嫌われたくない症候群2001.8.31
日本の外交、あるいは国民の中国ニイハオ、韓国アンニョンハセヨに対する反応をみると嫌われたくない症候群とでもいえる誰にでも好かれたいという強迫観念があるようだ。これは小さい時からみんなと仲良くしなさいね!という教育、しつけがもたらしたものだろうか?今のケータイ世代はまさしく嫌われたくない子供が多い。言い回しにしても「・・・というか」とか「・・・すれば」とか「・・・じゃないですか」など相手におもねる主体性、断定性のない表現が多く、聞いていると気分が悪くなる。その判断基準が国家間の問題にまでに適用されるのでは重大問題である。韓国の人が教科書問題ゆえに日本との行事を取りやめるというなら、「ああそうですか」というのが妥当な反応である。それを「そんなことを言わずに仲良くしましょう。あなたの気に入るようにします」というのは異常である。
嫌われても自分の信じることをするという教育をなぜしないのか?みんなと横並びという態度、行き方は平均的なサラリーマンを製造してもビル・ゲイツやアイアコッカあるいはクリントンのような人物を生み出さない。日本人に独創性がないとは言わないが、信念を持てという教育をしないとより多くの企業家、開拓者は現れないのでないだろうか?誰もやらないからやると言う思考、私の前に道はないという自信、日本人の中にも開拓者はいるのだ。こういった人が数多く輩出しないと日本の明日は暗い。
まして国家間の外交は個人と個人の交際じゃない。「あなた個人は好きだけど国益に反するから妥協しませんよ」ということを徹底しなくてはならない。中国の外交官は少なくとも日本の田中外相より一枚上だし、マスメディアの操作も上手である。日本のサヨクメディアが国民感情を煽っているということだけでなく、一般的な日本人が他人が自分をどう見るか、他人に嫌われたくない、人と違うことをしたくないという意識がありすぎることが現在の弱腰外交をもたらしたのも事実。
星飛雄馬と花形満、力石とジョーは甘い仲良しではなかった。相手を尊敬しても相手に気に入られようとおもねることはしなかった。自分を磨くことが相手への尊敬を表す行為だったんじゃないだろうか?「あなたに合わせるから仲良くしましょう!」なんてこととは次元が違ったのだ。
日本人よ!天上天下唯我独尊といえる自信をもて!

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