20年後 2007.06.23

「20年後」というお話を知っているだろうか?
もう100年も前のオーヘンリーのショートショートである。
一人の男が道ばたにズット立っている。パトロールの警官が通りかかり「何をしているんだ」と質問する。男は「若いとき、友達と生きていれば20年後にここで会おうと約束したんだ。今日がその日で遠くから来てやつが来るのを待っているのさ」という。
その続きは原本を読んでいただくとして、そういうシチュエーションてありそうですよね、

実は私もオーヘンリーの20年後ズバリの経験があります。それもダブルで
私は小学5年で学校を変わりました。引っ越したわけではありません。何度も書いていますが、昔は学校なんてひとつの町にひとつかふたつしかありません。町はずれに住んでいればランドセルを背負って何キロもの道を歩かなくてはなりませんでした。そしてその小学校というのは一クラス50人ないし60人もいて、一学年6クラスもあったのです。だから全校児童は2000人前後いたのです。今では想像もつかないでしょう。大勢いるのでクラスで一人二人休んでも気がつかない。不登校なんて先生が気がつくから不登校であって、気がつかなければ不登校でありません。
出席?高校になるまで出席を取るなんて聞いたことありませんでした。
昭和30年以降になると、日本も豊かになってきていくつも小学校が作られるようになり、子供たちは近くの学校に通うことができるようになりました。近くといっても4キロ歩くのが2キロになったという程度のことです。
説明が長くなりました。
私が結婚して、地方都市の団地に住むようになりました。休日に団地内を歩いているとちょっと見覚えがある感じの人から「佐為さんではないですか」と言われました。「そうです」と応えますと「小学4年まで一緒だった○○です」言います。彼も所帯を持ってその団地に住んでいたのです。
確か30歳のときでしたから、小学5年で転校してから19年後でしょうか。そのとき私は会社員、彼は大学を出て地方公務員でした。まあお互いに悪い事をせずに、一生懸命働いて家庭を持ったということでしょう。
お互いにまもなくそこを引越してそれっきりとなりました。
それから20年たったとき、私が50歳位のときです。私が工場の環境担当をしていて公害に関する講演会に出かけました。なんと講演したのはあの同級生でした。そのときはもう役所のエライサンになっていて、我々下々に公害を出さないようしっかり環境管理をせよというありがたいお話をされたのであります。講演会の後にご挨拶しました。お互いに歳を取ったものだと話をして分かれました。
それっきりなのですが、あと10年したらまたどこかで会うのではないかという気がします。だって二度あることは三度あるといいますから。
想像ですが、誰かのお葬式とか、私の出身地のセレモニーなどではないでしょうか?それとも県知事になった彼と昔の同級生が涙の対面というテレビ番組でしょうか?
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エッ、冥土ですって?

そりゃ冥土でなら間違いなく会えるでしょう。
でも冥土よりはメイド喫茶で会いたいものと

私が若い頃、タイムカプセルというのが大流行で、小学校の卒業式などでそれぞれの記念品を壷などに入れて校庭に埋めるのがよく報道されていました。私はそんなことをした世代よりは10年上になります。
今ならタイムカプセルを埋めると不法投棄とか土壌汚染と言われるかもしれません 
果たして、20年後に同級生が集まって掘り出して、どんな話になるのでしょうか?
それは埋めたものとか、保存状態とは関係なく、埋めたときのお互いの付き合いの親しさとその後の苦労によって楽しいか、つまらないか決まるのではないでしょうか?
昔の仲間が何年も経ってから会うことの重みは、結局 現在の付き合いの意味によって決まるのは間違いない。

私がネットの知り合いにオフラインでお会いしたのはKABU先生がはじめです。そして、先生のお導きびちで提督やたぬきに会ったのは2002年
はじめてのオフ会で集まった時、皆が感じたのは、なぜ我々がほとんど同時にネットにおいて活動を開始したのか?ということでした。

第一回オフ会で桃園の誓いをしたメンバー
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海の防人さん
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相方のたぬき
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KABU先生
おばQこと佐為
私です
なぜ、ほとんど同時に自虐史観や反日運動に抗議する行動を開始したのか?
偶然か、社会がそれを求めたのか?
機が熟したのだろうか?
もう韓国や中国の根拠のない暴言に耐え切れなくなったのか?
サヨクの捏造にこらえきれなくなったのだろうか?
あれから既に5年が経つ。日本は良くなっただろうか?などという話はおいといて
今後10年後、20年後と・・・番町皿屋敷でも金色夜叉でもないが、遠い将来を想像すると

10年後に靖国で提督、たぬき、KABU先生と冷酒を飲む様子を思い描く。
そのとき、日本からサヨク勢力が一掃されているかどうかはわからない。自虐史観がおおやけには口にできないようになっているかもわからない。
あるいはその逆で、日本が独立国でなくなっている可能性さえある。なにしろ中国は日本を飲み込もうとしているし、今現在の日本人はまったく無邪気で無防備であるから
しかし、そのときの日本がどのような状況であっても、私は満足だろう。
謀略、扇動、捏造報道などに対して戦ったつわものどもの末席にいたことを誇りに思うだろう。
それが自分の人生を生きてきた価値であると信じたい。

そしてその次の20年後まで生きているとは思えないが、仮にみな健在であったなら、90歳になった4人で、日本人と日本という国について語り合いたいと思う。

ノルマンジーの海岸に毎年6月集まる当時の将兵のように、昔を懐かしむだろう。
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D-dayは6月6日です。若干時期で遅れてすみません。



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木下様からお便りを頂きました(07.06.25)
あえて突っ込みを入れますが、
でも冥土よりはメイド喫茶で会いたいものと

メイド喫茶にバニーちゃんはいらっしゃいません。
お酒などとんでもない。捕まっちゃいます。

・・・・・ところで私の記憶違いかもしれませんが、佐為師匠様は確か東北地方にお住まいではなかったでしょうか?東北にもメイド喫茶が進出しましたか?

古きよき、なぜかナポリタンがメニューにあって、ソファがくたびれてて、近所のおじさんがスポーツ新聞を読んでるような喫茶店を応援しようじゃありませんか! 
こういう喫茶店がわが故郷にも少なくなり嘆いていたら、東京で見つけて喜んでおります。 

木下様 突っ込みありがとうございます。
エッツ!メイド喫茶では酒がないんでございますか!
じゃあ、もう行かなくていいです。

それから私が東北に住んでいたのは5年前までです。
今は都会人と呼んでください。
東京人でもいいです。