おとなとこども 2006.11.19

よく市民運動とか平和運動なんかのデモというと、参加者が子供を連れてくる。
政治に関わるさまざまな運動でも、子供の意見とかいうのを持ち出してくる団体がある。
あるいは自分の意思か誰かにそそのかされてか、政治、特に話題となっている内政・外交問題について自治体や首相官邸に手紙を出したりFAXを送ったりするこどももいる。
06年末、いままさに教育基本法が改正されようとしているが、改正反対というFAXを首相官邸に送ったこどもがいて、それを称える大人がいるという。
ここでは「こども」とは参政権を持たない未成年者と定義する。
te2.gif私は反戦運動のデモに参加したこどもたちがピースサインなどをしているのをテレビが映すと反吐が出る。子供の罪ではない。連れて行く大人が政治というものを、権利と義務というものを理解していない。あるいは知っていて反則技を使っているのだろう。

私は政治運動にこどもを使うのは良くないことだと考えている。
なぜ子供が政治運動に関わるのが悪いことか、それを説明する。

大人と子供の違いは何か?
いろいろな定義があるだろう。
死というものを理解し、それを受け入れたものが大人であるという定義をみたことがある。
死は生物として避けられない。意識を持つ人間にとっての最大の怖れは死であろうし、そして死というものを受け入れたものが大人であると言っても間違いではないと思う。
もっとも北朝鮮の金日成などは、死ぬまで死を受け入れることができず、特別な研究所を作り不死の研究をさせていたと聞く。
まあ、そう哲学的で高尚な論ではなく、私は責任と権利というもっとも普遍的な区別が大人とこどもの違いであるといいたい。

少年法というのがある。
少年法 第一条  この法律は、少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、少年及び少年の福祉を害する成人の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。
まさにこれだ。 少年とは成人ではないということ、そして成人ではないということは、一人前に扱われないということである。それを「少年は保護されている」と理解するのは勘違いである。「少年は一人前とみなされていない」ということである。
未成年は選挙権を持たない。それは当然だ、責任を負わないのだから。
選挙というのは権利でもあり義務でもあるという論はちょっと置いておく
未成年は契約などの行為が限定される。
未成年は結婚するのに保護者の同意がいる。
昔日本では成人になるのと、兵役の義務があるのは同意であった。
戦争に行く義務があるから選挙権があるという取引は正当だと思う。
戦争に行かない者に選挙権を与えないと決めたとき、それを不当だという論理はないだろう。日本では敗戦後、男女平等ということで女性も選挙権を与えられたが男性も兵役の義務がないのだからバランスは取れている。
古く、ギリシア、ローマ時代から兵役は市民の義務であり、それが唯一の税であった。(塩野七実)


市民運動と称している方々は、従軍する覚悟があるのだろうか?
heisi.gif 女性兵士が第一線で戦ったイスラエルは女性参政権があるだけでなく、政治に大いに進出しているということは無縁ではないし、それは正当なことだろう。自分の命がかかった決定について参加できなくては民主主義ではない。
但し、現役の軍人及び兵役に就く可能性のある人は、戦争の決定に関わることはできないから参政権がないとする考えもある。それも一理ある。
その場合は兵役を務めた人のみが参政権があるという理屈になる。ただしこれは、大人とこどもという論とは関係ない。

おとなが一人前として認められた者であるに対して、こどもというのは一人前ではなく、半人前でもない。子供は責任がなく要するに第二階級なのだ。
大人と子供というのは決定的に違い、属するカテゴリーが異なるのです。
大人は決定する権利を持ち、その結果責任を負う。間違ってもこどもの自主性とか子供の考えを尊重するなどという発想をしてはならない。そういう発想をする大人は大人の責任を自覚しておらず、そういう発想をするこどもはまっとうな教育を受けていないのである。

権利義務

大人は、すべての決定について「口をはさむな」といい、振る舞いについては「子供たちよ、わしらを見習え」と言えばよいのです。
教育基本法をはじめとする政治や社会問題の論議は大人のみが参加できるのです。その問題について賛成であろうと反対であろうと、どちら側のおとなもこのスタンスを忘れては困ります。
こどもはそういうおとなの教育、しつけをうけて、早く大人になりたい、そして義務を負っても権利を行使したいと願うのではないでしょうか?

私が理屈とか理想論を語っているとお考えの方、それは違う。
私はウソをつかないし、私の行為と発言にいかほどの相違もない。
例をあげよう。
私は娘、息子が未成年のときは、門限どころか行き先をちゃんと言わないとどこに行くのも許さなかった。そういうのを聞いて、「ひどい親ね」とか「子供の人権無視だわ」なんてお考えのあなた、あなたは間違っている。アルバイトであろうと遊びであろうと子供のしでかしたことの責任は親にあるのだ。
責任を負うならば、行動を決める権利を親が持つのは当然である。
bride.gif
しかし、成人してから・・正確に言えば大学に入った以降なのだが・・私はこどもたちに一切ああせい、こうせいと言ったことはない。
就職先は好きに決めろ、結婚相手も好きに決めろ、会社を辞めるのも好きに決めろ、すべてにわたって干渉していない。というかコメントもアドバイスさえしない。
なぜって! 成人なのだから、後見人は不要であろう。
すべては成人しおとなになった娘、息子が決めればよいことであり、その結果責任は成人した娘、息子が負うのは当然である。
大学を出るまで面倒を見たのだから、結婚費用を自分が持つのも当たり前、借金しようが詐欺に会おうが一切関わりはありません。
我が家にはまだオレオレ詐欺、振り込め詐欺の電話が来たことがない。
しかし、もし来たら、それが真実であろうと詐欺であろうと、「娘も息子も成人しているのですから、我が家には関係ありません」と応えることにしている。
もちろん、娘、息子が困ったことがあればそれなりにお手伝いをしたいと思うのは親心であるが、私の娘、息子は親の援助を潔しとしないのではなかろうか・・・このへんになると想像の域であるが

この駄文は、KABU先生やもっちーさんが、「教育基本法改正反対運動に未成年をだしに使うな」と叫んでいるので、その応援に書いた。




あらま様からお便りを頂きました(06.11.19)
あらまです
「おとなとこども」。同意です。
小生がPTA役員だった頃、父母会のことを「保護者会」といっておりました。
つまり、この場合の子供とは保護される立場。
黙って、おとなの言うことを聞いていればよいのである。
そして、おとなはキッチリと子供を保護する。
それが、おとなとこどもの関係であると思いますよ。

あらま様、毎度ありがとうございます。
私の持論なのですが、憲法のところでも書いたことがありますが、学校教育について意見を述べることができるのは、国民の総体であると思っております。
こどもがない人でも、既にこどもが成人になった人でも、学校教育に関わることは国民の権利であり、義務であると思います。
PTAは父母会でもなく、保護者会でもありません。
良い国民を育てるために、国民、市民が参加するものであると考えています。
国籍所有者とだめを押しておきましょう。
こどもたちは決して、一部の教員の私物ではなく、偏った教育を受けなくてはならないなんていうおかしなことを排除しなくてはなりません。
この騒ぎもその一助となればと思います。
とはいえ、民主党は大変だ大変だと騒いでいて、困ります。


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