三題話 電話、ファクシミリ、宅配便 2005.07.09
1980年以前の昔の話である。
図面を大至急取引先に送る必要が生じた。こちらは東北、送り先は関西だった。
一体どうしたらいいんだ!?
東北新幹線の盛岡大宮間が暫定開業したのが1982年である。東京まで在来線で行ってそこから先新幹線を使っても関西までは1泊二日の大事である。 oioi.gif
担当していた私は頭を抱えた。
庶務の女性が「図面を電話回線で送る機械があると聞いたことがあります。電話局にあるそうですよ。」と教えてくれた。
まだNTTになる前、電電公社と言っていた時代である。私はさっそく図面を持って電話局に行った。
「この図面を関西まで送りたいのですが、お宅に図面を送る機械があると聞きましたが送っていただけませんか?送り先に近い電話局まで送ってもらえば、相手にそこまで取りに来てもらいます。」
「私どもには写真電送する機械はありますが、そういった仕事を請け負っておりません。」
もう取り付く島がない。話はオシマイである。
私はとぼとぼと引き返した。

会社に戻る途中、「翌日配達」というのぼりを見かけた。
宅急便である。
まあ、話だけでもしてみるかと店に入った。
「図面を関西まで送りたいけど、大至急届けてくれるか?」
「私どもでは信書や図面を送ることはできません。図面を小さな箱に入れて、資料とか書籍という名称で依頼してください。そしたら届けます。」
ぇ!そりゃありがたい!
私は早速会社に戻り、箱に入れ出荷を頼んだ。もちろん目方は箱の分しかない。
翌日、送付先から「図面いただきました。」という電話があった。
宅急便恐るべし!なんて思ったわけではない。
電電公社の文明の利器も運用が悪ければ役に立たず、昔からのテクノロジーであってもシステムが良ければものすごいものだ!なんて思ったわけでもない。
その時は、「ああ、ありがたい、仕事が達成できた」とホッとしたに過ぎない。
そんなことを、先日(05/07/01)宅配便生みの親、ヤマト運輸の元社長さんが亡くなったという報道を見て思い出した。

私は過去よりここにでたらめというか創作を書いたことは一切ない。住所、氏名は伏せているがすべて事実ばかりである。

今でこそファクシミリなんてのは、どこの会社でも家庭でさえ備えているだろうが、当時は最新技術であり、一般の会社にはなかった。
しかし、電電公社というのは商売がへただったと言ってよいだろう。あの時、なぜわたしの願いを聞かなかったのか不思議でならない。
これは郵便を民営化することが日本再生の要(かなめ)となるような気がしてきたぞ。

昔は情報を遠くに伝えるということが本当に困難だった。
私の子供の頃は電話というものは町内に1台とか2台しかなかった。呼び出しという番号表記がふつうだった。そんなことを以前書いた。

呼び出しとは自分の家には電話がないが、近所にお住まいで電話を持っている方の番号を書くことである。そこに電話してもらえば呼んでもらえるということ。近所付き合いが悪ければ呼んでもらえない。
当然ながら常日頃は物を贈ったりしておかねばならない。 

電話もダイヤル式ではない。受話器を取り上げると電話局の交換手がでた。
「何番にお願いします」というと交換手は伸び縮みするコードを相手の番号のところに差し込んでつないでくれるのだ。 そのような交換手の仕事を小学校の遠足で見学したことがある。

まさか、私の時代には話すのと耳に当てるのが別になっていたとか、電話をかけるときハンドルをぐるぐると回したということはない。そういったものはもっと昔の出来事である。

いつしか電話器はダイヤル式になり、交換手は消滅した。彼女たちはどのような仕事に変わったのだろう?まさか全員失業したのではないと思う。

私が家内と結婚前に付き合っていた頃の話である。家内の家は農家でふつうの電話ではなく、農集電話(地域集団電話)というものであった。これは仕組みが良く分からないが、何軒かで1本の回線を共用するものでどこかが使っていると他の家は使えないし、秘話装置がないと他人の話を傍聴することができるという怪しげなものだった。1本の回線を複数の人が使うのであるからほとんどいつも話中である。急病人が出たり火事になったりすると・・・大変困る。
私は秘密の話をすることはなかったが(本当です)ほとんどいつも話中であるために付き合っていた家内と電話で話をすることができなかった。家内の家では農集電話を止めて、ふつうの電話にしたいと電電公社に申請していたのだが、ダメという一声であったそうな・・・

そんなことを考えると、郵便事業は民営化が望ましい気がしてきた。 

今では農集電話など見つけようにも見つけられない。更には固定電話が携帯電話の普及によって減少しているという。パラダイムはまったく変わってしまったのだ。

私の娘が大学生の頃はまだポケベル全盛であった。ポケベルでは番号をイロハに読み替えたりするのがはやった。暗号もどきの読み替えが書いてある冊子を見たことがある。
娘が大学生の間に大学生の通信手段がポケベルからPHSに変わった。PHSの着信音が気に入らない人は着メロを手で打っていた。着メロに和音が使えるようになったとき娘は感動したそうである。
そして娘が大学生の間にPHSから携帯電話に進化した。電話機の表示板もモノクロ液晶からカラー液晶となった。そして着メロも手で打つのではなくダウンロードする時代になった。

携帯もインターネットも日常のものである現在では想像もつかないだろうが、遠くにいる人と話をするあるいは図面一枚送るという情報伝達が非常に困難な時代はほんの数十年前であったのである。
そしていまでも携帯が使えない北朝鮮もあるし、インターネットはあっても監視の目が光っている中国や政府の方針に反するウェブサイトは閉鎖されてしまう韓国という国もある。

そんなことを考えると電話機ひとつ考えても時代の変化はものすごいものがあり、私たちの自由もそういった小道具によって確保されていると思う。
以前、有事法制論議のときに非常時になったら携帯電話が使えなくなるから有事法制反対!という平和ボケ(あるいは確信的サヨク)の発言があったが、それは大いに違うと思う。
携帯電話の自由を守るために有事法制が必要であり、侵略を守るために有事法制が必要であると思う。

他方、人権擁護法なんて美名をまとう法律で思想信条の自由を失ってはならないのだ。
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