勤務評定 2005.07.18
えー、今年は京都議定書が成立したことを受けて、わが日本政府はさかんに 省エネ! なんて叫んでおります。
いえ、けっこうなことであります。
koizumi.gif みなさんご存じのように、内閣総理大臣小泉さん、環境省大臣小池さんが筆頭になってチームマイナス6パーセントなんて運動をしております。新聞広告も何度も出しております。
実を言いまして、オバQジジイもチームマイナス6パーセントメンバーに登録しているのであります。
ぜひみなさまもチームマイナス6パーセントに登録して、省エネ運動推進、そしてついでに自虐史観追放にご協力くださいね。
さて、チームマイナス6パーセントのメンバーになりますと、ネクタイなんてダサイのをぶらさげてはいけません。

小泉さんを見よ! 岡田さんを見よ、
その違いは何か? ネクタイである。

日本の西の方にある名もない国の、ノムヒョン大統領も省エネとしてノーネクタイ運動も真似し始めたそうである。
ノーネクタイを薦めるのはいいのですが、それを自分たちのオリジナルといっているところがいじらしいですね 
「ドラエもん」も「あしたのジョー」もなんでもかんでも日本のまねをする国と聞いていましたが・・・

こんなバッジをつけてます さてノーネクタイですと、私なんかは首が絞められる気持ちにもならず快適なんですが、胸元が寂しいという方がいるらしい。それと、お客様とお会いするには チョット という方もいるらしい。
私はよそ様の会社にお伺いしても、「チームマイナス6%に参加しておりますのでネクタイをしてません」と言えばかえって話が弾んだりするのではと思いますが・・・まあ、日本的気遣いでありましょう。
で、わが日本政府・・・金儲けの業者かもしれない・・・はそんな律儀なサラリーマンのためにクリップバッジを考えてくれました。

ことここに至ってもまだネクタイにこだわるあたり・・・・悲しいサラリーマンの性といいましょうか、身につまされる思いであります。 
ほかの会社の方とお会いすると、みながみなネクタイの形をしたクリップをつけているのを見ると笑ってしまいます。まあその気持ちを汲んで、気は心といっておきましょう。

会う人、会う人みなさん、そんなクリップをつけているのを見て、大昔のことを思い出してしまいました。






あれは1950年代末頃だったでしょうか? 私が小学校上級生のときに、学校の先生がみな「勤務評定反対!」なんてリボンをつけて息巻いていた時期がありました。
思い返すと、それまで学校の先生というのはまっとうな人が多かったのですが、この時期を境にサヨクが増えていったような気がします。
「先生、勤務評定ってなんだい?」と聞きますと、
「先生の働き具合で月給を上げたり下げたりすることなんだ」と言います。
「なんや、うちのトーチャンと同じじゃないか。うちのトーチャンは一生懸命働くから人よりお金を多くもらっていると言ってぞ」
「先生も一生懸命働けば月給増えていいなあ」
我がセンコーは困ったような顔をしておりました。
実を言いまして、このセンコーいまだに存命で田舎で暮らしております。

私のつましい願いでございますが、ぜひこやつが生きている間に会って言いたいことがあります。
それは、ただ次の一言であります。
「俺の知らないことであんたの知っていることがあるかい」
この言葉、ロバートハインラインの「メトセラの子ら」(当初は「地球脱出」というタイトルだったような気がする)のスリップスティック(計算尺)ルビーの言葉と知ってたらあなたはすごい 

だいたい、人間はなにごとも得手・不得手があるのは当然です。ひとより得意で上手にできるなら評価されて当然ではないでしょうか?
学校で勉強ができれば誉められて、走るのが速ければ賞を取る。それは当然のことです。
美談として言われますが、学校で徒競走で途中誰かがころんだら他のみなが起き上がるのを待っていてそれからみなで同時にゴールしたなんて話を聞くと・・・オメーラ、アフォか? としかいいようがありません。
そんな子供を育てた先生、親御さん、大いに反省しなさい。
もっともそんな親に限って、トーダイ一直線だったりして 

私は正直申し上げるが、決して会社では昇進しなかった。あげくに最終的にはリストラされてしまったくちである。
私と高卒で同期で入った男がいるが、そいつは要領が良かった。仲間で酒を飲もうと誘ったときに、「今日は都合がある」と言って断り、その数分後上司から「今夜どうや?」と聞かれたときに「いいですね、ご一緒します」なんて調子をこいていた。
実を言って私はこの男を悪くは思っていないのだ。彼は彼なりに一生懸命に努力して上によい顔をしていたと思う。その後彼は昇進して私たちを使う身分になった。それでも良いと思う。
その会社の中では彼は大いに努力してその成果を出したのだ。私がその価値観を選ばなかったと言うだけである。そして最終的に片や管理職、片やリストラ組みとなったということだ。

会社は社員を会社の論理で評価し、学校は児童をどのくらい学んだかで評価する。
運動会では、早く走った者、遠くまで跳んだ者、より力のあるものを称える。
先生はその教え方によって評価する。
ダメ先生は辞めてもらう。良い先生には高い月給をだす。
何もおかしいことはない。世の中というのはそういう風にできているのだ。
もし一生懸命に生徒を教えている先生と、エッチなことをしている先生と、サヨク運動ばかりしている先生がみな同じ月給をもらったら、それは道理に合っていないのである。



本日のまとめ

先生は正しく評価される権利を持っている。
学問を教える先生は高く評価されなければ人権無視である。




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