関心ごと 2007.09.01

1週間も出張で出歩いていた。
のんびりした旅ではなく、朝は日の出、夜更けてからホテルに着くというスケジュールでかなり強行軍である。もちろん日中は仕事である。そしてネットにアクセスしない日々が続くと、日本人よしっかりせよと語らねばならないという気が薄れ、というか自分がウェブサイトを開設していることさえ忘れてしまう。

出張の電車の中を見渡せば、日経新聞とか朝日を読んでいる方もいるが、彼らの関心ごとは株価やプロ野球あるいはゴルフの勝敗のようである。新聞や週刊誌を真剣に読んでいる人はいても、日本の行く末とか政治を真剣に考えている人はいるようには思えない。
いや、読んでいる(見ている?)人の顔つきを観ていると、真剣に政治を考えるのではなく、政治を女優のスキャンダルと同じレベルの問題としかとらえていないような気がするのは私だけであろうか?
確かに中国の軍事力とか北朝鮮の脅威などを考えめぐらすよりも、私から見たら子供同然の歌手のできちゃった婚などを興味本位で読んでいる方が気が楽であろうし、思い悩むこともあるまい。
自分もそういう思考回路になることはたやすいことであるし、そうなりつつあるように感じた。

はたして日本人の平均的な政治的関心、外交感覚、知識欲求レベルといったものはどのあたりのあるのだろうか?
国民年金を大騒ぎして、その真の責任を考えもせずすべての責任が首相にあると騒ぐマスコミ、国民を見るとまあ、あまり知的レベルは高くないようで、その中立性もまっとうではないようだ。
麻生さんがアルツハイマーという表現をしたのを、鬼の首を取ったように大騒ぎして批判するのに対して、民主党の小沢さんが脳死状態といったことを問題としないマスコミであるからその偏向さ、カタヨリはものすごいのである。
小沢一郎麻生太郎
脳死状態アルツハイマー

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その政治的偏向、ダブルスタンダードに気がつかない国民なら、日本がそれに見合った国家になるのは理の当然である。中国におもねり左に偏った報道機関が語ることを鵜呑みにして、できちゃった婚や相撲取りの病気がどうこうと騒いでいる国民なら国は亡ぶべきなのかもしれない。
私が真剣に考えて訴えようとすることが、世間では変わり者で忌み嫌われるだけなのかという気がしてきました。
いえ、大いにそう思えてきたのです。

しかし、敵が百万いようともではないが、この国は私の国だし、私はこの国を捨てることはできない。
難儀なことだが自分の国を失いたくなければ、自分の信じることを叫び続けるしかないのだろう。

帰宅してアクセス数を見ると、更新もないのに多くの方がお見えになっている。ありがたいことだ。
私が弱気になろうと、私の考えが変わろうと、日本よまっとうになってほしいと考えていらっしゃる方はいるのだ。
いや、そう信じたい。

久しぶりに「さて書くぞ」とパソコンの前に座っても、頭にアイデアは浮かんでもキーボードのミスタッチは極端に多く文章にならない。
みなさんも経験があるでしょうが、ブラインドタッチが得意と思ってらっしゃる方でも、数日キーボードを触っていないと、キーの位置を指が忘れてしまいます。

何も考えずに過ごすのが幸せなのか? 苦しみ悩むのが高尚なことなのか?
来週の出張で考えてきましょう。



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