったりはしない」とかいう歌も流行っていましたね。
一見、高邁な思想に耽っているように見えますが、要するに人間ならではの面倒を嫌って、現実逃避しているだけの話でしょう。
私もまだまだ勉強不足。間違うことも多々あるでしょうが、どんなにかっこ悪くても「逃げ」の姿勢は取りたくないと思います。

月影様 お便りありがとうございます。
サヨク、右翼、主義思想を問わず、人間として一番大事なのは感謝であると思います。それと上を向くか下を向くかが大事かと愚考します。

「九条の会」の会員さんたちはみな高学歴であり、社会的に成功している方々ばかり
でもそれをまわりの人々、そして日本社会のおかげであると感じているのか?とわたしは疑問を感じています。
鳥が自由に飛べるのに自分は飛べなくとも、他人が花を咲かせても自分は花を咲かせなくても、自分は自分であり、自分を自分が愛せることがその人の価値であると思います。
残念ながら、私は学歴もなく、金もなく、社会的に成功者でもありませんので、自分自身をそう納得させないと人格が崩壊してしまいます。 

この世に生まれてきていろいろな経験をして少しは社会に役立つことができたと確信できたなら、それはもうガリレオにもアインシュタインにも匹敵する人生であると私は信じております。
まあ証明はできませんので信じるしかありません。

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