捨てぜりふジャーナリズム2001.10.11
殺し文句に捨てゼリフ、これが決まるとかっこいいですね!でもかっこいいからといって、正しいこととか真実とかとは関係ないようです。では今日はこのへんについてだべります。
昔はペンは暴力より強いとか言いましたが、すでに死語、現在はキャスターの言葉は神の声とさえ言える状況とあいなりました。
捨てぜりふ決まりました?しかし、言葉のあや、響きのよいキャッチフレーズで人を動かすのはせいぜい大量消費の扇動くらいにしてほしいもの。10年前に歌謡番組の司会をしていた方が突然政治評論家になるわけはありません。異議をはさまれる前に、もちろん、小説家であっても政治家としての資質、能力を持っている方も、映画俳優であっても大統領が務まる方もいます。ここで言いたいのは有名なだけでは別な役柄ができるとは限らないということです。務まるか務まらないかは事実が証明するでしょう。
某テレビのニュース○テーションでは捨てぜりふジャーナリズムという言葉さえできたほどかっこよく決めてきました。でも、これって、ジャーナリズムというよりアジテーションて言うんじゃありません?

昔から敵対する勢力を攻撃する最強の手は誰もが悪と認める言葉を相手に賜ることでした。
例えば「魔女だ!」とか、「右翼だ!」とか、「アカだ!」ってのもありましたね。でも今本当に怖いのは「サヨク」じゃありませんか!!
断定的な言葉は力強く、懐疑的、思慮深い言葉はパワーに乏しいのは否めない。だからこそ公共の電波で一方的に断定し、捨てぜりふを乱発するのはいただけません。
それはお茶の間に届ける電波ではなく、街頭で大声でアジ演説しデマを飛ばすのが似合っているようです。
お茶の間に届ける報道番組は穏やかに事実のみをまず伝え、有識者あるいは論説委員が多面的に論評を加えるようなものがよいのでないでしょうか?

ゆるさね〜類似の物にニューヨークのテロの報復反対を叫ぶ方もいて、それはそれなりに個人の意思表明ですから是非ありません。しかし人気アイドルや有名歌手がテロ反対を唱えることを高く評価するような新聞社、テレビ局はどういった価値基準なんでしょうかね??
いくら有名でも年端がいかない歌手が自分のホームページで反戦を表明しようがそれがなんだっていうの?歌がうまい子供と名もない一サラリーマンの政治に対する考えのどちらが正しいかは一概に言えません。しかし社会的影響は明らかに違います。
人気アイドルが「私はグッチよりビトンが好きよ!」というのと「私はテロ報復反対よ」というのは全く異なる。
これは人気歌手の影響力を借りた情報操作であり、報道の客観性を放棄し、自らジャーナリズムを腐敗させるものだろう。

では最後は殺し文句ですが、某政党は自衛隊派遣は「軍靴の響き」がするといってます。軍歌の響きなら分かるけど軍靴がどこに響いているの?
私に聞こえるのは「テロの響き」だわ、

くだらないことをダラダラと書いてしまいましたが、捨てぜりふは子供のころの「おまえのかーちゃん、でーべそ!」くらいにしておきませんか。

独り言の目次にもどる