To blog, or not to blog 2006.02.17

最近は超多忙である。出張も多く、帰宅しても夜遅く、ホームページの更新もままなりません。
もちろん、私の作るホームページは全然凝っておりませんし、むずかしいテクニックなど使っておりません。美的センスもなく、音楽も、画像が動くような小細工もありません。

gamen2.gif でも、やはりページをひとつ作るとなるとけっこう大変です。文章を書くだけでも2000字超となりますと、私がキーボードを打つのが早いとはいえ1時間はかかります。そして、文字だけでは寂しいといいますか殺風景なので絵を入れたり、テーブルを使って形よく見せたりしようとすると、都合2時間や3時間はかかってしまいます。
全然、形良くないぞ!
なんておっしゃらないでくださいな 

さて、最近はブログが大はやりです。というか従来htmでホームページを作っていた方々もほとんどがブログに移行してしまいました。
わが師、KABU先生もホームページは閉鎖していないがもはやブログへの案内としての機能しかありません。
西尾幹二のインターネット日録もブログです。有名な朝日歌壇鑑賞会もブログに移行してしまいました。
ブログはホームページに比べるとレイアウトなど考えずに書くことができるので、負担が少なく毎日思いをつづることができるそうであります。
「できるそうだ」というのは、まだ私はブログを開設したことがないからです。
では同じことを社会に発言するのならブログの方がはるかに優れている表現方法であるということになる。
ならば、私は手間ひまのかかるホームページをやめて、すぐにブログに変身を図るべきだろうか?
これが本日の論点である。

話はガラッと変る。
私と同年輩で現場で働いていた方なら、シーケンスというのをご存じだろう。
リレーとかリミットスイッチ、あるいはタイマーといったわずかな種類の要素で回路を組み、けっこう複雑な自動制御をさせることができた。70年代半ば、それらの要素(部品)はけっこうな値段したので、同じ動作をさせるにも回路を工夫して、使う部品を少しでも少なくし安く上げようと努力したものである。
シーケンスを組むのに何を勉強したか?
想像もつかないかもしれないが、それは論理学である。
いつしかシーケンサーというのが現れた。それは論理回路を組むのに、物理的にタイマーとかリレーを組むのではなく、LCDの画面上でバーチャルに素子を組み合わせると、魔法の箱の中で同じ回路が組まれるという文明の利器であった。リレーでもタイマーでも何個でも使えるのである。もうリレーをひとつでも減らして安くしようなどという、けなげというか、けちな考えは不要となったのだ。
シーケンサーが現れたとき、我々はみな喜んで迎えたとかいえば、実は複雑だった。職人的技量で作っていたシーケンスの回路がだれでも組める、無駄や冗長があっても気にしなくていいということが、心の底から歓迎できなかったのが本音である。とはいえ、便利なものは便利であって、やがてシーケンサーが当たり前となり、シーケンスの技能は忘却のかなたとなったのである。

似たようなもので8ビットパソコンを思い出す。8ビットパソコンはメモリーを64キロバイトしか扱えなかった。
お間違えないように! メガバイトではない、キロバイトである。
たったこれだけのメモリーでプログラムもデータも扱わなければならないのだから、BASICでプログラムを組むのも工夫した。
今考えると、あのような仕様で会社の仕事をさせようとしたのは無茶としか思えない。
さて、その後CPUも16ビット、32ビットとなり、フレキシブルディスクどころかハードディスクが付いているのは当たり前、扱えるメモリー空間は事実上無限となった今、8ビット時代の工夫を懐かしく思い返すのは私だけだろうか?

わが師、<A HREF="http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba" TARGET=NEW>KABU先生</A>もホームページは閉鎖していないがもはやブログへの案内としての機能しかありません。<Br>
<A HREF="http://nitiroku-nishio.jp/blog/" TARGET="NEW">西尾幹二のインターネット日録</A>もブログです。有名な<A HREF="http://f3.aaa.livedoor.jp/~asapy/" TARGET="NEW">朝日歌壇鑑賞会</A>もブログに移行してしまいました。<Br>
そして実は私はホームページにも同じ思いを持っているのである。私はホームページで自分の思いを発信するということが目的であることはもちろんであるが、へたは承知だが自分の手でタグを打ってホームページを作るということが楽しみであるのだ。
ブログにすれば簡単に作れるが作る楽しみはなくなってしまう。
ホームページビルダーを使わないというのも、お金だけの問題ではない。
数日酒をやめればホームページビルダーは買えそうだ。

そしてもうひとつの問題がある。
私はこのホームページに掲示板を設けていない。多くの方からお便りを頂く。常連になられた方、一見さん、どなたからのお便りも歓迎する。
しかし、同時にたくさんの出会い系やそのものズバリのエッチメールもいただく。また個人を非難するお便りも頂く。私はいったん頂いたメールを拝見し、アップするか否か、掲載せずに直接お便りするかを判断している。
ブログで毎日送信されるエッチメールや誹謗中傷の投稿がフィルターなしにそのままアップされては困る。
そういった心配がある。

しかし、立ち止まって考えてみれば、私の書いている程度のコンテンツをひとさまにお見せするまでもないことのような気もする。
私のホームページの目的、日本を愛する心を広めるということが、はたしてこのホームページ開設から4年半、いかなる効果があったのか?前進があったのか?定かではない。


本日の逡巡
To blog, or not to blog
おばQもハムレットになった。

    ご注意
  1. Blogは名詞で動詞じゃないなんてコメントいただくかもしれませんが、インターネットの英英辞典を引いたら、blogというのはもはやれっきとした動詞として、変化形まで載っておりました。
    ブロガーという言葉もありますので間違いないでしょう。
  2. 形だけでもブログに似せてみました。いかがでしょうか?




あらま様からお便りを頂きました(06.02.18)
ブログについて
佐為さま あらまです
小生もネット接続をして先ず最初にしたことは、ホームページをもつことでした。
しかし、すぐ「荒らし」につぶされてしまい、根っからの無精な小生でありますから、回復しようとは思わず、様子を見ておりました。
すると、ブログがビックバンのような広がりを見せました。
その気軽さから、テーマ別に複数のブログをもって、楽しんでいるひともいるようですね。
なかには、ブログごとにハンドルネームを変えて楽しんでいる人もいます。
小生も最初は、複数のハンドルネームを持つことには、多重人格をもつようなもので、違和感がありました。
しかし、割り切ってしまうと、却っていろいろな自分が発見できて、面白いものです。もちろん、小生もその一人であります。
ところでブログには、「トラックバック」機能なんてものもありまして、新たな広がりも楽しめますね。
また、訪問者にクリックしてもらうと、お小遣いが戴けるなんてのもあるようですね。
反面、砂漠の砂粒の数ほどブログはあるようですから、埋没してしまう恐れは、確かにあると思います。
また、多くのブログには、いまだ図表の制限があり、そうした意味でも佐為さまのHPがブログに移行されることは、すこし勿体ない気がします。
それにしましても、佐為さまはスゴイですね。そんなに短時間で更新の処理がおできになるとは、羨ましい限りであります。
それ以上に、あのようなすばらしい文章が次々と湧き出てくるとは、重ねて羨ましい限りであります。
あらま様、いつもご指導ありがとうございます。
私がみなさまのお便りを手作業で行っている作業をブログは自動的にしてくれるのですから楽ですね。
というか一般的な掲示板しかなかったときに、私は手作業で次世代のコミュニケーションを実現していたともいえますね。 ああ!なんと私は先進的であったのだろう。
などとバカを語っていてもしょうがありません。
本当を言って、いつかブログに切り替えなければと思いつつ、惰性で現状に甘んじているのです。
もっと先進的でなければ・・・
おっと、スゴイとか羨ましい、すばらしい文章などと誉めてはいけません。
うれしくなってしまうではないですか。


Yosh師からお便りを頂きました(06.02.21)
とうた様、
私の立場は絶対にBlog化反対であります。
Blogはいわゆる日記形式のものなので、とうた様の論説はそこらのたわ言ではないのでしょう。
とうた様いろんな論説をなされていてもそれは、その日だけに読まれて捨てられるものではない、とうた様の論説は重要な問題で私達を啓蒙なされています、初めてアクセスしても、毎日でもとうた様が今までなされたことは何時でも役にたつているのです。それがあのアクセス数に表れているのです。それがとうた様にはご理解していただけますでしょうか。
ですから反対なのです。
Yosh
Yosh様 佐為です。
ありがたいお言葉、感謝
ご期待に恥じぬよう努めます。


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