臨機応変 2007.09.23

私はかなり計画的な人間である。仕事でも家庭でも個人的にも、目標を実現するために長期と短期の計画をたて、粛々と実行するというスタイルである。付け加えるなら立てた計画は必ず実行する。
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私の悪口を言っ
てはいけません
対する家内は、まったく計画的でないタイプで、行き当たりばったりという人生である。
具体例をあげると、朝でがけに今日の晩飯にはカレーにしようなどと話していても、夜会社から帰ってくると出てくるのは蕎麦だったり、八宝菜だったり、事前に話していたものが出てくることは決してない。家内は私の意表をつくのが生きがいなのではないだろうか。

とはいえ、結婚して30数年、事前に話したものが出てこないということは既に私は学習した。だからもう驚くことはない。
しかし、実際はその程度ではないのだ。家内が「ビールを飲みなさい」なんて言いながら目の前に出してくるのはお酒の紙パックだったりする。そのようなこまかいこと(?)を気にしていては我が家では生きていけない。
ひょっとして、これはボケ始めの兆候だろうか!?

あるいは、たまの休日にどこかに行こうかというときでも、例えば浜離宮に行くと前日決めたとしても、当日の朝には気が変わっていて、デパートに行こうとか美術館に行こうとなることは間違いない。
家内の名誉のために言っておくが、無責任ではなく、一度言ったら実行するものだという認識がないのだろう。
もう何年も前のことであるが、こちらが予定していたことを覆させられたので「何で一度決めたことをしないんだ」と怒鳴ったことがある。すると「そのときはそう思ったけど、今はこっちが良いと思うんだからいいじゃない!」と怒鳴り返された。
それを可愛いと思うか、憎たらしいと思うかは愛情次第である・・

人それぞれであるが、家内のようなタイプは会社勤めには向かないのではないかと思う。会社に限らず、共同作業には不向きであろう。会社あるいはクラブなど複数の人が共同して目標に向かって活動する場合、計画の変更はそう簡単にはできない。そしてまた、コミュニケーションなどの制約によって、考えられる最善策を実行すべきかというと、一概にはそうはいえない。
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to be or not to be
説明すると、まずAという計画を立てていたとする。翌日になって状況が変り、計画したAよりBの方が良いと思われる事態となったとする。ではBに切り替えるのが最善かどうかということは、組織の構成員がそれに対応できるか否かという点にある。事前にメンバーがAやBなどいくつかのケースを想定した対応手順を決めて訓練されている場合なら、その範囲内においてそのときの最善策を選択することは適正であろうと考える。
しかし、そのような事前の打ち合わせも変更に関する手順もなしに、状況が変わったから予定を変えると一方的に言われても対応するのに無理があり、最善策と思われるものが最善手でないことは多い。
そういう場合は、現時点では次善となった、あるいは不適当かもしれないが、既に決定され周知されているA作戦でいくことが現実的な選択であるということになる。
遠足に行くとき、参加者に緊急連絡が徹底しない状況なら「雨天決行」と決めておくことが結局最善ということになる。
状況に応じて弾力的に運用できるケースは限られているのだ。
夕飯はカレーにしようとスーパーに食材を買いに行ったけれど、よい鰹があったからタタキに変更するというのは、わたしがタタキが好きで(もちろんカレーも好きなのだが)事前予告なしの変更であっても私が承諾する(がまんする)という前提があって許容されるのである。

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私は昔 囲碁を趣味にしていた。囲碁は一人でするものではなく当然相手がある。そして相手は性格が良くても悪くても、こちらの不利益になるように行動する。だからこちらが事前に作戦を決めていてもそれを実行することはできない。
こちらは相手の手に合わせていかなくてはならない。しかしそのときになって対応策を考えるのかというと、それは違う。
昔から定石といって白と黒の基本的な応対が研究されており、それをはずすと大損すると決まっている。相手に合わせて戦わなくてはならないが、それは想定内のことであり、想定されていないような闘いになっても、過去の知識と経験で最善手を考えるしかない。

じゃあ、計画を立てたなら、状況が変わっても実行不可能となった場合でも、かまわずに突き進むのか?といわれればそうではない。
臨機応変という言葉がある。
これを事前に特段計画を立てないでおいて、行き当たりばったりで物事を進めるとか、対応することと思っている人がいる。
そりゃ、全然違いますよ。
世の中は変化するということが絶対に変わらない真理ですから、変化を見込んで計画を立てなくてはなりません。要するにいろいろなことを想定しておいてそれに準備をしておく、そして状況に応じて最適な手段を選択するということなのである。
私は永年生産ラインで働いていた。はじめはライン作業であったが、やがてラインを監督する立場になった。生産ラインを止めないということは実は大変なことなのである。人が休む、材料が入らない、温度湿度が変わって条件が変わる、その他多様な条件変化に対して対応しなければ流れは止まるのである。
臨機応変なんてものではなく、常時状況変化に目を光らせて小さな時定数でフィードバックをかけつづけないと安定は崩れラインストップとか不良の山になる。
今の仕事、環境監査でも同じこと。
初めて訪問する会社がいったいどんな会社でどんな仕事なのか? どんな環境負荷があるのか? どんな法規制に関わるのか? なんて情報が得られずにお邪魔することは多い。
事前に該当する法規制を教えてくださいとか、環境側面のリストを提出してくださいとか、事前資料がなければ監査できませんなんて、学校の試験じゃあるまいし、そんな甘いものではありません。とにかく与えられた条件かで最善を尽くさないといけません。なにしろこれでオマンマを食べているのですから。
でも、普段何も準備をせずに監査に出かけ、出たとこ勝負というのではありません。そんなもの臨機応変とはいいません。
可能な限り情報収集し、また普段から研鑽に努めていろいろな状況に対応できるように努めることに尽きます。
計画性のないのと、臨機応変はおおいに違います。


本日の結論
臨機応変とは思い付きとか気分屋のことではない
事前にいろいろな状況を研究しておき、実際の場において最善手を選択することである


家内はどこに関係するのか? とおっしゃいますか?
まあ、導入部のつまですよ、なにしろ妻ですから 

家内からさっそくつっこみがありました
なにしろ私の書いたものはすべてチェックしているのです。
ちょっと違うなあ〜
私の場合は、実行力があるのよね、
サークルだって私の言いなりじゃない。
あなたの書くのは長すぎですよ、長すぎ・・
私をちょっと見習えばいいのに・・・こんなこと日永一日してたんですか!
まったく・・もう
ハイ スミマセン


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