親方日の丸 2005.05.05
昔、「親方日の丸」(おやかたひのまる)という言葉があった。親方日の丸とはうしろに国がついているのだからちょっとやそっとではつぶれませんよということであり、そこで働く人たちの真剣味に欠けた意識や態度を意味した。
当時であれば、公務員のほかに三公社五現業と呼ばれた、国鉄、専売公社、郵便局、電電公社などがそれに該当したのだと思う。

田舎には代替となる私鉄がない。だから国鉄の態度は大きかった。
「文句を言うなら乗るな!」というわけだ
タバコも同じだ。なにしろ専売というくらいで競合する者の存在を許さないのだから怖い者知らず。

正直に申し上げますが、私も高校を出るときは安定した職業につきたいと願い、親方日の丸を目指したことを白状します。
sake.jpg 国鉄なんて最高でしたね。当時は組合が強く、お仕事はお気楽く、賃金もそれなりでありました。なにしろ仕事に比べて人が多い。だから仕事は楽、そして赤字だったのでしょう。
ところが、国鉄に入るには簡単ではなかったのです。まず、親兄弟が国鉄関係者でないとまずだめでした。私がなんとか就職できないかと工機部で働いていた近所の人に相談に行ったところ、「そりゃ無理だよ、あんたんとこのオヤジさん国鉄でないからな」でおわりでした。
田舎の近所とは200メートル以内をいいます。
私の同級生ではただひとりが国鉄に入社しました。もちろん父親が国鉄マンでした。うらやましかったですね。本人も誇りに満ち溢れていましたよ。
卒業後、何年もたって同級生が数人集まって飲んだときのことです。
その国鉄マンは非常に心細そうに語っていました。
「国鉄も民営化になりそうなんだ。俺は今まで組合活動を一生懸命してきたから、あぶないなあ」
そのとき、私は親方日の丸とはこういうことなんだなあ〜と感じ入りました。倒産する恐れがなければ、組合活動をいくらやっても心配ない。何のために?たぶん自分たちの生活のためではなく、主義主張のためだったのしょうねえ〜
正直なことをいいまして、同情はしませんでした。

ちなみに国鉄には複数の労働組合があり、穏健なものもありましたが、体制を壊せという先鋭的で怖い組合もあり、これはストライキが大好きでした。
train.gif その後、彼には会ったことがありません。民営化後のJRに残り、かつ生きがいをもって働いているんでしょうか?
いずれにせよもう定年も近い、どこにいても元気にやっていれば良いのですが・・・

国鉄がダメなら、専売公社はどうか?といいますと・・・これもまったく同じでありました。
親が勤めていると、まず大丈夫。だいぶ時代が下がってからは子供が就職するには親が退職するというおかしなシステムがあったようです。人員を増やさないためだったようです。
勤めていた親が病気で亡くなって、その娘が代わりに就職したなんて事例も見ております。
こうなるともはや営利事業ではなく、運命共同体、助け合い、家族のようなものですね、
聞くところによると、今でも中国の人民解放軍ってそのような組織らしいです 
専売公社に就職した同級生も一人います。やはり彼の親が勤めていましたし、高校時代バレーボールの選手だった関係もあって堂々の合格でした。

当時、専売公社のバレーボールは日本でトップクラスでした。猫田なんて知りませんかね?


その後、地元の葬式でたまたまその専売公社マンに会いましたら、こんなことを言ってました。
「今、営業をしているんだ。タバコは独占だけど、贈答品などでは他の品と競争が大変だよ。最近は特にたばこが健康に悪いといわれているから辛い」
私は生まれてからこの歳まで、1本もタバコというものを吸ったこともくわえたこともありません。
space.gifあれから既に20年、彼にも会っておりません。
space.gif専売公社マン、いやJTマン、今も元気かね?

今、多くの国営、公営企業が民営化されてそれぞれ活路を見出そうと一生懸命がんばっている。
JRは敷地と人材の有効活用をはかっており、また客に対する態度も非常に良くなった。ストライキなんてまずしない。20年前の国鉄の態度を知らない人はその進歩というか、正常化を知らないだろうけど。
drink2.jpg NTTもテレホンカードを売ることで商売というものを知ったのではないだろうか?あのときの総裁さん失脚しちゃいましたけど・・・
専売公社も土地を利用して種々商売をはじめたり、タバコだけでなく清涼飲料水などのビジネスに進出している。
私はそれが非常に良いことであると思う。
それが自由主義経済のあたりまえの姿である。もともと、たばこ、塩、鉄道などは祖国防衛のように国家が営む事業ではないからだ。

行政サービスだって自治体が行う事業かどうか定かではない。
ゴミ処理、税収、その他の各種サービスだって民間企業に委託することも可能だ。
たとえば、市役所の窓口業務を民間に入札させたらどうだ!
「当社では年間○○円で請け負います。接客サービス抜群です」とかいう会社にアウトソースすることはおかしくない。
その金額が公務員を雇うより安いならば、公務員を削減すべきです。

ところで公務員を削減する方法ってあるのだろうか?
アメリカは公務員でも何でも予算次第で増減する。アメリカ軍だって軍縮になればリストラするのだ。

出入国管理だって、航空管制だって、税務署だって、保険所だってアウトソースできるのではないか?
警察は少し無理だろうけど・・・

ところで、いまだそういうあるべき姿にならずに、市場経済にもまれたこともない親方日の丸の化石が残っているのが不思議でならない。
quest.gif たとえば半分国営の放送局がある。
なんでも運営予算は無条件で国民全体から徴収しているそうだ。
横暴なことをするものだ!
税金はサービスの見返りというか原資であるからやむをえない。国防もあるし、治安もある、道路補修もあるし学校もある。ワシは防衛してもらわなくてもよいとか、犯罪にあっても良いから警察に使う税金は払わないなんてことは・・・できなくて当然である。
ところが、いまどきテレビであろうとラジオであろうと見ても見なくとも自由、民放でも有線でも選択肢はたくさんある。国営放送を見ない自由もあり、不払いの権利もある。
というか・・・もともと払う義務がないのではないか?

最近は視聴料を払わない人が増えているとか、親方日の丸は過去の話、
市場経済は怖いぞ! まもなく倒産かもしれない。


郵便局とか郵便貯金が民営化しようとか、だめだとか騒いでいる。
銀行も証券もグローバリゼーションの時代である。製造業がなぜ中国に行かなくてはならないのか、郵便局の人は理解しているのだろうか?

家内が乏しい貯金を下ろしに郵便局に行ったら、窓口の人に言われたそうです。
「郵政民営化になると貯金の利子がなくなります。郵政民営化に反対してください。」
ちょっとおかしいんじゃないか? 郵便局は職員がそのようなことを騙ることを許しているのか?


親方日の丸の最後の聖域がある。
お気づきのとおり、教育である。
学校をすべて民営化しようではないか!
教育基本法を守らない会社にはアウトソースしない。
不勉強な教師はすぐさま派遣をやめていただく。
わいせつ行為、酒飲み運転をした方には、依願退職とか出勤停止なんて遠慮したことをせずに、即辞めていただく。
組合運動を時間内にする方は即処分。
これが民間企業の常識だ。

もんくあっかぁ〜?

寄らば大樹の陰
そんな考えはおやめなさい。
弱肉強食の自由主義の世界では、通用しません。
できることは自分が強くなり大樹となるしかありません。


本日の疑問

親方日の丸といいながら、そういう人々が一番日の丸が嫌いなようだ。
 不思議なこともあるものだ。

私は日本の国を良くするために・・
わしは日の丸が大好きじゃがなあ〜



ホンジャマカ様からお便りを頂きました(07.07.12)
親方日の丸
うちの爺さんは国鉄で駅長までやったそうだが爺さんの身内で国鉄出身者はいなかったそうです。
何人かに聞いただけでネット上に当たり前のように記載することでそれが本当の事実だと誤解を招く恐れのあることや危害を受ける恐れがあることを理解した上で理路整然と述べて欲しいと思います。
まぁ最近の社会保険庁などをみているとがっかりするようなことはたくさんありますし、昔の国鉄がここで記載してあるような事実が少なからずあったのではないかと思うことはありますけれど・・・

ホンジャマカ様 お便りありがとうございます。
実は私は国鉄を目指したのは1度ならず2度あったのです。
といってもはじめは中学を卒業するときで私個人の希望ではありませんでした。当時国鉄では中卒を採用して教育する学校があったのです。私の父親は私の教育費が大変だったので高校ではなく、そこに入れようとしたのです。でも入れませんでした。
国鉄の学校に入れなかった私は地元の高校に一番で入学しました。一番といってもまあ田舎の高校ですから自慢にはなりません。といっても国鉄の学校を受けたのもみな田舎の子供たちだったのですがね。
そして二度目の高校を出るときははじめから受験をあきらめました。
ここに書いていることは 何人かに聞いただけ ではなく、私個人の体験談でございます。
ただ還暦目前となった今、国鉄に行かなくてよかったというのが本音でございます。仕事に身を入れず政治闘争に明け暮れたあげくに大リストラなんて私にとって耐えられなかったと思います。
ホンジャマカ様のお爺様が国鉄マンであって、かつ身内に国鉄出身者がいなかったというのは事実であろうと思います。
しかしひとつあなた様が知っておかないといけないことがあります。
国鉄は敗戦後日本復興のまさに大黒柱でした。そして多くの若者・・戦争から帰ってきた兵士が多かった・・を採用したのです。私の知り合いにも戦地から戻ってきて国鉄に入った方はたくさんいます。お爺様もそういった時期ではないかと思います。
しかし私が就職しようとした昭和40年頃になるともう国鉄はそうではなくなったのです。
なお、私は新生JRが国鉄と大きく変わったことを評価しておりますことを改めて申し上げておきます。


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